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扶桑国マレビト伝 ⑱

「十六年前、涼加はおのれのつとめを放棄したのだ」
 あたしの葛藤などおかまいなく、文麿男爵が声を投げつけた。
「扶桑国が近代化し、常世に住むマレビトなど迷信じゃと忘れ去ろうとしている者たちがいる。だが、門条一族には先祖代々からの重い役目があるのだ。それは新たな『扉』からマレビトを現世に出現させ、その力をもってこの国を守り豊かにするという。……涼加はしかし、それを放棄したのだ。……傑出した才があり、その才を伸ばすべく留学させたのは画技を極めさせるためであった。優れた画技を体得すれば、涼加は一族でもっとも偉大な巫女となるはずだった。それなのに西洋の思想にかぶれ、恥知らずな出来損ないとなって帰国した。なによりもわしは悲しい。一人娘が出来損ないであったことが、娘の死以上にな」

「マレビトを支配……」あたしはたどたどしく確かめた。「それは、統制派の考えでしょうか?  政治のことはよく分からないですけど……。十六年前、男爵は涼加先生の才能を統制派として利用しようとしていたのですか?」

 だからこの屋敷から涼加先生は失踪しなければならなかったの?

「相手が誰であろうと、涼加先生をおとしめるなんて許しません」

 気づいたらぴしゃりと言い放っていた。

「なんじゃと?」

「誰も救ってくれなかったあたしを、唯一助けてくれたのが涼加先生なんです」

 あたしは捨てられたんだ、実の親にすら。桃子ちゃんや康夫くんだってそうだ。あの子たちはあのまま全身が石化していくのだろうか。あの呪いを解くカギは……。

「お前はかなりな画力があるそうじゃな」

 いきなり文麿男爵が話題を変えた。訴えたいこと、質問したいことはたくさんあったけど、どれから口にしていいのか分からない。くやしい。諸見沢くんだったら自分を見失ったりしないだろう。だけどあたしは、文麿男爵の問いかけについていくのがやっとだった。

「え……あ、はい。新聞のコンクールで賞をいただきました」

片手をあげたのは文麿男爵だった。それを合図に素早く壁際から九十九さんが移動して、デスクにあった書類を整えると文麿男爵に手渡した。万年筆を添えて。

文麿男爵がすっとその書類と万年筆をあたしの前に置く。紙面に視線を落とし、あたしは困惑した。

「養子縁組の書類じゃ」

 いくつかの空欄にはあらかじめ文麿男爵が文字を書き入れてあった。たぶん、あたしに記名を求めているのだろう。でも、養子縁組?

「なんだ、自分の名前も書けぬのか」

 あきれたような声色をぶつけた。文字くらい書けます、と目をあげながら、ふと尋常小学校を退校させられた苦い記憶が呼び覚まされた。

「マキリと申したな。マキ……いや、お前の名はこれから『門条麻央』にしよう。わしの養女としてここで暮らすのだ。よいな」

「どうしていきなりそうなるんです。あたしは……ただこちらへ引き取ると聞いただけで」

「数日前から新聞が涼加の件で騒がしい。帝都から消えて蝦夷地で母方の旧姓を名乗って暮らしていたと我楽多日報が暴露したせいじゃ。警察を使って圧力をかけたが、押さえきれなかった。十六年前……お前の年頃とちょうど合う勘定だ。涼加は混血児を蝦夷地で産んでいたということにして、我が家が改めてお前を門条男爵家に受け入れる……。そういう発表をすれば、華族の利権を妬んでいる愚民どもも納得して矛をおさめるだろう」

「門条麻央……もんじょうまお、か。いい名前じゃないか、レランマキリよりずっといいよ。おめでとう」

岩麻呂さんが明るい声をあげた。その笑顔を文麿男爵へ向ける。

「いずれぼくがこの家を継ぐことになれば、麻央は妹ですか? 財産や事業が女に与えられるわけはないし、画才があるなら一族の者にしておいて損はありませんね。蝦夷地シクヌ人の血より、華族令嬢・涼加さんと異国人との混血児という触れ込みで社交界にデビューさせれば、マモリガミがいなくてもむしろ名誉なことですよ。見事な手腕です。伯父上には感心いたしました」

 軽々しくて薄っぺらな人だな……。ぼうぜんとなりながら、そう思う。

 帯にはさんだ小刀をそっとなでた。

「お名前だけはいただきますけれど……養女のことは、お断りします。だって、あたしはただ、涼加先生のことをお知らせしたかっただけなんです。同じ孤児院の子たちが影鬼に襲われてマモリガミを失って……もう身動きもままならない。ああいう呪いを解くカギを求めてここまで来たんです」

