見出し画像

どうせ面白いを撲滅する運動:『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』

どうせ面白いと思っての後回しというより、単に上映が終わってしまって劇場で観られなかっただけなのだけど。

ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!

ミケランジェロ、ドナテロ、ラファエロ、レオナルドは、不思議な液体「ミュータンジェン」に触れたことでミュータントとなったカメたちだ。目立つ姿を隠すため地下や路地裏で身をひそめるように過ごしているが、中身は普通の人間のティーンエイジャーと変わらない。学校に行ったり恋をしたり、人間と同じ生活を送ってみたいと願いながら、拳法の達人であるネズミのスプリンターを師匠に、武術の腕を磨いている。ある時、そんな彼らの前に、ハエのスーパーフライを筆頭としたミュータント軍団が現れる。同じミュータントの仲間がいたことを喜ぶタートルズだったが、スーパーフライ軍団は人間社会を乗っ取るという野望を抱いていた。

https://eiga.com/movie/97669/

※以下ネタバレ注意

コミックスを原作とするCGアニメ映画は『スパイダーバース』登場以降でグッとハードルが上がっていると思うけど、その辺は意識しつつもまた違った方向の画作りがよかった。ティーンの落書きみたいに映画を作りたいとの志のもと、キャラクターを全部非対称にデザインさせたり、背景やエフェクトも相当手書きでやっていたみたい(パンフレット参照)。

特に近年のアニメ版は観ていないのでわからないけど、原作のコミックス1987年開始のアニメ版、続く1990年開始の実写版と比較して大胆に改変されているのは、タートルズ対フット軍団という構図およびスプリンター対シュレッダーの因縁だ。本作にはそもそもフット軍団は出てこないし、その首魁たるシュレッダーも当然のように出てこない。では何と戦うのかといえば、上記のあらすじにもある通りハエのミュータント:スーパーフライ(声がアイスキューブ!)を筆頭としたミュータント軍団!

ハエのミュータントといえば、個人的には1987年開始のアニメ版の印象が強い。誕生の経緯はクローネンバーグの『ザ・フライ』そのままで、キャラクターはビーストウォーズのワスピーターみたいな三下っぽい感じだった記憶。ミューテーション元が白人なのは、アニメからのようだ(コミックスでは黒人)。

バクスター・ストックマン

本作では、見た目というかモチーフこそ同じだが、人間とハエが融合したわけではなく、ハエがミューテーションしてハエ人間になっている。そして、彼だけでなく、全てのミュータントを生み出した科学者の方がバクスター・ストックマンになっており、原作版のヨシ・ハマトとスプリンターの関係の鏡写し※だ。キャラクターとしてはゴリゴリの武闘派でジャイアン気質。日本語吹き替えは木村昴がやってそう(実際は佐藤二朗だけど…)。

※1987年開始のアニメ版のスプリンターは、シュレッダーことオロク・サキと対立した人間のヨシ・ハマト本人がミューテーションしてネズミ人間になっているが、コミックスのスプリンターは、ヨシ・ハマトが飼っていたネズミがミューテーションしたネズミ人間である

パンフレットによれば、制作のセス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグは、何よりタートルズが「ティーンであること」に重きを置いたと言っていて、スプリンターやスーパーフライの出自、エイプリル・オニールのキャラクター設定等は全てそのテーマに向けて変更されているのだろう。「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」のどの部分に重きを置くかとなったとき、今までの展開は「ニンジャ・タートルズ」要素の方が多かったけれど、「ティーンエイジ・ミュータント」の物語として語り直されたのが本作と言えそうだ。

ティーンエイジ要素がほしいということで、タートルズ4人のキャスティングはリアルなティーンにし、普通はやらない主演4人での同時収録もやったらしい(海外のアニメ映画は基本的に1人ずつ録る)。キャラクターデザインとしても、タートルズの4人は他の作品より意図して筋肉を削いで子供らしい体型にしているとか。スーパーフライも、右腕を除けばまぁアメリカのジャイアンくらいのマッチョさか…?

また、ミュータント要素がここまでテーマとして顕在化しているのは初めてなんじゃなかろうか(近年のアニメ版ではもしかしたら出ているのかも?あるいは、実写版も記憶が薄いけど、そういう要素が強かったかも??)。博士=神なきフランケンシュタインの怪物としてスプリンターとスーパーフライが対置されていて、彼らは境遇や経験、思想もほとんど変わらない。ミュータントとして生み出され、人間との交流を図った結果強く迫害され、不信感から家族に過保護になっている。スーパーフライは人間の排除を志向し、スプリンターは隠遁を選ぶが、行動原理の本質は同じだ。率いられる家族側のタートルズとミュータント軍団を隔てるものも実際ほとんどなく、だからこそ彼らは最終的に共闘する関係となる。従来なら「フット軍団所属」だったビーバップやロックステディも、ここではフラットにミュータントの仲間だ。

境遇も考え方も似通ったスプリンターとスーパーフライを最後に分けたのは、エイプリルとの出会い、遡ればタートルズとエイプリルの出会いと交流なのだろう。もちろん、スプリンター生来の善性はあるにしろ、タートルズたちがもつ「ティーンエイジャーらしさ」のよき発露とその伝播がスプリンターを変化させた、というところがテーマからくる物語の帰結だ。

余談だが、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』を生み出したケヴィン・イーストマンピーター・レアードの伝記は翻訳もされていて(版が切れていて新品では手に入りにくいが定価以下で買える)、アンダーグラウンドコミック界の思わぬ成功譚と、マーチャンダイジングのベルトコンベアーにうまく乗せすぎた結果齎されるクリエイターとしての不幸みたいなものが読めて面白い。本作中の「イーストマン高校」はケヴィン・イーストマンからの命名だろう。

ミュータントタートルズ大全

余談②。本作の監督は、近年のCGアニメ傑作群の1本『ミッチェル家とマシンの反乱』を共同監督したジェフ・ロウがつとめていて、実写版のタートルズも好きだし敬意を払っているとか。その証拠かはわからないけど、本作のポスターのヴァリアントには1990年公開の映画版をオマージュしたものがあって、なんだか嬉しかったな。

余談③。シュレッダーはヴィランとして本編に登場することはなかったものの、最後にはシンシア・ユートロムに呼ばれて背中だけ画面に映る。そして、シンシア・ユートロムということは、彼女はユートロム星人、あるいはクランゲ本人!?ということで、続編で吹替なら「サワキチャン!!」が聞けると思うと楽しみだ。しらんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?