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会社という「はこ」について考える【301/400】

ユーグレナグループからMBOを行い、またオーナー社長に戻りました。はこの亀谷です。

本当はこの経緯などを書きたいところですが、5年は秘密保持で書いてはいけないとなっていますので、詳細は今後の楽しみくらいにとっておいて、今日は「会社というものについて考える」というテーマで書いておきます。

M&Aを行う際もいろいろな迷いがありましたが、2年上場企業のグループ会社を体験し、再度「会社とは?」という問題に関して整理しておこうと思います。また数年後に読み直して、自分の思考の変化を確認する用の備忘録です。

▼ちなみに2年前に書いていた記事はこちら▼

会社という「はこ」に関しての整理

会社という「はこ」は何故あるのか?

と考えると、それは世の中に何かしらの価値を生み出すためにあります。

価値を生み出し、世の中から評価されることによって利益を生み出し、その利益を会社として分配・再投資出来る状況にするためにあると思っています。

では、会社という「はこ」は誰のものなのか?

と考えると、株式会社という形態で考えれば、所有は株主のものということになります。

つまりは、所有する株主が会社に対してどのような価値を出すことを望むのか?によって会社というものは変わります。

そのため株主が会社へ望む「生むべき価値」に合わせて経営の在り方が決まります。

株式の枚数は増やすことができます。

株主が多い、少ないはメリット・デメリットがありますが、上の流れから考えると、株式が分散すればするほど方針が見えなくなるし、方向性が保ちにくくなる。株式が集中すればするほど、方針は決めやすくなるが、決める人の移行に左右されやすくなる。という流れになります。

株式が分散している場合は、執行責任を代表者に明確に持たせない限り、責任のない経営が行われやすくなります。株式自体が多数決なので、理解している1票も理解していない1票も1票となり、会社の経営判断に対して、正しい意見が反映されにくい状況が起き、何故か株主から経営を任されているはずの経営者が、やりたい放題の経営を行い、謎の方向性に走るという事件が起きます。(※全部が全部とは言わないが日本の民主主義はこれに似ているなぁと思っています)

株式が集中している場合、責任の所在が明確な一方で、逆にその意見に対しての自浄作用が働きにくく、個の資質に依存した状態になってしまいます。まぁ、ただこの問題は、社会的な評価と従業員の労働の自由により監視されるので、その会社の中でこの構造を理解した自浄作用が働けば、上手く動く部分も多いのではないかと思います。

※悪徳な経営者は、社会的な評価の操作や、従業員へ不相応な待遇を与えることにより、この自浄作用の働きを株主に不利益な方向で調整をかけようとします。

会社の構成要素とその優先順位

会社は株主だけでは動きません。株主、経営者、従業員で構成されています。

本質的には所有と経営は分離されるべきですので、株主は客観的に監視できる立ち位置にいて、経営を経営者に任せます。

経営者は、株主から望まれる価値を生み出すために会社を経営します。従業員を雇用し、会社を使ってその価値の創出を目指します。

従業員は、自分の生み出す価値で契約し、会社の価値から生み出される利益の分配を受けとるために会社と契約します。つまりは会社の価値に対して共感し、会社の考える価値を最大化するために働かなければなりません。従業員は所属する組織を選択する自由が認められていますので、その価値に対しての意見は、所属するか、しないかで明確に表明することが出来ます。

シンプルに株主、経営者、従業員とまとめましたが、それぞれ1人ずつではないので、それぞれの思惑があり、現実問題としてはもっと複雑で、一度本来あるべき会社としての方向性が崩れてしまうと、組織全体がもやもやすることになります。株主は損をするだけですが、経営者は病みます。

本来あるべきは、

株主→価値の定義・代表者の任命・監視→代表者

代表者→価値の創出・組織の経営・利益の分配→従業員

従業員→価値の創出→世の中

なのではないかなぁと思っていますが、もやもやするときには、だいたい権利が逆行してあがってきていたり、統制が取れない状況になったり、それぞれのポジションで実力不足により結果が伴わずに価値の創出が出来ていないことを他責にしてなすりつけ合うということが起きています。

経営が何故難しいのか?

