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2021 ベストALBUM 50 plus

今年もベストリストという1年の間に摂取した数々の優れた音を眺める行為をしているわけだが、近年はそれが当たり前のことになってきている。そして大手メディアが放り込んだベストリストよりも個人のものに発見が多くその人ならではとしか言いようのない興味深い音に対する態度に遭遇する機会が多い。これ自体が1つの表現なのは間違いない。

アーカイブ化が前提となった今の時代において今回のようなVrilのアルバムの形式(ミックス形式にそのほとんどがアーティスト自身の未発表楽曲で構成されている作品)に対して聴き手が違和感を持たずに聴くという事が当たり前になっている。

外山滋比古氏は「近代読者論」の中で近代の読者は立ち聞きや、のぞき見から意味を新しく作り変え、新しい象徴性を発達させ近代文学に対して多層的にリーディングしながら発展させてきたと述べ、更に「読む」行為が諸個人の選別、選択を通じてクリエイティブな活動として機能し得ると語るが、覗いている意識すら感じられないソーシャル・ネットワーク・サービスを通して受信する現代の「読者」の在り方も変容し続けている。

「Bleep Mix #159」は、現在着目されるシーンの音をブリコラージュしながらVrilの持つダブ・テクノサウンドに昇華させている傑作だ。

Vril - Bleep Mix #159

Andy Stottが推し進めたダブ・テクノの更新はHuerco S.らによってアウトサイダー・ハウスの領域まで接近し、Vrilへと繋がる糸口を産む契機になっているように思われる。AceMoのようにアウトサイダー・ハウスの持つアナログ性を90年代を中心に連動していたブロークンビートやドラムンベースに据えた音にも呼応している一方で、Lake Hazeのように90年代に存在していた要素を現在の音と両極志向的な性質のままアウトサイダー性の裡に補整する事で新奇な音を産み出している。

アウトサイダー・ハウスとは異なる路線を辿るディープ・ハウスでもOmar Sの「Here's Your Trance, Now Dance!!」(2011年)に見られるようなバレアリック・ビートの中に異質なトランス(とりわけイビサ・トランスに近い)要素が取り入れられた音が入り、その後のJohn Talabotの傑作「ƒIN」と地続きの相関関係を作りだす。現在のディープ・ハウスとバレアリック・ビートを含んだアルバムの最高峰はやはりShinichiro Yokota(横田信一郎)である。

横田氏の新作「Tokonoma Style」は同じディープ・ハウスの領域に位置するBoofとは真逆のスタイルを保持し続けている。Boofは「The Hydrangeas Whisper」(2015)の中で歪で最大限に変質したニューディスコをディープ・ハウスに取り込み新たな「区切り」を創造したのに対し、横田氏は一貫したスタイルに透徹されている。アウトサイダー・ハウスの要素を深く浸透させるBody-sanの「Reborn While Shopping」と表裏の関係にあると思っている。一方でTomu DJのようなレゲトンを糸口に展開する動きにも注目したい。

小説家の日野啓三氏はBrian Enoの音楽を動き続ける砂をイメージして「絶え間なく流れる砂、動く砂丘、生きた砂漠。風とともに光とともに」(世界という音 ブライアン・イーノ)という言葉で表現しているがHoaviの「Music for Six Rooms」もそうした砂のイメージと相反する水の湿ったイメージが同居したアルバムをリリースした。そのイメージはアンビエントにもテクノにも動き続けている。

Shinichiro Yokota - Tokonoma Style

Body San - Reborn While Shopping


AceMo - All My Life 2

Lake Haze - Sun Rising on Concrete Landscapes

Tomu DJ - Feminista

Hoavi - Music for Six Rooms

Andy Stottのもう一つの功績はアンビエント・ダブに光を当てることで、その可能性の伸展を促進させたことだろう。その伸展は河南省東部の開封出身のYu Su「Yellow River Blue」が広く認知された事からも確認出来る。

