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追悼・信國乾一郎くん

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標題=追悼・信國乾一郎くん
掲載媒体=一週間の日記
執筆日=2009年12月22日
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 2009年12月22日(火)
 今朝、信國乾一郎くんが亡くなった。食道がん。44才。若すぎる。

 信國とは、林雄二郎さんを囲む勉強会「森を見る会」を一緒にやっていたのだが、今年になってから電話しても出ないし、メールの返事もないので、何やってるのだろうと思っていた。夏に澤田美佐子さんから連絡があり、ガンであることを知らされた。僕にも言わずに一人で治そうとしていのだ。見舞いに行くと、相変わらずの強気な姿勢のままだった。

 信國と出会ったのは1994年ぐらいだと思う。寒い冬だった。リクルートの澤田さんが、当時、東京に移動したばかりの高橋理人さんと、若いメンバーで面白い奴ということで信國を連れてデメ研にやってきた。近くのビートルズが流れるバーで、みんなで飲んだ。信國は一目で才気のオーラを発していたのが分かったが、酔うにつれ、なぜか僕は初対面の彼に攻撃的になった。「信國、おまえは、エイリアスのままでここに来たな。本当の自分は自宅の押し入れにしまったままで、ここにいるのはエイリアスだろう」と。エイリアスというのはMACの用語で、ウィンドウズの場合はショートカット。澤田さんが「エイリアスって4Kぐらいしかないよね」と、上手い合いの手を入れてくれた。信國のオーラは間違いなく重量級だったのだ。

 初対面で、相手のことも何も知らずに「エイリアスだ」と決めつけられたわけだが、なぜだか、その夜以降、僕になついてくれた。信國はあちこちで喧嘩ばっかりしているトラブルメーカーだったが、僕の言うことは素直に聞いてくれた。

 やがて、リクルートでは、ミックスジュースが始まり、ISIZEになってインターネット事業に本腰を入れる。リクルートが一番リクルートらしく、雑多な人材がうごめいていた時代だ。信國は「じゃマールon the net」の編集長になる。「じゃマール」は読者伝言板の情報交換メディアだ。参加型メディアを追及するんだと、僕の事務所から「ポンプ」のバックナンバーを持っていき、スタッフたちと分析をしていた。「じゃマール」は、リクルートのメディアなので、とてもやりにくかった。例えば、北海道の人が東京に引っ越すので安い家を探してます、というような情報は載せられなかった。なぜなら、リクルートには住宅情報や賃貸情報のビジネスがあるから、その領域の業務に侵蝕するような情報は掲載出来なかった。信國は、日曜日に個人の時間を使って都内の不動産屋さんを回って情報を集めて、その投稿者に送ったのだ。そういう奴なんだあいつは。

 僕が2000年に「21世紀企画書」という本を出して、大阪で出版パーティをやった時は、リクルートの信國の部署の大半を連れてきてくれた。平日の昼間だと言うのに。信國は僕の弟子だ。これも、僕が勝手に「おまえは弟子だ」と決めたので、信國はびっくりしてた。でも顔は笑っていたので、良いのだろう。

 先週、澤田さんからメールが来て病院に入院したことを知った。見舞いに行ってあげてとも書いてなかったが、すぐに、亀田武嗣くんと一緒に駒沢病院に行った。いろんな点滴がぶらさがっていて、呼吸のマスクもしていて、足なんか骨だけのように細い。でも信國の重量感あるオーラは同じだった。むしろ顔付は精悍そのもので、サムライのようだった。

 信國が僕に話したいことがあると言う。信國に近づいて話を聞いていた。彼は、夏にNHKのクローズアップ現代で放送した番組のことを話しはじめた。それは「助けてを言えない30代」という番組で、学生時代はラガーマンだった男性が、仕事に失敗し、誰にも助けてと言えないまま、孤独な餓死をしていったという話だ。

 昨年、秋葉原で27才の加藤智大が無差別殺人を引き起こした。その事件の後、僕らは「森を見る会」の定例会を霞ヶ関ビルのリクルートエージェントの一室で行っていた。その時、林雄二郎さんが、参加していた僕や信國ら10名ぐらいに対して、衝撃的な発言をしたのだ。「君らだから言うが、僕は、あの犯人の気持ちが分かるような気がする」と。林さんはその時、91才である。

 帰りのタクシーの中で僕は信國と一緒だった。信國が「あの発言、どういう意味なんでしょう」と聞くから「林さんは1968年に情報化社会という言葉を作った時に、ものすごい明るい未来と、正反対の暗すぎる未来をイメージしたんだと思う。その暗い未来に日本は突入したということじゃないか」と答えた。

 ベッドの中で信國は、こう言った。「橘川さん、あの時の答えが分かった。そのヒントがクローズアップ現代の番組だ。助けてと言えない30代は、子どもの時に、どう教育されたか。一つ『自分のことは自分でしなさい』一つ『他人に迷惑かけてはいけません』この二つの言葉に呪縛されて大人になったんだ。だから、助けてと言わずに餓死して行ったんだ。20代の加藤も同じように助けてと言えなくて自爆しちゃったんだ。この教育システムをなんとかしなければダメだ」と。信國、見事なロジックだ。

 僕は同意しながら、ほとんど泣きそうになった。「助けて」を言えないのは、おまえじゃないか。こんなに足が細くなってるのに、おしめして、点滴ぶらさげて、呼吸も一人では出来なくなってるのに、どうして、そんなに精悍なツラしてるんだ。もっと、メソメソしたら良いじゃないか、と。

 信國の手を握って話を聞いていた。信國が時々、手を強く握るので「おっ、握力はあるなあ」と言うと、にやっと笑って更に強く手を握った。生命をふりしぼるように。信國らしいといえば、こんなに信國らしい仕草もない。信國の手の温もりが忘れられない。

 今日は、お通夜だった。リクルートの懐かしいメンバーや、インターネットの草創期の連中が集まってる。SFC一期生で今はブレインパッドの代表の草野隆史がいた。草野が昨年、信國と会った時に「草野、橘川さんと会ってるか」と聞かれて「ごぶさたしてます」と答えると「ダメだろ、橘川さんにもっと甘えなきゃ」と言ったという。ばかやろう、甘えなきゃいけないのは、おまえだろう、信國。ああ、信國の声が聞こえてくる。

 さよなら、信國。おまえのやり残しは、もう少し、オレが面倒みる。だから、天国ではエイリアスでないおまえを出せるようにしておけよ。そして、また遊ぼう。合掌。

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