見出し画像

魔女の宅急便の世界へ〜サントリーニとドブロブニクへ新婚旅行日記6〜

朝起きて、まず不安が襲いかかる。現金がない。その国の通貨をまったく持っていないというのは非常に不安である。
いま冷静に日本で考えると、現金を持っていないのは取られるものがない、つまり安全だとも思うのだが、その時はただひたすら不安で、早くお金をおろしに行きたかった。

11. キャッシュマシーン

ヤドランカが言う「キャッシュマシーン」はホテルの前の道を下って町までいけばあるとのこと。
昨日のレストランよりさらに向こうかな、とあたりをつけていくことに。
妻は、少し旅の疲れが出ているのか、まだ寝ている。
「お金下ろしに行くけど、一緒にいく?」
「寝てようかな」
ベッドでごろごろしている状態の人に、一応聞く。

午前8時。
朝の光を浴びて、ツァブタットの海はキラキラとして、山の木々は青々として、ぽつぽつある家のオレンジの屋根が輝く。
宿は小高い丘にあるので、素晴らしい眺め。そういえば予約したときに、この宿は眺めがいいとかトリップアドバイザーに書いてあった気がする。

「いやあ、気持ちいいなあ」

と声に出してデジカメを取りだし、なんとなく動画で撮影。
ホテル・アルバトロスを通り過ぎ、ふむふむ、この辺から船でドブロブニクに行けるのだなあと予習。

昨夜のレストランはひっそりとしていた。夜だけやっているのだろうか。
ほどなくしてカフェの中から人が出てきたので、
「この辺にATMはありますか?」
と、聞いてみた。聞いてみるのが楽しいのだ。話しかけてみるのが楽しいのだ。

「まっすぐ行くと町があって、その中にATMがありますよ」

背の高い美人はさらりと答えてくれた。
余りにも気分がいいので10mごとに聞きまくった。
「キャッシュマシーンはどこ」「あっちだよ」「キャッシュマシーンはどこ」「センターにあるよ」
老若男女関係なく。たのしい。迷惑な旅人である。
ほどなくして見つけたキャッシュマシーン。
日本ではあまり見かけない、建物の壁が凹んでいて、ATMが収まってるタイプである。
2枚のクレジットカード、キャッシュカードを試してみたがいずれもダメだった。そりゃそうだ、海外でお金が引き出せるような設定をしていないのだから。
俺が覚えていないだけで、海外でも引き出しができる設定をずっと前にしていて、お金が下ろせたら楽だな、と淡い期待は崩れたのである。大人しく銀行に行くことにした。
50ユーロ札を数枚、クーナにしてもらう。ちなみに日本円も両替できる。
カウンター二つの、小さな銀行だった。すごくスッキリとした印象を受けたのは、日本のように広告や張り紙やご案内が掲示されていないからだろう。

銀行の周りにはレストランやみやげ物屋があり、少し行くとバスターミナルがあった。キオスクがもうやっていたので、お菓子とスポーツ新聞を買う。

クロアチア対ブラジル戦で主審を務めた西村さんの文字が大きく踊る。

クロアチア語は読めないけど、Nishimuraとネイマールは読めたので、大方「西村がネイマールにPKを与えた」とかそのへんだろうな。どうやらペナルティエリアでネイマールへのファールを取ったのが全クロアチア国民に大変不評だったらしい。

宿を通り過ぎて道路の向こうのスーパーへ。
見るもの全て全然違うので何味なのか全然わからない。長期滞在ならインスタントスープなんて買って戻りたいところだな。
ベーカリーのようなところで「これとこれ」と指さしてパンを手に入れて、バナナを持ってレジに向かうと、
レジ係のおばちゃんはバナナを見て何か言った。
全身全霊を込めて「?」の顔をすると、おばちゃんはふっと小さなため息をついて、バナナを持ってどこかへ行ってしまった。
ほどなくしてバーコードのシールを貼って戻ってきた。はっ。一本いくらではなくて、量って値段のシールを取るシステムか。おばちゃん気付かなくてごめん。

朝ごはんを部屋で食べる。手に入れたパンは中にホイップクリームとチョコレートが容赦ない甘さで入っていて、朝ごはんというより、お菓子である。妻は満足そう。

旧市街からの帰り道をヤドランカに聞く。
きらびやかなホテルの広告が並ぶパンフレットの最終ページに油性ペンを走らせながら、

「ここにバス停があるわ。ケーブルカーの駅があって、Cavtat行きのに乗りなさい」
「終点まで行く必要ある?ここに一番近いバス停の名前はなんていうの?」
「一応書いておくけど、終点まで乗りなさい。ホテル・アルバトロスまで来たら私に電話しなさい」
「大丈夫だよ、昨日も歩いてきたし」
「電話しなさい。昨日何で電話しなかったの?」
「え?」