2019年のEP「泉出通川为谷 / Roll With the Punches」と比較して「Gleam」や「Malaleuca」ではダブの領域を超えアンビエント・テクノとの交歓によって生じたミニマムな機動性が顕れた事でニューヨーク在住のアーティストX or Sizeとの連関が生まれた。cv313は、ダブ・テクノ界隈に過剰で偏重されたアンビエント要素を盛り込む事で新たな視点を得たが、X or Sizeはその視点をYu Suにも通じる感性で表現している。

「Yellow River Blue」は、幅広い音を見据えた構成になっていながら前作からのポスト・ミニマリズムな要素を受け継いでいる事でアジアの視点に立ったミニマリズムがソウル出身のPark Jihaとの結び目にも調和する。

Yu SuやX or Sizeと同じフィールドにいながら異種同型のサウンドを展開するアイルランドのグラフィックデザイナー/プロデューサーのFrog of Earthは「Settle For Less」という楽曲にCharles Cohenを想起する繊細でザラザラしたミニマル・シンセや緩急様々な音の瞬きを記録した。

アンビエント・ダブと響き合うガムランの鉄琴と銅鑼は、ニューヨークを拠点に活動するAsa Toneによって再解釈される。

「ガムラン」は楽器の合奏という意味をもち、儀式や演劇の伴奏として機能してきたインドネシアで生まれたジャンルだが、Asa Toneはニューエイジの特質と並置して扱っている。鈴木大拙によってアメリカに浸透した禅は、ニューエイジの源流の一つだが、Asa Toneは東南アジア全体を捉えたままエレクトロニックサウンドに馴染ませた音を生み出した。

Yu Su - Yellow River Blue


X or Size - GMV12 - X or Size - Covert ID

Frog of Earth - S/T

Asa Tone - Live at New Forms


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音楽評論家のAdam Harperは、エピック・コラージュというジャンルをElysia Cramptonの楽曲を例に挙げ「ポップスの断片を壮大なテクスチャーや暴力的なサウンドエフェクトと組み合わせている」(The FADER)と語った通り膨大なアーカイブの貯蔵から構築されるエピック・コラージュは、「21世紀の経験」を音にする。その領域はVarg2™によってユーフォリック・ハードスタイルという新たな場に拡充された。Space Afrikaはイルビエントの特徴でサウンド・コラージュを表現したという意味でトランスとエピック・コラージュにも連動している。

ハード・トランスから派生したユーフォリック・ハードスタイルは2010年代にアップリフティング・トランスとほぼ同時に展開していったジャンルだが、その源流には当時過熱していたクラウド・ラップにトランス要素を加えたaraabMUZIKの「Electronic Dream」(2011年)や、Dossの「Doss 〈white vinyl〉」(2014年) の存在がある。

前者はのちにハード・トラップと呼ばれるジャンルへと派生しEDMとしてのトラップ(グライムやダブステップから展開した事からトラップ〈EDM〉と呼ばれる)の視野を広げ、後者はイビサ・トランスの持つ陶酔感を親和性の高いトリップホップや、Machine Girlに代表されるハードコア・ブレークスにも影響を与えた事で新しい地平を拓く契機となり得る作品がそれぞれVarg2™やDJ Close Your Eyes to Find Meへ結実した。

その結実は京都を拠点に活動するNTsKiの「Orca」とも無関係ではないように思う。NTsKiは日本特有の歌詞や歌に強い意味を見出す歌謡曲のテイストを残す事で同じトリップホップを主体にするアーティスト(例えばアラビックサウンドを取り入れるDijitや、ポスト・インダストリアルを基調に展開するAbyss X)とも全く異なる特色を産出している。

前述したDossは「4 New Hit Songs」EPで前作のドリーム・トランス性をハウスに仮託させる事で新たに消え入る美しいヴォイスの浮遊感が強化した。

余談だが、リブートとして構成し直した「交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」にテクノではなくアップリフティング・トランス(ないしはユーフォリックハードスタイル)の要素を求めていたのは自分だけでは無いと思う。

