アキ・カウリスマキ監督 『枯れ葉』感想
アキ・カウリスマキの新作『枯れ葉』を見た。ストーリーはホラッパとアンサという生活に追われる中年の男女の恋が描かれるのだが、劇中で起こる出来事ではなく色にアクセントを置いた映画のように思えた。
以下『枯れ葉』と『PERFECT DAYS』の一部ネタバレを含むことを最初に断っておきたい。
アキ・カウリスマキ監督は過去に小津安二郎に焦点を当てたドキュメンタリー『小津と語る』の中で、「文学への憧れを捨てて赤いヤカンを探すことにしました」と語っていることからモノクロフィルムではなくカラー映画以後の小津映画に影響を受けたのではないだろうかと思うほどこの映画では、色がストーリーよりも起動性を持っているように感じた。
特にポスターに映る二人の服装に顕著だが、彼らが一つの画面に収められたときは非常に色が効果的に使われており秋を彩る色彩構成になっている。
サイト&サウンド誌内のインタビューで『ラヴィ・ド・ボエーム』でのマルセル(アンドレ・ウィルム)と、『ル・アーヴルの靴みがき』のマルセルは同一人物かという問いに「新しいキャラクターを発明する必要は無いので手間が省けました。(中略)誰もが一つの物語を持っていて、それにバリエーションを加えています。年月の経過とともにそのバリエーションが、面白いのです。礼儀正しく言えばそれをスタイルと呼びます。」と語った部分に小津映画からの影響を感じます。東野英治郎が小津映画では常に酔っ払った人物として出てくるように。
影響だけでなくお互いの理念の中にも共通した考えがあるように思う。
同誌内で「扱っているテーマは重く暗いが、同時に彼らが幸福に見える」と尋ねられたアキカウリスマキ監督は「せっかくチケットを買って映画館に足を運んでくれるのなら、入場したときよりも悲しい思いをして映画館を出て行ってもらいたいとはもう思わない。私は、映画館を出るときに、お金に見合うだけの幸せな気持ちになってもらいたいんだ。」と語り他方で、小津監督は『お茶漬けの味』の構想を訊かれた際に「現実にうちひしがれているひとたちを追求することも大切だけれど、のべつそれでは息苦しいからね。そんなもの、それがいい作品になればいいけれど……お客さんはお金を出して映画をみるのだからね、気の毒ですよ。」と語ったところやトラジコメディに対する眼差しとも取れる以下の発言においてもアキカリウスマキ監督と理念を共にしている。
また、バドモ誌で「悲観主義は特に今日では避けるのが難しいですが、それがどこかに行き着くことはありません。したがって、それがあなたの行動に影響を与えることはない。希望は最後には死ぬものだ。」と語ったところに喜劇と悲劇の区別が曖昧な悲喜劇の可能性を追求しているところにおいても上記の小津の発言にシンクロする部分がある。
同じ時期に公開されたヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』と比較された評が見受けられる。
共通している部分はどちらもドラマ部分に明確な焦点を当てていないところだ。
両者ともに小津安二郎監督からの影響を明言していることが『PERFECT DAYS』と『枯れ葉』の両作品が比較される要因にもなっていると思うが、両作品で共通しているにもかかわらず著しく異なるところが興味深い。
『枯れ葉』の場合、マウステテュトットという若い2人が演奏する救いようのない陰鬱な歌を、コミックリリーフ的な役割を持っている同僚とバーで聴いているシーンは喜劇的だと思う。そしてこの歌が登場人物の心情を観客に伝えるものとして機能している。
それに対して『PERFECT DAYS』における喜劇性は主人公である平山同様に表向きにはよく見えてこない。平山が行きつけの居酒屋の女将(石川さゆり)に密かに好意を寄せていると思われるシーンで、ある時居酒屋で女将と元?旦那と思しき男が抱擁している場面に遭遇し平山は慌ててそこから立ち去りコンビニでビールを3、4本購入し、後から追いかけてきたその元旦那に余命がわずかであるということを突然告げられるシーンは本当に不思議なシーンである。
『PERFECT DAYS』では本が平山の人となりを伝えるものになっていて本棚には岩波文庫をはじめ、講談社学術文庫やちくま学芸文庫、平凡社ライブラリーといった書籍が並ぶので観ているとインテリとしての平山が浮かび上がってくるのだ。
貴田庄著『小津安二郎文壇交遊録』にも書いてあるように小津安二郎の読書遍歴は小林秀雄から幸田露伴、脚本の参考として挙げている里見弴と幅広く、行きつけの古書店で100円コーナーから幸田文の書籍を買って読む平山像に重なる。
前者が心の内面的に顕然と表れる悲喜劇だとすると後者は隠然とした悲喜劇のように思えた。
この記事が参加している募集
サポートよろしくお願いします!紹介用の音楽等に当てさせて頂きます!