明日のデジタル・コミュニティ/純喫茶「キツ」の開店準備中


1.参加型メディアの軌跡


 日本は明治維新による近代西洋化のシフトを開始して、敗戦を契機として西洋民主主義の導入を行った。日本人特有の勤勉さと、組織に対しての忠実な態度は、企業の生産性を高め、歴史的な高度成長を果たした。

 しかし、1960年代の後半、国家や企業による猪突猛進型の社会建設という方法論に、うっすらと限界が見え始めた。上意下達の組織の論理に従うだけではなく、一人ひとりの個人の考えや願いをボトムアップしていく社会が必要なのではないか、という漠然とした思いを僕は持った。

 1972年に音楽雑誌「ロッキング・オン」(その頃は音楽評論投稿雑誌だった)を創刊し、1978年に、全面投稿雑誌「ポンプ」を創刊したのも、そうした時代的な認識があったからである。その動きは、各地のタウン誌や、一般出版社などにも広がっていったと思う。

 1980年代に、デジタル革命のスタートがはじまる。パソコンが登場し、子どもたちはファミコン(ファミリー・コンピュータ)で遊ぶようになる。端末機はやがて通信回線でつながるようになる。アスキーネットがはじまり、ニフティやPC-VAN、日経MIXなどのパソコン通信がはじまる。個人レベルでも、全国で「草の根BBS」と呼ばれる、パーソナル・パソコン通信が広がっていく。デジタル参加型社会の黎明期ともいえる時期だと思う。


2.草の根BBSの時代

 僕も1990年に「CB-NET」というビッグモデルというソフトを使ったBBSをはじめた。これは、自前のパソコンに、電話回線を5回線ぐらいひいて、アクセスして来た人が、掲示板を読んだり書いたりしたりするものだ。たまたま同時にアクセスした人がチャット出来ることもあるが、最大で5人までだ。基本的には、何か伝えたいことや書きたいことがある時にアクセスをして、他の人の書いたものを読んで帰る、というものである。

 僕が個人ではじめたものなので、来訪する人は、友人たちである。大半は、物書きかマーケッターたちで、文章の専門家なので、書かれて内容はレベルの高いものであったと思う。その後、日経クリックを創刊した斎野亨や、晶文社の安藤聡(当時は翔泳社)など、業界の人間なら知ってる連中が集まっていた。「ロッキング・オン」「ポンプ」の読者たちも集まってきた。最大で200人ぐらいの登録だったが、日夜、BBSの中で、大量のテキストが生産されていた。

 ちなみに「CB-NET」のシステム管理をやってくれたのは、亀山雅之くんで、かの「MOTHER」のプログラムを担当した人である。

 1990年から数年、僕の生活は「CB-NET」というコミュニティが中心であった。

3.デジタル・コミュニティの模索

 「CB-NET」を辞めたのは、限定した人間関係のコミュニティの限界を感じたからだと思う。みんな良い奴で刺激的な環境が出来たけど、僕の悪い癖で(笑)そういう安定した関係を突破したくなるのだ。パソコン通信の可能性を、自分の知っている人間だけのコミュニティではなく、もっと、広い世界で追求したかった。

「CB-NET」を辞めて、ニフティで「FMEDIA」というフォーラムを作りシスオペになった。ニフティには、鳴川・細川という、僕の「メディアが何をしたか」を学生の時に読んで「これからはメディアだ」ということで、出来たばかりのニフティに入社した、生え抜きがいた。彼らが協力してくれて、フォーラムが出来た。早速、コミュニティの拡大計画を開始して、「CB-NET」の何人かをサブシスにして、更に、友人であった田口ランディもサブシスにして、一つの部屋を管理してもらった。ニフティの掲示板でたまたま出会った深水英一郎もサブシスに任命した。こうして、「CB-NET」の拡大版としての「FMEDIA」が回転する。「CB-NET」のように現実社会での関係性のある人ばかりではないので、トラブルは多々あったが、これからの社会の構造を見渡すには最適な環境だった。

 そして、インターネットがはじまる。僕は1996年にデジタルメディア研究所を創業して、大企業やベンチャーの連中とつながりながら仕事を進めていった。帯広で、地域プロバイダーの経営者を集めてシンポジウムを開催し、「全国地域プロバイダー協会」を作り、それは「インターネットプロバイダー協会」へと発展した。デメ研の相棒である亀田武嗣が中心になって活動した成果である。

 インターネット初期の地域プロバイダーは、草の根BBSをやっていた残党のような人が多く、何か共通の想いがあったように思う。

 そこから、インターネット・バブルがはじまり、GAFAの世界統一になっていくが、まあ、そのへんは、まるで疎い(笑)

4.憩いの場

 さて。2021年の現在、参加型社会を追求してきた僕が望むものは何かを考えてみた。「草の根BBS」から「GAFA的世界」の道筋は、技術的には正しいと思うが、人間的な立場からはどうなんだろう。システムが理想的に拡張したけど、そこに生きる人間の関係性は理想的に進んだのだろうか。

 僕が「草の根BBS」を始めた時に、漠然とした未来を想定していたことを思い出した。「CB-NET」は、たまたま僕が、友人たちと交流するための個人的なプラットホームを作ったわけだけど、やがて、各自のパソコンが同じ機能を持つようになり、ある個人が、他の個人のパソコンに遊びに行くようになるのではないか。それで、週末には、誰それのパソコンに集まって宴会やろうぜ、みたいになるのではないか。

 その時のイメージは、FacebookやTwitterのように、他人が作った巨大なストリートやキャンパスの片隅で交流するのではなく、一人と一人がつながりながら生きる世界なのである。

 しかし、現実問題として、僕たちは「GAFA的世界」で生きているわけだから、その中でやれることを探そう。純喫茶「キツ」は、インターネット上に作られた「僕の店・部屋」である。遊びに来たい人が遊びに来ればよい。遊びに来た人には、それなりに楽しめるコンテンツや、学びのソリューシヨンを用意していく。「僕の部屋」なので、土足で上がりこんで来る人は、追い出す(笑)。それは、ルールも規約もなく、僕の感性的判断で対応する。

 街頭演説の街宣車や通り魔のあふれている繁華街ではなく、その中で、ひっそりと純喫茶を開店したい。憩いの場とは、外形的な装飾ではなく、その空間での関係性のぬくもりである。

「GAFA的世界」とは違う「草の根BBS」の時に僕が夢見た未来のシステムは、「Teleport」という名称で平野友康が開発してくれるだろうから、それを待とう。

純喫茶「キツ」はまだ開店していません。工事中です。とりあえず「催事フロアー」てテスト放送しています。




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樹喫茶「キツ」に客がこないので。この部屋は、マスターの物語生成工房にしようと思う。

マスター橘川幸夫の小説を連載しています。 オンライン純喫茶「キツ」 24時間営業しています。 https://miraifes.org/…

参加型メディア開発一筋の橘川幸夫と未来について語り合いましょう。

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