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真崎守(まさき・もり) 略歴  

本名・森柾(もり・まさき) 
1941年3月10日 神奈川県横浜市に生まれる   
1945年5月 横浜大空襲を体験、学童疎開で岐阜県高山市へ移る  
1959年3月 岐阜県立斐太高校を卒業 
1960年 貸本「街」の新人募集に応募した「雨の白い平行線」「暗い静かな夜」が入選し掲載される(PNは「もり・まさき」)。翌年7月まで5作掲載後、投稿を中断  
1963年8月 上京し虫プロダクションに入社、TVアニメの演出や制作を担当する(「ジャングル大帝」「わんぱく探偵団」「佐武と市捕物控」等)
1965年4月 貸本劇画誌への投稿を再開
1966年 永島慎二劇場4(描き下し貸本単行本)「燃えてスッ飛べ」刊行。同年10月「札束(ゼニ)に別れの接吻を」で商業誌デビュー  
1967年1月 「COM」(虫プロ商事)に、峠あかねのペンネームで漫画評論を執筆開始。同誌上で、全国まんが読者の集いの場として「ぐら・こん」を立ち上げる
1967年11月 「地獄狼無頼伝」(サンデーP.M→劇画コミックサンデー)掲載開始  
1969年8月 虫プロを退社し専業まんが家として独立、PNは「真崎・守」(ごく初期に「真崎 守」もあり)  
1969年 「はみだし野郎の子守唄」(ヤングコミック)、「ジロがゆく」(別冊少年マガジン他)等の連作開始。その鮮烈かつ革新的な表現と自己希求性により、瞬く間に同時代読者からの熱烈な支持を得る
1971年 「ジロがゆく」で第2回講談社出版文化賞(児童まんが部門)受賞
1972年 「共犯幻想」(原作・斎藤次郎、漫画アクション)連載開始
1973年 「せくさんぶる」(週刊プレイボーイ)連載開始  
1976年 この頃からPNから・(ナカグロ)が消え「真崎守」または「真崎 守」になる  
1977年 ブロンズ社創立10周年記念出版「真崎守選集」刊行開始(~1980年、全20巻)  
1978年 「風漂花」(コスモコミック)連載。「マルコポーロの冒険」でアニメ界に復帰する  
1979年 「水滸伝」(久保田千太郎原作、学研グローバルコミックス描き下し)執筆開始(5巻で中止され未完のまま)  
1983年 アニメ映画「幻魔大戦」脚本(角川春樹事務所) 
1984年 「永遠の生 無限の死 夢のやどり」(SFマンガ競作大全集)掲載
1986年 アニメ映画「時空の旅人」監督・脚本(角川春樹事務所)  
1987年 「風漂花」単行本化(五柳書院)
1990年 「わたしの手塚治虫体験」刊行(JICC出版局) 
1993年 「老子」「荘子」単行本描き下し(徳間書店)

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真崎守ご本人とご家族の協力の元、全資料を整理しています。 日本のアニメや、マンガの土台を作る時期に活躍し、コミケの前身とも言われるグラコンを主催した真崎守の全仕事をまとめていきます。

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60年代後半から70年代を全力疾走したマンガ家の記録。

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