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扶桑国マレビト伝 ⑮

 翌日、出窓からの日差しで目覚めた。一瞬、ここがどこなのかわからなかった。

ベッドに膝立ちして外を見ると、三叉路を馬車や人が行きかっている。

朝、というには陽が高いような気がする。いま何時だろう。一階のカラクリ壁の向こうにある掛け時計を頭に思い浮かべながら、あたしは昨日の着物を身に着けた。

そっと部屋を出た。

「おや、お目覚めかえ」

「おはようございます」

 廊下でばったりおみつさんに会って、ぎこちなく挨拶した。

足元にオオヤマネコをまとわりつかせているおみつさんは、黒地に赤い線で薔薇の花が描かれている着物をまとっていた。耳隠しに結い上げた髪に気取ったそぶりで手をやっている。

「おはようってのはお門違いだね。そろそろ正午だ」

ちょっと気まずそうに一度口を閉じた。

「昨夜は悪かったね。蝦夷地の土人と異人の混血を見たのも、マモリガミがいないヤツに会ったのも初めてことだったんで驚いたのさ。悪く思わないどくれ」

「……はい、気にしていません」

「で、錬は? まだ寝てんのかえ」

 無遠慮にあたしを押しのけ、おみつさんはオオヤマネコと一緒に部屋の中をのぞきこんだ。

あたしは真っ赤になった。この人、あたしが男の子と一緒にベッドに入ったと思い込んでいたなんて。

「おや、いないじゃないか」

「あ、当たり前ですっ」

「ふん、まだおぼこかえ。娘なんざすぐ熟れるってのに……。あんたも錬も晩熟(おくて)なのかねぇ。あんたたちと同じ年ごろの書生なんざぁ、もっと遊んでいるよ。まあ、せいぜい生真面目すぎて死に急ぐようなこたぁないよう気をつけな。恋の楽しみを教えてやろうって気まぐれを起こして、ふざけた艶文を錬にやったわっちの言葉じゃあ、ありがたみがないだろうがね」

 妙に感心したような拍子抜けしたような声色を残し、おみつさんはヤマネコを従えていそいそと階段を降りていった。

 おみつさんに続いて階下へ降りたくはなかったけど、洗面所は一階だ。それにおみつさんはすでに身づくろいをすませていたから、洗面所を使いはしないだろう。

案の定、そのままカラクリ壁の向こうへと出かけていった。壁が機械音をたててぐるりと回転するとき、「いい男と食事するのさ、どうだい、わっちがうらやましいだろう」とせせら笑った。

別にうらやましくない。

でもおみつさんは根は悪い人じゃなさそうだ。

 洗面用の小さな桶に水を満たし、たもとに入れて持ってきた手ぬぐいを使ってざぶざぶと顔を洗った。髪を梳いて一本の三つ編みにし、かんざしを使って頭頂でとめる。

 水銀の鏡に映った自分の顔をのぞきこんだとき、カラクリ壁の向こうで馬車が止まった気配がした。

 洗面所を出たとき、再びカラクリ壁がぐるっと回転して諸見沢くんが現れた。

「おはよう」

こんにちは、と言うべきかなと言い淀んだとき、目を輝かせた諸見沢くんも「うん、おはよう」とうなずいた。

「朝一番で昨日の影鬼襲撃事件の記事をまとめてから、斯波(しば)の門条邸まで行って来たんだ。そしたら驚いたよ。男爵がすぐマキリさんに会いたいってさ」

「どういうこと?」

「詳しいことは九十九さんから説明があると思う。我楽多日報の記者を名乗ったら門前払いだったんでぼくは同行できないから、代わりにマキリさんに色々と探って来てもらいたいんだ」

「たとえば?」

「十六年前の涼加さん失踪事件の真相。影鬼を封じた魔法陣は一般人でも使えるのか、とか。……常世と現世が影響しあっていて、扶桑国の大気が汚染されたことが原因で影鬼が発生するなら、それを阻止する方法を門条一族が考えているのか、どうか」

