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扶桑国マレビト伝 ⑰

 やがて大きなドアの前に立った。ハウスキーパーの村井さんがノックをする。向こうから九十九さんの声色が「どうぞ」と返事をした。うやうやしい手つきで村井さんがドアを開き、最初に岩麻呂さんが、続いて里美さん、あたしが入室し、最後に村井さんが入ってドアを閉めた。

 広々とした部屋には絨毯が敷き詰められていた。執務用の大きなデスクは堂々として褐色のつやを放っていた。同じくどっしりとしたソファやテーブルもある。暖炉のマントルピースの上には一目で外国製と分かる銀色のシガレットケースが無造作に置いてあり、その向こうにはガラス張りの背の低い家具があった。ガラス張りの家具の中には南洋の国々から取り寄せたらしいお面やナイフが飾ってある。

文麿男爵はドアから一番奥のソファに腰をかけていた。テーブルには白磁の皿の上においしそうなリンゴが盛りつけてあった。季節外れだから、きっと蝋細工の飾り物なのだろう。

銀ぎつねは火の気のない暖炉のそばで腹ばいになり、こちらへ注意を向けている。

「わたくしはご遠慮なさってくださいとお願いしたのですが、里美さまと岩麻呂さまも同席したいとおっしゃっておいでです」

 憤慨した言い訳じみた村井さんの言葉に、文麿男爵がうなずいた。

「なんだ、岩麻呂もわしに用か」

「ええ」

 岩麻呂さんはそそくさとソファに腰を下ろした。その隣に里美さんが身を滑り込ませる。九十九さんと村井さんは壁際に立ったままだ。あたしはどうしていいのか戸惑った。

「あなたはこちらに」

 村井さんが一歩前に出て、里美さんの向かいにあるソファを片手で示した。ありがとうと会釈してから、ぎこちなくその席に座った。

「伯父上、この屋敷にぼくを住まわせているのは、ゆくゆく正式に養子として迎えていただけるからなのでしょうね」

「念を押すまでもなかろう。お前の父はわしにとっては末の弟じゃ。疫病や内戦、影鬼の被害で血縁の者はお前しか残っておらん。だが、まだ若輩ゆえ性質を見定める必要がある。養子縁組を急ぐことはあるまい」

 岩麻呂さんのカナリアが室内を飛び回ってさえずる。喜びに満ちた調子で。

「婚約を破棄したいとはどういうことですの」

 里美さんが声を上げた。髪の中にいたザリガニが肩に滑り落ちて来た。苛立ちの感情でザリガニがはさみを振り上げている。

「わたくしの藤ノ原家は由緒正しい公家華族。門条一族とは格式も同等でございますわ」

「事業に失敗し、借財まみれの藤ノ原家じゃないか」

 岩麻呂さんがそっとつぶやく。その横顔を里美さんがきっとにらみすえた。文麿男爵が片方の眉をあげた。

「婚約破棄? さて、わしは知らぬぞ」

「とぼけないでください。華族同士の婚姻はゆくゆく政府要人をその一族から出すための公的な事業ですわ。つまりは身分高い家柄の者たちが帝をお支えし、国を導いているのです。わたくしはそんな計算された婚約であっても、岩麻呂さまをお慕いしていますの。この方こそ運命の相手と思いつめて参りましたわ。それなのに、なぜ婚約破棄などと」

「よせ、とぼけているのではない」

 文麿男爵が片手をあげた。里美さんが口をつぐむ。

「岩麻呂、里美どのは何か誤解している。お前から説明しろ」

「いやあ、困ったな」

 片手を頭にやり、ソファの背もたれに体をあずけた。カナリアが黄色い翼をはばたかせ、どういうわけかあたしの右手の上に止まる。手首から肘へ、二の腕から肩までのぼってきた。

「実はぼくも意外だったのですよ、伯父上。里美がこの屋敷に来るまで、何も知らなかった。青天の霹靂というものです」

「うそよ! わたくし、あなたからの手紙で『伯父上のご命令で婚約破棄をせざる得ない』とあったから驚いてこちらへ参りましたのよッ。その手紙がこれですわ!」

 小さなハンドバックから薄緑色の封筒を取り出した。乱暴にテーブルに叩きつける。

「中をお読みになってくださってもよろしくてよ! さあ、岩麻呂さま、どう言い逃れなさいますのッ」

「やめてくれないかな、里美」

 うんざりした口ぶりだった。それから救いを求める目の色で文麿男爵の方へ身を乗り出す。

「さっきからこの調子なもので、ぼくも困っていたのですよ。でも、心当たりはあります。きっと大学の悪友のいたずらですよ、伯父上。ぼくが在籍している大学ではもっぱらウワサになっているのですが……連中が言うには『将来扶桑国の国政を担う若者はマモリガミを持たぬ子を産ましめる必要から、異国の貴族令嬢との婚姻が奨励されるらしい』と。つまりは扶桑国の近代化のためには、ぼくのような華族の未婚男性は積極的に異国の女をめとらねばならないというわけです。たぶんそいつらの仕業ですよ。この怪文書は」

