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川田十夢の10年前の解説

10年前の橘川幸夫解説

 この文章は、2010年に橘川の処女作「企画書」を電子書籍化しようとして、解説を川田十夢に依頼したものだ。電子書籍化は、いろいろ都合があってのびのびになったまま、フェイドアウトしてしまった。さきほど、新しいメディアを考えていて、テスト的に使うコンテンツを探していたら、これを発掘(笑)川田十夢は、10年間で、けたたまくしくブレイクしたが、10年ぶりに読み直して、いい文章ではないか。ちょっと、新しいメディアでも使わせてもらうが、noteでもメモしておこう。


「企画書」解説
川田十夢(ALTERNATIVE DESIGN++ 代表 / AR 三兄弟 長男)


 本書を読み返してみて、改めて気がついた事がある。「本質」という言葉を一切使っていないのだ。
「本質」という言葉が消費されて久しい。「本質」を捉えていない人が、「性質」に過ぎないことを、本質ラベルを貼って大量流通させてしまったのが原因だ。人々は、「本質」という言葉を軽く見るようになったし、見過ごすようにもなった。スルーしないとやってられない膨大な「本質」が、社会に溢れ返っているからだ。

 確かに便利な言葉である。140 文字以内で端的に物事を伝えることが喜ばれる風潮もある。しかし、その言葉を使わなくとも「本質」は伝えることができる。「現象」の読解から、自分というフィルターを通じて考えることから、言葉そのものを使わずとも「本質」を表すことができる。本書は、そのことを僕にもう一度教えてくれた。

 ところで、この文章とは何か。橘川幸夫の処女作「企画書」の解説である。自己紹介が遅れたが、僕は「AR 三兄弟の企画書」というタイトルを、我が処女作に与えた男である。いうまでもなく、このタイトルの「企画書」部分は、橘川幸夫の処女作へのオマージュだ。このオマージュは、僕が多くのことを橘川幸夫から学んだことに起因している。僕が彼から何を学んだのか、何故僕が橘川幸夫に惹かれたのかを、「本質」という言葉を使わずに表現することで、本書の解説としたい。

「投げっぱなしのインタラクティブ。」
 僕が橘川幸夫のことを誰かに紹介するとき、よく使う表現だ。この人の言葉には、言葉そのものに双方向が宿っている。僕らは受け取った言葉を何度も反芻することによって、知らない間に橘川幸夫そのものと対話することになる。本人と対峙する頃には、何度も対話を重ねているから、物凄く近い場所から会話を楽しむことができる。そういうメタ構造の人物だと、僕は解釈している。

「尊敬も軽蔑もするな。」
 僕が何度目かの「対話」を終え、橘川幸夫と対峙した時。無意識に敬語を乱発していた記憶がある。彼はその状態をこの言葉で一喝してくれた。要は、距離を置かずに同じ地平を見る仲間として、僕を受け入れてくれたのだ。だからという訳ではないのだが、僕が橘川さんのことを公に書く時は、「橘川幸夫」と呼び捨てで表記することにしている。例えば、夏目漱石のことを「夏目漱石さん」とは言わない。敬称を省くことで、示せる敬意もある
と思う。そしてこれは、尊敬にも軽蔑にも値しない。

「マーケティングとブランディングについて」
僕にとって、ブランディングとマーケティングの相違と類似は、物理と数学のソレと同じだ。どちらが正しいという話ではなく、二つの視点から現象を捉えることが大切だと思うのだ。橘川幸夫の文章を読んでいると、複数の視点から現象を捉えようとする記述が多く見られる。キャパシティの狭い人がうっかり彼の著作を読むと、論点がバラバラだとか、ナンセンスなことを言い出しかねない。しかし、彼の著作には色んな角度からの重要な考察が、矛盾することなく併存している。マーケティングの限界と重要性について、橘川幸夫は時代と呼応しながら論じ続けている。この意味を、僕も考え続けている。答えは流動的に、散在しながら一つの概念へ集積しつつある。2011 年、また何かのカタチで日の目を見るに違いない。(そういえば、橘川幸夫は「やきそばパンの逆襲」という画期的なマーケティング小説を書き上げているが、それはまた別の機会に紹介したい。 )

「闇縛り」
 本書には「見えるもの」と「見えざるもの」に関する記述が多く見られる。それは、自身の「闇縛り」体験と無関係ではないと僕は感じている。
闇縛りというのは、真崎守が描いた漫画の中に出てくる自己鍛錬法だ。自分を闇に追い込むことで精神を高めようとする漫画世界の絵空事を、橘川幸夫は現実世界で自ら体験した。
 滑稽に思えるかも知れないが、闇の中に何日も身をおかないと見えて来ないモノが確かにある。実は僕も(真崎・守の存在は知らなかったが)自ら闇縛りを体験したことがある。詳細省くが、こんな極端な共通体験があるのは驚くべきことだ。

「顔の見えるメディア」
本書でも紹介されている「ポンプ」には、重要な縛りがあった。投稿者の実名とプロフィールを明らかにするということだ。全面投稿雑誌である以上、投稿者にある程度の自覚を促す必要があるのは自明だが、「自分の言葉に責任を持つべき」とするその姿勢は、クオリティ云々の担保というより、教育的な発想だったと捉えている。事実、この雑誌は多くの作家を世に送り出した。
 また、本書には多くの人物が実名で登場する。やがて公になる文章の中で、実名を明示するということは、自分と相手の関係を可視化することに他ならない。半端な相互理解では、相手との関係が即座に崩れてしまう。しかし、橘川幸夫は、この難しいコミュニケーションを見事に成立させている。この先駆的な試みは、現代ではソーシャルメディアと呼ばれる仕組みの中で、誰もが体験できるものとなったが、これを 80 年代にすでに紙媒体で実現させていることの意義は大きい。

「自分が影響を受けた人を隠さない姿勢」
 橘川幸夫の驚くべきは、自分の影響を隠さないことである。自分が誰に師事し、誰の思想に感銘を受けたのか、いわばアイデアの源をオープンにしているにも関わらず、独自の視点をしっかり勝ち得ている。むしろオープンにすることで、そこに介入できる余白を作っているようにも思える。僕はその姿勢を露骨に踏襲している。

「橘川幸夫と twitter」
橘川幸夫の最新の言葉は、twitter(@metakit)で確認することができる。これも、今までの文脈を考えると不思議な話なのだが、ソーシャルメディアの先駆者である彼の twitter 活用術はとてもユニークだ。きっと簡単には「twitter 本」を出してくれないと思うので、彼のつぶやきから何を考えて twitter を利用しているのかを想像してみるといいだろう。それが即ち、「メディアについて考えること」だからだ。そういえば、この解説原稿を書いていたら、twitter 越しにこんな言葉をもらった。

「@metakit 談志の言う「芸」と太田の言う「芸」は違ってよいのだ。」

 どこまでメタ構造の人なんだろう。これだから、僕はいつまでも橘川幸夫から目が離せない。


「企画書」は音楽である(笑)


企画書―1999年のためのコンセプトノート(復刻版)

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