「割とつっこんだ質問だね。わかった。ちゃんと聞いて来る。あたしだって知りたいことだもの」

 きっぱりうなずくと、諸見沢くんはたもとを取らんばかりにしてあたしをカラクリ壁の向こうへと押しやった。

 ずらりと並んだ壁掛け時計の向こうに玄関があり、そこに九十九さんがかしこまった姿勢で直立している。その背後には馬車が止まっていた。

「男爵の命により、お迎えに上がりました」

 昨日とは打って変わってうやうやしく頭を下げる九十九さんに、あたしは少し気おくれしていた。気まずく「こんにちは」と声をかけたとき、九十九さんが顔をあげた。

「詳しい話は馬車の中で。あなたを屋敷に引き取ると男爵はおっしゃっています。講宿にはもう戻しませんので、宿にある荷物など捨ててすぐ馬車にお乗りなさい」

「え、ただの面会じゃないんですか?」

 思わず諸見沢くんが眉をひそめた。その表情から、あたしが門条邸に引き取られるとは予想していなかったらしい。あたしも抵抗した。

「荷物を捨てるなんて、講宿に迷惑ですよ……」

「とにかく、お急ぎを」

「いきなりだけど仕方ない……マキリさん、荷物はぼくがあとで届けるから」

 荷物を届ける口実で、門条邸に来るつもりなんだ。あたしたちは目をのぞきこみあい、うなずいた。

「うん。じゃあお願いね」

ほとんど一方的な展開に、緊張したあたしは着物の胸を押さえた。

二本の金色のチョークはふところに、小刀は帯にはさんである。使ったばかりの湿った手ぬぐいを小さく折りたたみ、たもとに入れた。

大時計のそばにいる諸見沢くんに「じゃあ行ってくるから」と声をかけて玄関を出る。

馬車は二頭立てでドアに小さな窓がついている。背もたれは素材が絹なのか、織物模様に光沢があった。クロはオオワシの姿で馬車の屋根にとまっていた。

九十九さんの向かいにあたしは座らされ、馬車が動き出すとクロが飛び去った。

「昨日は帝都ホテルに滞在するよう勧めましたよね、男爵に会えるのはいつになるのか分からない、とも」

 ちょっと用心深い口ぶりであたしは九十九円蔵さんに話しかける。九十九さんの首に巻き付いた灰色ヘビは何の反応も示さない。

「偶然なのだよ」悪びれない調子で九十九さんがうなずく。「予定ではこの夏、男爵は軽井沢の別荘から戻らないはずだった。だから昨日はそう言ったのだ。……蝦夷地にもしも涼加がいたのなら、イヤな思い出がある帝都へ戻りたくないだろう。軽井沢へ連れて参れ、そこで親子の再会を果たしたい……とおっしゃっていた。だが、余子(よこ)浜(はま)港に入る門条海運の商船が漁船と衝突する事故があってね。その事故調査と積み荷の被害状態などの確認と対応のため、急遽、別荘から戻っておられたのだ。こうした事柄は蝦夷地から耶麻都を移動していたわたしは知らなかったのだよ」

 そうですか、とあたしはうなずいた。

 とにかく、これで涼加先生のお父さまに先生のことを伝えられる。黄金のチョークに化身した涼加先生は、きっと影鬼との戦いを終わらせたいと願っていたはず。

マモリガミ、影鬼、そしてマレビトとの関わり合いについて、少しでも門条文麿男爵が知っているなら、それを教えてもらいたい。桃子ちゃんと康夫くんを元に戻す手がかりを得るためにも。

「でも、あたしをいきなり引き取る……というのはどういうことです」

「ある意味で涼加さまの薫陶を受けたマキリさんは……男爵にとって孫のような存在だ。あなたを見つけた手柄はあの探り屋のものだが、おかしな記事であなたが傷つかぬよう配慮してくれているのだよ。あなたはこの恩に報いなくてはいけない」

 恩義を押し付けられたけど、いまは反発する余裕もなかった。

やがて馬車が二つ目の大きな橋にさしかかった。

 本当に大きな橋だった。二車線に歩道がついているくらいの幅があって、欄干にはガス灯がついた鉄製の柱が何本も立っていた。想像上の魔除けの動物をかたどった金属製の飾りがついた看板には「帝都扶桑国橋」と書いてある。

「見なさい、マキリさん。これが扶桑国橋だ」

 九十九さんにうながされ、あたしは馬車の小窓へ顔を寄せた。

「銀座で大火事があって以来、建物も路地も、レンガ造りに再開発されたのだよ。辺境の蝦夷地ではありえない景色だろう」

 大きな銀行や貿易商の看板をかかげたビルはどれも五階建てくらいだ。広い歩道に植えられたケヤキ並木と日差しを受けた川面の輝きが目を楽しませてくれる。

 大通りに面した石造りの建物の窓はタイルで縁取りがされてあったり、飾りの彫刻がほどこされてあったりした。遠くに教会の尖塔がそそり立っていて、その手前にはこんもりと緑が密集している。どこからか、扶桑国特有の古いお寺の鐘の音が響いてくる。

 路地には線路が敷いてあって二両編成の市電が走っていたし、すれ違う人力車には着物を身にまとった女の人が猫を抱いて乗っている。

肩に紐を斜めがけして木箱を腰に下げた男の人が、頭に止まらせた九官鳥と一緒に「鱶川(ふかがわ)名物かりんとう、うどん粉を練ってのばして油であげて、砂糖をかけた、かりんとうだよ。一袋五銭だ」とリズムをつけて物売りの声をあげていた。

海老茶色の袴のすそをなびかせて自転車をこいでいる女の子のそばを犬が走っていれば、ハンチング帽をかぶって着物をまとっている男の人も羊を連れて歩いていた。

天秤棒の両端に大きな荷物をぶらさげた男の人はネズミを肩に乗せて「大福もち、大福もち、昔通りのつぶしあんに塩が入った大福もちはいかがぁ」と声を響かせている。

当然、人々の周りにいる動物はマモリガミたちだろう。人と動物と外国風と扶桑国風の風景がごっちゃになって、奇妙なバランスをとっていた。

 やがて馬車は広い石畳の路地に入った。

レストランや雑貨店、本屋が軒を連ねている。緑にあふれた公園沿いにそのまましばらく進むと、大きな建物が見えて来た。

大理石で出来ているような白い建物で、入り口に広い階段が設置されている。全体的に巨大な円筒形だ。屋根もお椀を伏せたような丸屋根で、丸屋根を支える円柱には無数の縦筋が彫り込まれてあった。

「あれが大聖堂」

 九十九さんがあたしにささやく。

「本日は外からながめるだけにしておくが、いずれ中へ入ることもあるだろう」

「ルーシ正教の教会に似ていますね」函伊達にあったルーシ正教会を思い出していた。「九十九さんが内部に壁画を描くんですよね?」

「うむ。内戦や影鬼被害で命を落とした人たちの慰霊の場。……文麿男爵が私財を投じて建設した特別な大聖堂なのだよ」

 九十九さんの口の端がきゅっとつり上がり、目の奥が底光りした。

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