何故かクロアチアまで来て、おかんみたいな怒られ方をされる。
いやあ、昨日は12時回ってたから、と言い訳したけど。
うちの娘は19歳だけど、12時越えても電話してくるわ、待ってたのに。
と冗談とも本気ともつかないことを言う。

ドブロブニクには船で行くことにした。
バスと時間がさほど変わらないし、乗り場も時間も値段も先ほど見たから安心だ。あと海路からのアプローチって、なんかカッコイイ。
目的地が遠くに見えている状態から、徐々に近づいていくわくわくが味わえる。

ホテル・アルバトロスの後ろにあるチケット売り場に行く。中には背が高く焼きそば頭のおばちゃんがいた。
たれ目でニコニコしているけどガタイが良すぎてアメリカのメタルバンド、テスタメントのチャック・ビリーかと思った。
チャック・ビリーおばさんから片道だけ船のチケットを買って、ここで待てと指さされた場所へ行く。
桟橋というか、埠頭というか。粗いコンクリートの、突き出たブロックである。
待っているのは我々だけ。

「ここでいいのかな。ホントにくるかな」
「くるよ」

不安げな俺に妻は断言する。豪胆である。
ほどなくして、テントのような布の屋根を付けた低い船がやってきた。
船長でありチケットもぎりでもある男が船を岸に付けながら、

「ドーブローブニーーーク!!」

と叫んだ。わかりやすい。
船内の座席は壁沿いと、真ん中に設置されていた。25名ほど乗れそうである。船はツァブタット中心街の港を回って乗客を拾い、ドブロブニクへ向かった。

景色はなかなか格別だった。
海から山までの距離が近いのか、斜面に家がぽつぽつと良く見えて、
木々の緑と屋根のオレンジが美しい。
船で移動しているという状況も、より旅情をかきたててくれる。

心震える景色も、ずっと見ているとなんだか贅沢になれてしまうのか、
船が揺れるリズムも心地よいのか、寝てしまった。

外国で移動中に眠ってしまうなんて不用心な!と思いはしたものの、
今この場に居るのはどうも観光客だけだし、財布にはチェーンがついてるし、まあいいかと目を閉じて船に揺られることになった。
妻はもっと前から寝ていた。豪胆である。

見えてきたドブロブニクは海上交通の要衝といった具合で、高い石壁が青い海にどどんとそびえ立っている。

俺はいかにもドブロブニク旧市街、という写真が撮りたかった。そのためには少し高台に離れて、旧市街をバックにする必要がある。
タクシーで行こうかなと思い、ツーリストインフォメーションオフィスの前にいる運転手に聞いた。

「この本にあるような景色の写真を撮りたい」
「50ユーロ(当時約8,000円)だ」
「高い」
「料金表そこにあるだろ、定額だ。クーナなら350(約6,300円)だ」
「じゃあクーナで払う」

スキンヘッドで細いサングラス。黒い半袖シャツ。ラッパーのピットブルを20歳ぐらい老けさせたような見た目である。サングラスが濃すぎて人相がよくわからないのだ。
ベンツのタクシーに揺られごとごと登る。

「ここだ」
「山の頂上じゃないか」
「俺はここで30分待つ」

スルジ山の山頂。ロープウェイでも行けるところにわざわざタクシーで来てしまった。まあ、こういう失敗もあるだろう。心行くまで眺めて写真を撮る。ちなみにスルジ山から反対側の眺めは、家が一切見えない。荒れ地と森林の山野である。
ほんの20年前に、戦争があった場所とはにわかに思いがたい。すっごく綺麗な場所なのだが、裏手には戦争の爪痕。スルジ山の反対側が見ることができて良かった。

さて、美しい旧市街をもう少し違うところから写真に収めたい。
ピットブルおじさんに「ここじゃなくてもう少し近くてさあ、低い角度で写真撮りたいわけよ」と伝えたら、ダミ声で「オーケイオーケイ」と言われ、
車は半分くらい山を降りて少し離れた道に入って止まった。

「10ミニッツ、オーケイ?」
「オーケイオーケイ」

ほとんどの会話がオーケイである。
そして強面ピットブルおじさんは意外と良い人だと思ったのでカメラを渡して写真をお願いした。老眼が始まっているのか微妙にカメラを遠ざけて顔をしかめ、撮ってもらったものには指が少し写っていた。これもまたよし。