クラウド・ラップの趨勢を辿る上で重要なのはプラッグ(トラップから枝分かれしたジャンルでパープルサウンドのようなキックを全面に出したものよりもミニマリスティックな音が特徴)の存在だろう。フロリダ州オーランド出身の454がミックステープとしてリリースした「4 Real」には初期のクラウド・ラップが持つ難解さやインダストリアル・ヒップホップにも通じるテーマ性はなく、トラップとしての機能に主眼を置いた作品になっている。G. Brennerの「Brushfire」はネオソウルを主体的に披露するアーティストだがクラウド性に通ずる柔和な姿勢に共通点があるように思う。

近年ではインダストリアル・ヒップホップを最大限に拡張したアーティストの一つとしてclipping.が取り上げられるがヒップホップ側からの影響としてOpaqueの「Black Moncler Hudson」のようなアンビエント・ハーシュ・ノイズ・サウンドを耳にすると、それまでアンビエントやノイズが雑駁な断片として取り込まれていたものがclipping.周辺のアーティストが注目される事でその余波を受けているように思う。

Psychedelic EnsembleとTony Bontanaが、それぞれロンドンとバーミンガムから発信したコラボレーションEPは、粗くザラつく素描でヒップホップの輪郭を描く。素材そのものの存在感を全面に出す姿勢は同じくロンドン在住のAlpha Maidの「CHUCKLE」とも共振する。「CHUCKLE」は即物的でいて静的な素材による存在感を放っている。Alpha Maidが持つ実験性は今年(2021)の要であるエクスペリメンタル・ロックの流れと同じでありながらそれをせき止める歯止めとして機能している。

Everything Is Psychedelic - Everything Is Psychedelic

Alpha Maid - CHUCKLE

個人的な記録としてBlackhaineが「And Salford Falls Apart」をリリースした事で昨年の特筆すべき動きであるAint About Meのアルバムに散見されるドローンやスポークンワードの要素が表出したと思っている。今後の動向が気になるアーティスト。

NTsKi - Orca

Dijit - Hyperattention: Selected Dijital Works Vol. 1(2020)

Abyss X - INNUENDO(2020)

Doss - 4 New Hit Songs

Space Afrika - Honest Labour

454 - 4 Real

G. Brenner - Brushfire

Opaque - Black Moncler Hudson

Blackhaine - And Salford Falls Apart

Aint About Me - Aint About Me(2020)

NO.6 Varg2™ - Siren Call

no8 DJ Close Your Eyes to Find Me - Angel Trance Edits Volume One

DJ Close Your Eyes to Find Me - Angel Trance Edits Volume Two

DJ Close Your Eyes To Find Me - Angel Trance Edits Volume Three


Blockhead - Space Werewolves Will Be the End of Us All

2021年はマンハッタン出身のBlockheadにとって新たな主軸を据える契機となる年になった事は間違いない。その主軸の一つが、従来のトリップホップを取り入れたスタイルではなくジャズにシフトしやすい機動性を持っていることだろう。Aesop Rockとの共作「Garbology」はAesop Rock自身にとっても転機を迎えた作品にもなっているように思う。

2012年の「Skelethon」は、El-Pの「Cancer 4 Cure」と共鳴するようにハードコアな性質を強化した作風が目立っていたが「Garbology」はまるで時間の流れが止まった空間の中でのみ発酵し輻輳していく過程を捉えた独特の音が、これまでの作風には無く今作から造成された要素といえる。

Aesop Rock/Blockhead - Garbology


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社会学者の南田勝也氏は「ポップ・ミュージックを語る10の視点」の中で、2015年以降のロックシーンについて、Car Seat HeadrestやWhitney(元SmithWesterns)、Snail Mailなどを例に挙げ、彼らの楽曲から感じ取る「孤独性」、SNSによる繋がりからの「疲弊」、そうした事柄を打ち出す事が今後のロックシーンの新機軸になり得ると述べている事に通じるかは分からないが、外国人が選ぶ90年代の日本のアニメの上位に「serial experiments lain」が挙がるのは、個人のアトマイズ(細分化)、中島岳志氏の言葉を借りれば「個人の砂粒化」が、日本だけではなく世界の共通了解になっているからこそ取り上げられ更に、上記に挙げたアーティストが表現する音楽にも拡散していったのではないだろうか。

