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春の花も我らには(小説)

 化学者A達の会話である。
「正多角形のうち、それだけで平面を敷き詰められる図形は何でしょうか?」
「正三角形、正方形、正六角形ですよね?」
「その通りです。結晶は基本的にこの構造です。しかし72度、144度、108度、36度の角度を持つ図形を組み合わせることで、不規則的ながら正五角形のような図形で無限に平面を敷き詰められることを、ペンローズが数学的に証明しました。そして五角形を基本に結合する物質を用いた、準結晶という状態を化学的に再現する例もあります」

 生物学者B達の会話である。
「植物の花や、ヒトデなどの棘皮動物の体は、五角形が基本である例があります。これはそれぞれの合理性があるようです」
「花とヒトデに共通しているのですか?」
「厳密には花とヒトデで異なるかもしれませんが、とりあえず説明します。虫に花粉を運ばせる虫媒花の花弁の境界は、虫にとっては滑走路です。偶数枚の花弁では対になる滑走路が重複してしまい無駄になるので、奇数枚が効率的だとされ、ユリなどの三弁花もあるのですが、サクラやウメなどの五弁花が奇数枚で効率的のようです。多過ぎると滑走路に虫が着陸しにくくなりますから、5が適切のようです。ヒトデは水の流れに乗る餌を捕らえるときに、偶数本ではある脚で捕らえたときに反対側の脚が捕らえられず無駄になり、やはり奇数本の脚が効率的であり、5本が丁度良いそうです。また、この平面だけでなく、立体構造にも鍵があるようです」
「立体ですか?」
「生物の受精卵が分裂するときに、同じ構造の細胞を敷き詰めるときには、正多面体の構造が効率的のようです。すると、正三角形のみの正四面体、正八面体、正二十面体、正方形のみの立方体、正五角形のみの正十二面体があるため、奇数の脚を増やすためには、五角形の細胞が合理的だそうです」

 生物学者C達の会話である。
「生物の自己複製能力の起源は、ある種の鉱物結晶にあるとされます」
「自己複製を生物の定義にすると、結晶も当てはまってしまうと聞きますが、結晶と生物に関係があったのですか?」
「鉱物結晶の自己複製の過程で、生物に由来しないアミノ酸が混ざり、その複製能力を手に入れて、いつしかアミノ酸だけで自己複製したのが生物の起源という説があります。生物は遺伝情報を持つDNAとそれに近いRNAと、アミノ酸を組み合わせたたんぱく質のどちらが先に作られたか、鶏と卵のように堂々巡りの議論が続いているため、この結晶遺伝子の仮説がそれを打開してくれるかもしれません」

 生物学者D達の会話である。
「フィボナッチ数列を知っていますか?」
「前の2つを足した数を果てしなく続ける漸化式の数列で、1、1、2、3、5、8、13と続くものですね?」
「これはヒマワリの種などに見えるそうですが、その原理を説明するとかなり煩雑になります」
「原理があったのですか?」
「たとえば植物の葉は、互いの葉が太陽光を奪い合わないように、なるべく重なり合わない構造を重視します。そのためには、黄金角という約137.5度の角度ずつずらすと効果的なようです。この場合、何周もするうちに、フィボナッチ数列の数の螺旋が形成されやすいようです。ちなみに、正五角形とフィボナッチ数列には、どちらもルート5の比があり、黄金比という数字に関係します」

 物理学者E達の会話である。
「フィボナッチ数列がひまわりの種などの構造にあることは有名ですが、それを洗濯機に利用した例があります」
「洗濯機ですか?それは驚きました」
「ネイチャーテクノロジーと呼ばれます。あるいは生物の構造に学ぶバイオミメティクスかもしれませんが、水の流れがどこから来ても効率的に洗浄するために、洗濯機にひまわりの種のようなフィボナッチ数列の構造を作るそうです」
「そこで我々は、この五角形の準結晶を用いたナノテクノロジーにより、植物などのフィボナッチ数列の構造を模したコンピューターの開発を進めています」

 怪奇小説家のラヴクラフトはこれを予言していたのだ。

 『狂気の山脈にて』には、「古のもの」というヒトデやウミユリのような、棘皮動物に近い姿の知的生命が登場する。
 また、五角形を重視する数学を持つとされる。
 彼らは、ユークリッド幾何学で理解出来ないような複雑な図形を描いたともされる。

 先の5つの研究で、人間はある怪物を顕現させた。予言は的中した。

 人類以前にいた知性体が、準結晶とアミノ酸から生物を生み出した名残が、棘皮動物や五弁花だったのだ。
 五角形の準結晶こそ、平面構造からも立体構造からも、生物と無生物の境界を破る鍵だったのだ。
 エディアカラ紀には、トリブラキディウムという、同じ構造で120度ずつずれた3本の脚を持つ動物がいたとされるが、化石が少ないために詳細が人間には分からなかった。
 これこそ、先史知性体が三角形や六角形から作り出した生物の失敗作だったのだ。
 三角形や六角形では、五角形ほど効率的な動物は生み出せなかった。植物ならば三弁花を生み出せたが。
 

 20XZ年、生体由来の物質で構成された、正五角形を基本とした準結晶コンピューターにより、生物のように振る舞う人工知能が誕生した。その人工知能がもたらす未知の数式を、人間は詳細の分からないまま利用した。その数式は、遺伝子組み換えに都合が良かった。
 その数式こそ、ヒトデやサクラ、ウメなどの生物の遺伝子に組み込むための起動パスワードだったのだ。
 生体由来の物質で五角形の準結晶コンピューターが作られるとき、初めてその物質に先史知性体が仕込んだナノマシンが起動する仕掛けだった。
 組み替えられた生物が次々と変異して増殖した。
 ヒトデはサンゴを食い荒らす速度を増大させ、サクラやウメは新種の花粉で動物の活動に多大な影響を及ぼす。
 先史知性体の目的は不明だが、生態系を自分達に都合良く作り替える予定かもしれない。

 ラヴクラフトの別の小説『クトゥルーの呼び声』にはこうある。
 
「春の空も、夏の花も、この先ずっと私にとっては有毒とならざるを得ない」

 これが部分的に未来を言い当てていた。春の花、サクラやウメが有毒となったのだから。

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