戻る途中で、

「どこからだ」
「日本」

「ジャパンか・・・俺は西村のことは気にしてないからな」


あのときクロアチアにいた西村さんは本当に気まずい思いをしたのだろうな。笑顔で別れ、旧市街の中に戻る。

12.パンと水

「ハートのお土産が買いたい。お母さんに頼まれたんだよね。」

妻が主張した。
クロアチアはハート模様の陶器の飾りが有名らしく、お母さんがテレビで見て知っていたとのこと。
妻は何か所もお土産屋を回って、慎重に吟味していた。
また、ドブロブニクは刺繍が盛んだそうだ。
せっかくだから可愛いコースターなんか買いたいねという話になった。
妻が持っているガイドブックから選んだのはバチャンという店。
ここのご主人、英語はもちろん、なんと日本語が話せる。いくつかあるお店の中で、ガイドブックが推しているのもわかる。
そして店内に入るとわかるが、ご主人が日本語のガイドブックをやたら飾っている。
隣のディスプレイではいつか取材されたときのものらしい映像を延々と流している。
「うちはカカア天下です」から始まるご主人の恐妻家ギャグ。
日本語はセールストークが言えるだけで、こちらの言っていることはわからなそうだが、熱心に色や柄の説明をしてくれる。
彼の義理の母、奥さん、娘と三世代の女性たちが刺繍しているそうだ。

「奥さん金持ち 僕召使い 僕の給料 パンと水!」

まさかクロアチアで、詩歌というか都々逸のリズムで自虐ネタを聞くとは思わなかった。
口にしてみると大変に読みやすくて、特に「パンと水」なんてのはこぶしを上げてみんなで言いたいレベルである。僕の給料パンと水!パンと水!

色んなところに口コミが書かれていて意見は分かれているが、俺は彼の一生懸命さに心がうたれた。花瓶敷きを買うことに。

「妻一番 娘が二番で 僕店番」

頑張れお父ちゃん。

13. 旧市街城壁一周コース

城壁の階段は細く、一人がやっと登れる程度。登りと下りで通路を分けている。
登った瞬間、左手にオレンジの屋根の風景が広がった。

西日を受けて、屋根はビカーンとオレンジに輝く。薄いベージュ色の壁も少し輝く。俺の顔もテッカテッカに輝く。汗と日焼けと疲れと昂奮である。

スタジオジブリの映画「魔女の宅急便」を初めて見た時、素敵な町だなあ、こんな町に住んでみたいと思った。
主人公が空を飛ぶので自然と上空からのカットが多くとりわけオレンジの屋根が印象的だった。
モデルとなった都市が諸説ある中で、ドブロブニクは俺のイメージに最も近く、いつか行きたいなあ、いつか行きたいなあと思い描いていたのである。
非常に単純で短絡的なのである。他にも「冷静と情熱のあいだ」を見たばっかりにイタリアのフィレンツェに行くことを決めて、イタリア語を勉強して旅行するなんてこともあった。

目の前の光景に目を疑った。何度か強めに瞬きをしても同じだった。
俺は今城壁の上にいて、大通りを前にして、ドブロブニクの町を見渡している。なんだか、ついに来たなあと。感慨深くなった。

鏡が欲しいなあ。今、俺がいるってことを実感したい。
よっしゃとりあえずは写真を撮ろう!
その頃妻はまだ階段を登っていた。


城壁一周コースは一時間は優にかかる。途中にジュースとお菓子を売っているところがあるほどだ。ちなみに途中でチェックポイントのようなところがある。ここで降りることもできる。

終わりかけのところに、展望台があった。展望台というか、もともとは見張り台だったのだろうけど。城壁より少しまた高い場所で、ドブロブニク旧市街の端っこから見渡せる。

ドブロブニクの旧市街は六角形のような形をしていて、山側の頂点に位置しているその場所から、傾きかけた日に照らされたドブロブニク旧市街と輝く海が見渡せた。

もう、旅も終盤なのだな。明日はもう帰るのだな。
そう考えると寂しくてたまらなかった。
夢のような時間は終わるのだ。

最高の場所で最高の写真を撮ろうと思ったらファミリーが写真を撮っていた。じっくり待って、数枚撮る。妻と自分も入れてまた数枚撮る。デジカメでの自分撮りスキルも上がっていた。

大変満足してバス乗り場に向かう。バス乗り場にトイレがなくてビビる。まあいいかと思ってツァブタット行きのバスへ。バス前面にCavtatと大きく表示されているのですぐわかる。

乗車してすぐ、ストーンと寝てしまった。起きたら終点でみんな降りていて、ツァブタット中心街の夜はにぎやかだった。なんだかんだヤドランカの言うとおり終点まで乗ってしまった。

広場から何故か子供たちの歌が聞こえて、着飾った子供たちの集団がその広場に向かっていた。合唱コンクールか何かだろうか。
子供たちとすれ違いざま、「コニチワ」と言われた。あのンが抜けているやつ。すごく驚いた。アジア人の区別がつくんだな、それとも適当なのだろうか。
その後入ったレストランでは前菜のオーダーがひとつ抜けていた。適当なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?