その拡散はロックのみならずメキシコ出身のブラックゲイズ/アンビエントアーティストのSadnessのアルバムにも及んでいると思わせるほど「孤独性」を感じる。Deafheavenの「Sunbather」(2013)に収録されている楽曲「Irresistible」の持つ繊細さを全編に散りばめたアルバムで、Deafheavenよりも声による咆哮はサウンドと一体化している。

文化人類学者のルース・ベネディクトは戦後の日本人の精神的心情を、ある日本人の言葉を取り上げ「もう爆弾が落ちてくる心配がなくなって、ほんとにほっとした。ところが戦争がすむと、まるで目的がなくなってしまった。みんなぼうっとしていて、物事をうわのそらでやっている。私がその通り、私の家内がその通り、国民全体が入院患者のようだ。(中略)人びとは現在政府の戦争の後片づけや救済事業が遅々として進まないと言って不平を鳴らしているが、私はそれは、役人連中もみんなわれわれと同じ気持ちにおちいったからだと思う」(「菊と刀」第8章)と当時の日本人の精神的状態を説明したが、そうした戦後の空虚さと解放感の双極の溝を修繕するように流行したのが「やくざ踊り」だ。後にフォークダンスのブームを起こす契機の一つになっているが、Sadnessの「April Sunset」の双極性はDeafheavenよりもさらに双極的な構成になっており現在のパンデミックにしてもそうだが諸個人に起きた空虚と解放の精神性を象徴する作品だ。

ロックに一番近いソウルであるサイケデリック・ソウルが近年になって新たな側面が付加され周辺のジャンルの範疇を越えたそれらの要素を受容するようになった。

まだサイケデリック・ソウルがSly & The Family Stoneと並行しながらサイケデリック・ロックと未分だった頃〈WARの「The World Is a Ghetto」(1972)が顕著〉に比べて2010年の「A Sufi and a Killer」(Gonjasufi)では未分のまま、グリッチ・ホップやエレクトロニックな要素を多分に取り入れた。その後すぐにThundercatの「The Golden Age of Apocalypse」に捕捉された事でニュージャズやネオソウル、ファンクトロニカの周辺にも波及していった。エリトリア出身のRimonは、「Digital Tears」で、サイケデリック・ソウルの持つ歪みとThundercatがリリースした「It Is What It Is」(2020)にヴォーカル性を強化した。2021年のキーワードは「ヴォーカル性」なのではないだろうか。それはジャズにおいて強く反映されたと個人的には思っている。

50年代にアメリカから発展したラウンジは、後に90年代にその影響を受けた渋谷系へと引き継がれ、近年は「ペルソナ」シリーズの音楽を手掛ける目黒将司氏も多く取り入れる事でゲーム音楽を通じて身近な存在となっているが、アメリカのブラトルボロで活動するZach Phillipsは、ラウンジやエキゾチカに、Ariel PinkやJohn Mausに代表されるヒプナゴジックを加味し、さらにサイケデリック性を帯びたアルバム「Feed a Pigeon, Breed a Rat」をリリースする。オーストリアで結成されたTakeshi's Cashewはクンビアの要素も取り入れている事からZach Phillipsとも相互的に音の連なりを共有している。

ポピュラー音楽研究家の大和田俊之氏はゲーム音楽がアフロフューチャリズム(黒人文化とテクノロジーの未来的な表象を指した概念)の運動を促進させたと述べている事にも通じる部分ではないだろうか。

ポスト/エクスペリメンタル・パンクが飛躍した今年にRats on Raftsはネオ・サイケデリアの視点に立ったアプローチをし、Concrete ShipsはDaughtersの持つノイズ性をサイケデリックで乗り越え、IT ITも2者とは異なる技法で表現し、今年最重要なアーティストの一人Spelllingは前作のミニマル・シンセなテイストを減退させた代わりにWeyes Bloodの反動とも取れるバロック・ポップな姿勢をサイケデリックに託した。

