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神戸市立東須磨小カレーいじめ問題

カレーに罪なし いじめ教師の学校給食中止は筋違い

 神戸市立東須磨小で教諭4人が同僚に激辛カレーを食べさせるなどのいじめをしていた問題を受け、市教育委員会が同小の給食でカレーの提供を中止していることから、インド料理店が「給食のカレーに罪はありません」とツイッターに投稿して話題になっている。インターネットでは「中止にするのは筋違い」といった意見が目立つ。[日刊スポーツ2019年10月19日]

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 何が起きているのだろう。小学校の教諭が、同僚の教諭を、日常的に陰湿ないじめや暴力を振るっていた。そのこと自体が、日本の教育現場において深刻な問題であるのに、その対応策として、ネットで話題になったカレーの提供を中止してしまった。

 それは恐らく、激辛カレーを無理やり食べさせたり、目にこすりつけたりした暴力行為の現場写真が拡散されたために、そのイメージがあるからカレーの提供を停止したのだろう。ここに大きな問題がある。この学校の先生たちは、論理的思考の善悪の判断ではなく、イメージによってさまざまな行動を決めていたように思える。あたかもイメージが払拭されれば(忘れられれば)問題が解決したと理解する感性がここにある。

 いじめられた教諭に対して、論理的な説明や指導がなく、ただ、全体の雰囲気を乱すというイメージが先行して、いじめになったのではないか。いじめはイメージに似ている。

 校長が言うには、加害者の教諭たちは、学校の中核的な存在で、学校運営にはなくてはならなかった存在であったようだ。しかし、こうした、「子どもじみた」教諭たちが中心的に活動してた学校とは、どんなものなのだ。

 何か、近代以前の日本の村意識や方法が、インターネットの時代に、ちょくちょく顔を出す。自分の頭で自分の行動を律するのではなく、周りの気配を感じながら、雰囲気とイメージと忖度で運営する組織。その雰囲気に合わない者は容赦なく切り捨てる。日本組織の根本問題が、未来を育てる最も重要な子どもたちの教育現場で露出しているのではないか。

 これは教育の現場だけではなく、芸能界にも学者の世界にも企業組織の中でも、あるいはNPOの組織の中にも、しぶとくへばりついている旧態依然たる風土である。それは、共同体イメージの暴力である。

 これからの私たちが必要としているのは、共同体のイメージに流されない、一人ひとりの想像力を持つことであり、いじめる者はいじめられた者の気持ちを想像する力であろう。その力を持たない限り、インターネットも、また空気を読む者たちの集団による、個人への攻撃がやまないのではないだろうか。日本人が、子どもの時代から、成長した大人の社会を築けるか、大事な局面である。

追伸

そうか、組体操は危険だと言ってやめるように市長が指示したのに、無視してやって、多数の児童に怪我をさせた教育委員会も、神戸か。カレーいじめと組体操、意識がどこかでつながっている。神戸には、素晴らしい校長がいたはずなのだが。

「組体操、やめる勇気を」神戸市長がツイッターで市教委を批判。やる意味ってあるの?専門家に聞いてみた。



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