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ブルース ディッキンソンの語る「騎士道」

つい一昨日、はるばる極東の我が家にやっと届いたIron Maiden FCの会報。
珍しくもブルースが、所蔵の200年物の剣を携え騎士道を語っている。

待望の新譜「戦術~SENJUTU~」のテーマが日本の武士道であり、フェンシングのソウルオリンピック英国代表候補でもあったブルースが
どのように騎士道観を語るのか、新譜の意図や背景の手掛かりになるのでは、期待を懐きページを開いた。

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今号のカバー写真のアイディアは、ブルースがカメラスタジオの背景をサーベルの一振りで切り裂き、その穴の間から身を乗り出すというアートワークになっている。

インタビュー前段には、その経緯とブルースの剣裁きが見事に描かれ、詩的な表現が多い読み応えのある英文となっている。
インタビュアーは元メタルハマーのアレックスだろうか。

「現代では、騎士道精神は失われてしまったのだろうか」という、「戦術」の核心を突くような問いもあり、これはしっかり読み解かねばと、英語の師匠のサポートも受けつつ、
構文を取り辞書を引きながら長文読解を試みた。抄録になるが紹介したい。


「騎士道精神は失われてしまったのか」との問いにブルースは、
・火器や飛び道具の登場により、戦いの主役の座はそちらに譲ったものの依然、剣は騎士の名誉を守る存在であったこと。
・中世当時は追いはぎや賊と、まるで現代の置き引き並みにしょっちゅう出くわす治安であったこと。
・騎士の纏うケープやマントは、賊がカンテラを突き付けるや否や、裾を翻し目くらましをし、時間を稼ぐ意味があったこと
・賊は賊で、マントを翻してきた心得ある相手からは、すぐに退散した、
と答えていて、武士の名誉、孫氏の兵法の「戦わずして勝つ」とも相通ずる世界観が感じられる。

もう一つ核心を突く問いと思われたのは、「実際の決闘とスポーツとしてのフェンシングの違い」である。死ぬか、死なないかが両者の違いであり、そこが決定的に試合運びの違いを生んだ、とブルースは答えている。

さらに、
・物理的な死が無いという前提なら、人はリスクを取りに行く。命を落とす前提がある決闘では、どちらかが手を出すまで何時間もにらみ合いが続く。
・しかも決闘自体、勝者の大団円となることは実はまれ。そもそも殺るつもりがなかったという、あちゃ~なケースもあれば、勝った方も手痛い傷を負い、結局感染を拗らせ亡くなるとか、
”ジョーとホセのカウンター”的な、お互い同時串刺しで、双方”灰になってしまう”ケースすらある。
・剣術の稽古自体も命がけで、片目を失うことはざら。弟子が腕の立つ師匠に稽古中刺され、亡くなることもまれではない。で、それがフェンシングのマスクなど安全なトレーニングギアのニーズに繋がった。
…などなど、ブルースは語っていて、その見識に驚く。

異国異文化の「戦術」への地ならしだろうか、まずは騎士道の紹介からということで、剣劇俳優の名作映画の紹介もある。
日本でいえばさしずめ市川雷蔵の名作の紹介だろうか。

先日の発表以来、武士道関連を漁ってきたわけだが、何某か騎士道の資料も目を通さないわけにはいかない。
そんなかんやで、来月の新譜発売まで予習は果て無く続くのである。

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