それぞれのジャンル内でサイケデリック性がいかにエモーショナルな相関関係にあるかがうかがえる。Wooのコンピレーション「The Poet's Progress」を聴くとWooの再評価によってサイケデリックの波が起こっているとしか思えない。

以下これ以外にもエネルギッシュな創作性を含有している作品を挙げていく。


Zach Phillips - Feed a Pigeon, Breed a Rat

Rimon - Digital Tears


Rats on Rafts - Excerpts From Chapter 3: The Mind Runs a Net of Rabbit Paths

Spellling - The Turning Wheel

Concrete Ships  - In Observance

IT IT - Two Squirrels Fighting Each Other at the End of the World

Takeshi's Cashew - Humans in a Pool

Woo - The Poet's Progress

Jupiter & Okwess - Na Kozonga

吉本秀純氏も「現代アフリカ文化の今」の中で指摘しているようにコノノNO・1が欧米のアニマル・コレクティヴやダーティー・プロジェクターズ等に影響を与えた事と併せて「インターネットを介して、世界中の音楽に比較的容易にアクセスできる環境が整ったことも、そんな新たな音楽の楽しみ方を加速させた」と述べているように近年のアフリカで興っている音楽の動向はいずれシーンの中心に据えて考えざるを得なくなるだろう。

それもフェラ・クティに代表されるアフロビート一つとってもその姿勢は複雑でありながら豊かである。Jupiter & Okwessの音はアメリカのブルックリンのThe NarcotixやイタリアのKhalabにも流れている。

The Narcotix - Mommy Issues


Khalab & M'berra Ensemble - M'berra


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ポストパンクの澎湃な運動に劣らず今年はダークウェイブやネオクラシカルの勢いも凄かった。煌々と輝く月に対する深海から下闇の美しさがある。

Patrick Belaga - Blutt

Lingua Ignota - Sinner Get Ready

Future Faces - Euphoria


アメリカーナに起こっている変化はジョージ・オーウェルがかつて見たアメリカの風景にひょっとしたら近いのかもしれない。

Mason Lindahl - Kissing Rosy in the Rain

Yasmin Williams - Urban Driftwood

Old Saw - Country Tropics


Yumi Iwaki - Juniper

ニューエイジの再興による要素がアンビエントの「ポップ化」として顕れたようなYumi Iwakiに対して、Dreeksはグリッチに拠った音を展開する。Dreeksにしてもニューエイジの要素を端々から捉えることができる。Gonjasufiによって、グリッチ・ホップの解釈に選択の幅を広げたと述べたがDreeksやDruidaにはグリッチ・ホップの持つ瑞々しさが備わっている。

その一方でGermán Bringasのように着実にニューエイジの種を撒くアーティストもいるので千差万別だ。Sonaeの「Summer」はエレクトロアコースティックをLeyland Kirbyが持ち得ない用途に活用した。アンビエントとの不気味な架け橋として機能している。

Germán Bringas - Tunel Hacia Tí

Dreeks - Until It Falls Apart

Druida - Musgo

Sonae - Summer

Slikback MELT

テープミュージックも本当に幅広いジャンルに浸透している。それぞれのアーティストが持つ感触を聴き比べてほしい。

Karoline Wallace - Stiklinger

Not Waving & Romance - Eyes of Fate

Thme - Silesco

エクスペリメンタル・ロックが今年注目されたが、その契機にはXiu Xiuの存在が関係していると思うのだがどうだろう。Xiu Xiuの「OH NO」もそうだが11月に唐突にリリースされたMira Calix の「a̶b̶s̶e̶n̶t̶ origin」を聴いていて思う。

Xiu Xiu  - OH NO

Mira Calix - a̶b̶s̶e̶n̶t̶ origin

Hedvig Mollestad - Tempest Revisited


声がジャンルの枠を超えてアルバム全体の力として際立ったアルバムにも注目してほしい。

Remi Wolf - Juno

Laura Mvula - Pink Noise

Really From - Really From

Jane Weaver - Flock

Spivak - Rare Backwards

Riki - Gold


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