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デメ研、引っ越すってよ。

デメ研事務所の引っ越しです。


 学大の事務所を引っ越します。学大の事務所は、1990年に、世田谷区駒沢にあった橘川の自宅から目黒本町に引っ越した時に、橘川の個人事務所として駅に近い新築のマンションを借りました。家賃18万円。バブルの時代でもあったので、どこも家賃は高騰していた。

 入居して、すぐにパソコン通信「CB-net」を開始しました。シスオペはマザーのプログラマーだった亀山くん。草の根BBSのホストマシーンが、デメ研の台所に置いてありました。そこからniftyの「FMEDIA」のシスオペになり、神奈川情報文化専門学校(現在のアーツカレジヨコハマ)のマルチメディア科の立ち上げプロデューサーになり、1996年に学校と一緒に作ったのがデジタルメディア研究所です。学校で使うプロバイダーの選定で、当時、いつも会っていた植松逸雄(故人・孫さんとソフトバンクを創業した男)に相談したら、紹介してくれたのが、当時、新進商会のブタマンインターネットのコンサルやっていた亀田武嗣。プレゼンで気が合い、設立準備中だったデメ研にまきこみました。アンダーセン辞めてふらふらしていた内山隆(現在は天草のアマビズで活躍)と、翔泳社のドクタードブズジャーナル(DDJ日本版)の編集長だった上田純美礼など、そうそうたるメンバーで、デメ研を創業しました。

 学大の事務所には、さまざまな人が訪れ、陰謀会議をやったり、マーケティングの資料を作ったり、宴会やったりしていました。未来食という日本型のマクロビオティック料理のカリスマになった大谷ゆみこさんの「未来食」という本の最終仕上げを、橘川と山下卓(現在・作家)と大谷さんで徹夜で仕上げて、大谷さんが深夜食を作ってくれたのは1994年ぐらい。いろいろとその後、世の中で活躍した人たちが、無名の、普通の人だった時代に、多く集まってくれました。1期から20期までのリアルテキスト塾の教室でもありました。

 この事務所は、橘川が生活していた時期もあったり、息子が住んでいた時もあったり、カミさんの作業場であったりした時代もありましたが、ここ数年、仕事の質が変わり、大勢で作業することも減り、ほとんど、不要な書類や本の物置場と化しているので、断捨離を含めて、小さな部屋に移動することになりました。いろいろ想い出ある場所ですが、引っ越します。

 引っ越しますが、歩いて数分の場所です。駅からは少し遠くなります。橘川の自宅には近くなります。原稿や企画を書くのは、基本的に自宅でやるようになります。引き続き、みんなで陰謀を巡らすスペースはありますので、新しい事務所にもおいでください。とりあえず、一度、新しい事務所を訪問したい、という方がいたら、吉池(deme@demeken.co.jp)に連絡してください。引っ越しは、3月末なので、4月以降になります。

 しかし、家賃18万円を30年払っていたということは、6480万円。買えたな(笑)。

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