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ライフスタイルを創った100の商品全力疾走/高山英男とETC

ライフスタイルを創った100の商品全力疾走/高山英男とETC

出版社 : 東洋経済新報社 (1983/4/1)
発売日 : 1983/4/1
言語 : 日本語
単行本 : 237ページ
ISBN-10 : 4492550658
ISBN-13 : 978-4492550656


◇本書は、子ども調査研究所・高山英男所長と橘川幸夫事務所の共同企画です。9人の関係者が集まり、当時の話題商品を100点選んで、担当分担して商品レビューを書きました。私が、提案したのは、「商品」を「文学作品」のように設定して、その「文学批評」を書くように書こう、というものでした。「商品全力疾走」というタイトルは私がつけました。東洋経済新報社の担当編集者は、村瀬裕己くん。この本で知り合って、その後「データベース--電子図書館の検索法 1984年」(下中直人、滑川海彦、市川昌浩)の発行につながった。

◇私としては、70年代にお世話になった、子ども調査研究所の高山さん、近藤さん、玉造さんたちと、はじめて共同作業で、社会的な子どもを産んだ気持ちの本である。

◇橘川が担当した原稿は以下15本。
はごろも缶詰シーチキン
ナカバオヤシ フエルアルバム
マクドナルド ビッグマック
服部時計店 セイコースポーツダイバー
東芝 もちっ子
ナムコ ビデオゲーム
コンビ コンビサンドラ
リヒト産業 ファイル
東急ハンズ 渋谷店
東芝 ランドリエ
ヤマト運輸 クロネコヤマトの宅急便
二光通販 NASAラストチャンスダイエット
日本電信電話公社 ホームテレホン
日本電気 PC-8001
テンヨー ジグソーパズル

◇「ライフスタイルを創った100の商品全力疾走」は、絶版で、中古では2万円ぐらいの値がついている。あれから長い年月が経ち、今でも商品のついての論評は多いが、実務的なものが多く、商品の持つ本質について語ろうとする手法は、あまり見受けられないように思う。商品社会を発展させていく上で、重要な手法だと思うのだが。

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はごろも缶詰/
シーチキン

 戦後社会のアメリカ化に伴って、ミソ汁に白米という和風朝食が後退し、代わりにパンとオムレツにコーヒーというモダーンな朝食になっていった。畳にちゃぶ台という食卓もキッチンテーブルにと移っていった。「シーチキン」はそのような変化と共に台頭してきて、かつての潰け物や乾物のように、各家庭で保存され食卓に並ぶようになってきた。コンビーフ(馬肉入り)とシーチキンの缶詰は、大方の家庭に少量ずつ保存され補充され続けているのだろう。
 シーチキンの重要な点は、これが"素材商品"ということだ。旧来の缶詰には開けてそのまま食べるようなものが多かったが、これは、ちょっと加工して使う素材なのだ。さて、どのような使われ方をしているか見てみよう。
 アパート住いの女子大生A子さんにとって、シーチキンは必需品。オムレツの具にしたり、サラダに和えたり、こないだは前日に作りすぎたカレーにシーチキンを足して食べました。
 家庭の主婦であるBさんも、ちょこちょことシーチキンを使います。トーストの上に、シーチキン・たまねぎ・ピーマン・メルティチーズをのせてオーブンに。和風朝食の時、ミソ汁にシーチキンを入れることもあります。ピラフやたきこみごはんの時にも使います。あっと、それからBさんは、シーチキンの手巻き寿しが大好き小僧寿しで買う時も自宅で作る時も、メニューのひとつに必ず「シーチキン巻き」が入ってます。
 最近、酒のつまみに凝っている男子大学生C君はシーチキン応用のつまみをいくつか開発した。絶対の自信作は、 マヨネーズに江戸むらさきを混ぜてシーチキンと和えるもの。日本酒でやる時に気にいってる。インスタントラーメンにもシーチキンを入れることが多い。
 シーチキンは実にたくさんの応用法がある。こういうことが可能なのも、シーチキン自体には味つけがあまりしてなくて、しょう油味でもマヨネーズ味でも合ってしまうという点にある。"サケ缶"(最近はずいぶんと高価になった)だと、やはりそのままで食べたい。できたらレタスの上にカタチを崩さないままでのせたい。しょう油を一滴たらして骨のコリコリを味わいたい。こういうものは、とても炒めたり煮つけたりする気にはなれない。
 ところがシーチキンに対しては、何をしても許される。昔からあったただの魚の缶詰をシーチキンというネーミングで、素材であることを認識させてしまったことはすごいと思う。チキンをそのまま食べる人はいない。一九七〇年代の料理ブームの中で、各自がオリジナルな発想でシーチキンを使いこなしたのだろう。
 シーチキンという名前が広がっていった時代は、街に"シーフード料理"というのが広がっていった状況と重なっている。海に対して、人々は、さわやかさとヘルシーな気持ちを抱くようになっていたのだろう。
(橘川幸夫)(写経・具志)