「やめんかッ」

 文麿男爵が立ちあがった。岩麻呂さんをにらみつけている。カナリアがあわててあたしの肩から飛び立ち、岩麻呂さんの膝に移動した。目をぱちくりし、しきりに翼をすぼめて身震いしている。

 どさりと音を立てて文麿男爵が再びソファに座り、左足を上にして足を組む。

ヘビを首に巻き付けた九十九さんがシガレットケースから葉巻を取り出し、葉巻の端っこを切った。それを文麿男爵に手渡した。素早くガラス製のライターで火をつける。

葉巻を深々と吸い込み、紫煙を吐き出すと文麿男爵があごを上げた。

「里美どの、今日のところは帰りなさい。岩麻呂も申した通り、きっとその手紙は何者かのいたずらじゃ。そのようなたわけた茶番に動揺してなんとする。女は一族の血を絶やさぬために子を産むのがつとめじゃ。とくにあなたのような身分ある娘は言動を慎まねばならぬ。華族の婚姻は家同士が決めた厳粛なもの。……もし令嬢に対して婚約破棄などしたら、その一族が受ける恥辱は計り知れぬ。後々まで遺恨を残すは必定。門条一族としては、藤ノ原とのご縁を何よりも大事に考えておりますと、あなたの口からお父上にお伝えいただきたい」

 静かな口調の中に、騒ぎ立てたことへの叱責が含まれている。

文麿男爵の冷厳さに圧倒されたらしく、里美さんは姿勢を緊張させていた。

「……わかりましたわ。ではこれで……失礼いたします」

 すねた表情でテーブルの上に置いた封筒をバックにしまい込み、ソファを立ち上がった。隣の岩麻呂さんにきつい視線を投げたけど、何も言わなかった。

 村井さんがドアを開き、里美さんを飲み込んでからドアが閉められた。

胸にためていた息を一気に吐き出したのは岩麻呂さんだった。

「あの手紙はまったく迷惑な怪文書ですよ。伯父上にまでお手数をかけてしまって、面目ありません」

 頭を下げたけど、立ち上がるそぶりは見せない。あたしはてっきり、このまま里美さんを追って退室すると予想していたのに。

葉巻の紫煙をふうっと岩麻呂さんにぶつけたのは文麿男爵だった。

「岩麻呂、この娘が亡き涼加が育てたシクヌの孤児だ」

 葉巻の先をあたしに向ける。あたしは二人に会釈した。自己紹介しようと口を開きかけたとき、その葉巻が左右に振られる。

「涼加が死んだそうじゃな」

あたしに向けての一言に、全身が強張った。文麿男爵は足を組み、革靴で覆われた爪先をゆうゆうと動かしている。

「で、孤児院を営みお前を育てた、と……」

 あたしはやっと気持ちを引き締めた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。はじめまして、レランマキリです。この名前は涼加先生がつけてくれたんです。マキリと呼ばれていました」

「変わった名だ。ふん、蝦夷地の土人の名か。なぜ扶桑国風に名を改めぬ。蝦夷地土人矯正法を知らんのか」

「いまはそんなことはどうでもいいと思います」

 できるだけ冷静にそう言った。でも、胸の中に怒りが湧く。

「お会いして、十六年前に涼加先生がこのお屋敷を出た理由が、なんとなく分かりました。あたしは先生への哀悼の気持ちを分かち合いたくて、文麿男爵に会いたかったのです。蝦夷地でどんな暮らしをしていたのか、どういう人たちが涼加先生を慕って集まっていたのか、影鬼に襲われたときのことを伝えるために」

「いまさら、それはどうでもよいのだ」

 怒りと悲しみが沸点に達した。もうこの人と話すことなんかできない。諸見沢くんからの頼みがあったけど、なによりもあたし自身が知りたいことがたくさんあったけど、こんな冷たい傲慢な人から何を聞き出せるっていうんだろう。