経営が何故難しいのかというと、「価値」と「価値を生むまでに期待する時間」の考え方が異なる集団をマネージメントしないといけないからです。

株主は投資をしていますので、単純に利益を期待します。利益は本来「価値」が生み出すものなのですが、利益を優先すると何をもってして「価値」を生み出すのか?という部分がおざなりになってしまいます。

経営者は本来何をやることで価値を生み出すかまで明確にして任命されるべきですが、株主の視点が利益に移ると「何を」が軽んじられてしまう可能性が出てきてしまいます。また株主の利益と従業員の利益はある意味相反するため、従業員に求めるべき「価値」と「利益」の図式も崩れてしまいます。

従業員は選べるので、選べば良いが本質ではありますが、今の日本の社会ですと組織の責任を問える流れもあるため、本来その権限を持たないはずの従業員が、方向性の見えない経営に対して、自分たちの視点での価値の請求を求めてきます。ここは経営的な視点でいくと、本質的には嫌なら辞めたらいい。なのですが、それを言う権限はなぜか日本では認められていません。

会社は短期的なものではなく、長期的なものなので、経営的には何をもって価値を出すかという部分にコミットしながら、継続できるだけの価値を発揮しつつ進んでいく or その事業に共感できる株主を集め、投資を募ることによって継続させていく努力をしないといけません。ただこの視点で見ても「何をもって価値を出すか」が定まっていないと、最終的には「利益」の面で思惑がズレが生じてしまうため、やはり「何をもって価値を出すか」が重要なことだと分かります。

資本主義とはいえ、求められる日本的な資本主義

まだ結論が出ていないので、何とも言えませんが、今現状の私の感覚としては、

・会社は、何をもって価値を出すか?を明確にし、全員のコンセンサスを得ていないといけない。
・株主/経営者/従業員は、それぞれが会社が掲げる価値を追求するための自分の役割を理解しないといけない。
・株主は価値に投資を行い、長期的な利益を期待しないといけない。逆に短期的な利益に目を奪われてはいけない。
・経営者は、株主・従業員から厳しく評価され、その説明責任を負わないといけない。
・従業員は自分の進退は自分で決めなければいけない。

ということなのかなぁと思っています。

日本の場合、会社は、一般的な資本主義とは違い、法的に従業員を守らなければいけない側面が強いので、会社というコミュニティを運営しながら、その意義を共有し、社会に対して価値を生み出す必要があると考える必要があります。この点をいかに追及しつくせるかが本質なんだろうと。

そして、今回また自分がオーナー経営者に戻り、株主と経営者が同じになったメリットとして、目先の利益にのまれずに、追求するべき価値から利益を生み出す経営を行い、ともに働く従業員に分配し、それぞれの人生を豊かにする経営を、自分の決定のみで行えるようになりました。

まぁ、三方良しを成り立たせるのは簡単ではないと思いますが、会社、お客様、従業員による三方良しにコミットして、もっと自分なりの世界観や理想を語っていかないといけません。前回は自分が弱かったせいで、この視点から逃げようとしてしまいましたが、今回はその責任から逃げずに、またもやもやとした日々を粛々と働きながら進んでいきたいと思います。

時間がなく、書き散らす形になりましたが、ここをより具体的に語れることが重要なので、これからも株式会社はこを通じて事業も経営もがんばります。

それでは、皆様、良い週末を。

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亀谷 誠一郎 / 粛々と働きます
現在、母とのコラボ企画を行わせていただいております。サポートいただいたものに関しましては、全て実家の母の創作支援費用として利用させていただこうと思っております。何かお礼できることがあれば考えますので、お気軽にご相談ください。いつもありがとうございます! かめ