日本マクドナルド/
ハンバーガー

 マクドナルド・ハンバーガーの登場と発展の背景には「街」というものの70年代的変化がある。それまでの「街」は、新宿であれ、銀座であれ、私たちの日常とはちょっと違う場所であり、そこへ行く感覚は、おめかしして出かけていくという「おでかけ感覚」だった。デパートは近所の雑貨屋とは違う特別な「お店」だったし、レストランは近所のラーメン屋とは確実に違っていた。
 70年代になって「街」は旧来持っていた「権威」を喪失し、急速に日常というものに侵食されていった。渋谷や新宿のように、私たちの日常生活のエリアに入りこんでいったのだ。「街」は特別な休日(ハレ)のためにあるものではなく、平日化した。下駄ばき感覚ならぬスニーカー感覚で行ける「街」に変質して、日常的な広場になっていったのだ。
 60年代の若者の象徴がビルの地下室にある「ロック喫茶」や「ジャズ喫茶」だとすれば、70年代は明るい陽射しの中での「マクドナルド」となるだろう。60年代、「街」はまだまだ「権威」だったから、それに反発する若者が街の地下で自虐的にくすぶっていたのに対し、70年代は無闇やたらに明るい。歩行者天国というシステムが、街をますます広場化し、ビッグマックは縁日の綿アメのようにワイワイと買われていく。
 ハンバーガーやアイスクリーム・コーンが発明されたのは1904年のセントルイス万国博覧会だという。そうか「街」は毎日が万博(お祭り広場)のようなものなのか!
 マクドナルドは、街という広場そのものを食堂にしてしまったわけだが、それは同時に「立ち喰い」という、従来の意味での「お行儀の悪さ」をなしくずしに否定していった。登場したころ、常識人(オトナタチ)がまず抵抗を覚えたのは、この「お行儀の悪さ」だろう。それに中高生に対する学校の「喫茶店への立ち入り禁止」という通達も、マクドナルドは見事に盲点をくぐってしまった最近では、女子高生などでも、意外と「喫茶店は嫌い」という子を見かける。喫茶店という閉じられた空間に入ることの嫌悪感が、よりオープンな飲食店舗であるマクドナルドの隆盛を支えた面もあるだろう。
 ビッグマックは、1人で食べるというより、友だち同士でワイワイ食べるのが似合う。旧来の、空腹感を満たすだけの飲食店の食事とは違う“中間食”であり、もしかしたら、コミュニケーションの道具としての食べものなのかもしれない。
 マクドナルドは、1号店が銀座三越(三越というのは、かつて「街の権威」の象徴だった!)にできてから、次々と各街に展開していったわけだけど、それは「新しい街のシンボル」として、食のシティ・ファッションという領域を作っていった。
 ある女子高生が、こんなことをいっていた。
「私の住んでいるところ、いなかだってバカにするけど、マクドナルドだってあるんだから」
 マクドナルドのない街は古い街であるかのように、時代の新しい権威として広がっていったのだ。
(橘川幸夫)(写経・山中)

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