「そうですか。どうでもいいのなら、このまま失礼します。……あの、あたしが着て来た着物を返してください。このドレスと着替えますから」

 立ち上がって背を向けたとき、座れ、と右手で向かいのソファを示された。あたしは躊躇した。

「わしが涼加を失ったことで苦しんでいないとでも思うのか? 涼加はただの男爵令嬢ではない」

「苦しい? 悲しくはないんですか、寂しくはないんですか……」

「とにかく座れ」

 命じることに慣れている人だ。素直に従わないあたしを不思議そうに一瞥する。岩麻呂さんもうなずいている。

ふと好奇心が湧いた。文麿男爵はどういう心理状態を説明するのだろうか。
あたしはソファに腰を落ち着けた。

「悲しんでいる。十六年前にここを出ていったときから。涼加はわしの一人娘である以前に、一族の誇りをかけて育てたはずの巫女であった。悪しきマレビトの力を封じ、善なる力を我が国に導く巫女でなければならなかったのだ」

「我が門条一族については、神話にある通りだよ」岩麻呂さんが鷹揚に言葉を添えた。「常世から来るマレビトをもてなし、あるいはそれが邪神であった場合は封じる。まあ、ぼくにはそういう能力はないけどね」

「……盾の魔法陣で、封じることができるなら、門一族の末裔でなくてもできるのでは?」

 あたしがやったように。そう続けたかったけど、いまここで金色のチョークを出して昨日のことを打ち明ける気にはなれなかった。そばに九十九さんがいるし、文麿男爵にも気が許せない。

「盾の魔法陣、か。あの技はかなり高い画才がないと力を持たぬ。ただ図形を覚えただけの者が描いても、それは封じる力などないのだ」

 文麿男爵の言葉を耳にして、あたしは肩を落とした。マモリガミを頼らずに誰もが身を守れる技術が盾の魔法陣だと期待していたのに。

 同時に、九十九さんへの不信感がまた深まった。わたしにはそれほどの力はない、と船内で言った。画伯と呼ばれ、大聖堂の壁画を手掛けるほどの人が、盾の魔法陣を描いて力を示さないはずがない。この人はうそつきだ。

 灰皿に葉巻の火口をぎゅっと押し付けてから、文麿男爵が続けた。

「かつて存在した内裏御所の奥の間に、我が一族が守って来たのは岩盤に描かれた『扉』の壁画じゃ。内戦によって失われたそれは、常世と現世をつないでいたのだ。マレビトはその『扉』をくぐって現世に現れ、偉大な力で扶桑国に恩恵をほどこしてきた」

「はい。聞いたことがあります」

「だが、影鬼が生まれるようになった。『扉』が失われた結果、マレビトの力が一つの規律を失ったのかもしれぬ。我が一族は新たな『扉』を描いてマレビトを現世に招き、影鬼を抹消させねばならぬ。これは一族としての責務である」

「……あの、話の腰を折るのは気が引けますけど、影鬼はたぶん……マレビトの意志を受けて扶桑国を再生させようとしているらしいんです」

「なんだと?」

「しゃべることができる影鬼が出現したことは、新聞でも報じられましたよね。その内容から考えると……現世、つまりこの扶桑国の水や空気が汚れて、その影響で常世も汚染されてホロブ……と訴えています。だから、影鬼は死ぬと緑に覆われた土くれになるわけです」

「我が国が、近代化してはならんと申すのか」

「いえ、そういうわけじゃなくて……常世への影響とマレビトの意志と、その力を封じることで奇病に悩んだ涼加先生の気持ちを考えると、胸がつまって」

「奇病?」

 意外そうに文麿男爵が問いかけた。

「涼加は影鬼に食われたのではなかったのか?」

 体に植物が生え、肌が樹木化していく業病であったことと金色のチョークに化身したことは我楽多日報は報じてはいない。でも、九十九さんはあのとき見ていたはずだ。

九十九さんから文麿男爵は聞かされていない。この人は涼加先生の父親だというのに。

こんなことがあるだろうか。まさか、実の父親に一人娘の死に際を伝えないなんて。

 とっさに壁際に立つ九十九さんを振り返っていた。かしこまった仮面の表情。

九十九さんの隣では村井ゆず子さんがメガネを取り、ハンカチを目元に押し当てている。

 村井さんの姿に励まされた。少なくとも一人いる。涼加先生の死を悼んでいる人がこの部屋に。

「病気について……九十九さんは何も?」

「九十九、涼加は病で亡くなったのか?」

「いえ、影鬼の襲撃によるものです」

「それはそうですけど……。それ以前に、涼加先生は業病で……」

 口をつぐんだのは『統制派』の単語が頭の中で明滅したからだ。

 政治家として失脚した文麿男爵が、もしもマレビトを支配して国力を豊かにする野心がある統制派の首領だとしたら。九十九さんはこの人の命令を受けて行動している。

業病で苦しみ全身を金色の粉となって散らしてしまった異様な滅び方をした涼加先生。

そのときの様子を伏せているということは……。

サッシュベルトにはさんだ小刀と金色のチョークをそっと押さえた。

このチョークを九十九さんは独り占めしようとしているんだ。

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