「マモリガミもおらず、土人と異国人の混血ではこの国では生きづらいぞ」

 文麿男爵がたたみこむ。胸の奥がずきりとした。

 そうだ、半分がシクヌ人であること、両親を知らないこと、マモリガミを持たないこと。いつもあたしは苦しかった。逃れたかった。影鬼、出来損ないと軽蔑され、白い目を向けられた。いつ自分が影鬼に変化するんじゃないかと、不安にさいなまれた。

「改名し、わしの養女になれば我が一族の由来やマレビトがいる常世について、古文書を読ませてやる」

 諸見沢くんもあたしも知りたい情報が得られる。なにより、涼加先生の遺志を継ぐことができるかもしれない。

「扶桑国民としての姓名があるべきなんだよ」

 テーブルごしに手を伸ばし、岩麻呂さんがあたしの手をつかんだ。やんわりと握り、手の甲を撫でまわす。そっと万年筆を握らせた。

「蝦夷地土人矯正法に従わないといけないだろ?」

 

そのあと、村井さんが広い邸宅の離れへと案内してくれた。

廊下を歩くあたしの頭の中では、蝦夷地の景色やイオおばさんとベンリウクおじさんの顔がぐるぐると回転していた。消えてしまったトペムペとイワンケ、その所有者だった桃子ちゃんと康夫くんも。

ベンリウクおじさんは猟銃を構えていて、その銃口をこっちにむけている。表情は笑ってはいない。獲物を狙う姿勢だ。視線にはあたしを責める気持ちがにじんでいる。イオおばさんも桃子ちゃんと康夫くんの体をさすりながら、こっちをにらんでいた。

レランマキリ、扶桑人の名前を名乗るのは法律があるから仕方のねえことだが、あんた、このまま華族になっちまうのかね? 触れ込みだけでも涼加先生の娘になれて、よかったじゃねえか、ええ? 内心では助かった、これでシクヌ人と蔑まれずにすむ、いままでの自分を切り捨てられるって感じているんだろうね。なにしろあんたは、涼加さんの本当の娘になりてぇと願って来ただろ。

だけどよ、あんたを産み捨てた母親がどういう気持ちでその小刀を託したのか、ちょっと考えてみろ。本当は捨てたくなんかなかっただよ。シクヌ人の血、異国の男の血。おめえの気持ちはどうあれ、その体に流れるその血はかけがえのねぇもんだ。それをマモリガミがいねえの、両親の顔を知らねえの、自分は捨てられたのとおのればかりをかわいそうがって、結局は自分を蔑んでいたのはおめえ自身ではなかったのか?

正式に華族の養女として受け入れられた瞬間、一切合切の侮蔑から切り離されてホッと救われた。そういう思いが胸にこみあげたろう。

その救われた気持ちになったことで、同時に激しい後ろめたさでお前は顔があげられねえのだ。

代わる代わる脳裏に響くイオさんとベンリウクおじさんの声。

暗闇の中で泣きむせんでいる桃子ちゃんと康夫くんの姿が胸にせまった。

こんなのは全て想像だ。自分の心の声をシクヌ人夫婦の声色で語っているだけ。第一あたしは自分自身を手放したわけじゃない。マレビトと常世について真実に迫るために、華族の一員となって何が悪いの……。

頭を振って何度もそう自分に言い聞かせる。

 

「こちらは涼加お嬢さまが使っていた離れのアトリエでございます」

 村井さんの声でハッとなった。顔を上げるとアイボリー色のドアがある。ハウスキーパーの村井さんがカギを使ってそのドアを開いた。

「元気がありませんね、麻央さま。慌ただしく色々と決められたことで、困惑しているのでございましょうけど」

 まおさま……? 相手の顔をのぞきこんでいた。村井さんは視線を受け止めている。

それが自分のことだと気づいた。もう誰もあたしをマキリともレランマキリとも呼んでくれないのだろうか。

日当たりがいい一室だった。長く使われていなかったらしく、家具は埃よけの布がかかっている。でも蜘蛛の巣一つない。ほのかに油彩の匂いがする。蝦夷地の孤児院で涼加先生があたしに買い与えてくれた油彩絵の具を思い出す。

壁には何枚もキャンパスが立てかけてあって、中央にはイーゼルがある。白い布ですっぽりと覆われているイーゼルには、四角いキャンバスがかけてあるようだ。もしかしたらまだ完成していない絵画なのかもしれない。十六年前から、描き手を待っていたキャンバス。それは男の人の背中くらいの大きさだ。

突き当りの大きな窓からイングリッシュガーデンが絵画のように広がっている。天蓋がついたベッドには薄紫色の紗のカーテンが下げてあり、勉強机は広々と大きい。そのほかに表面に陶器のタイルをはったティーテーブルがあり、椅子が二脚そえられていた。

あたしは部屋をゆっくりと見て回った。

ここで絵を描いていたんだ、涼加先生は。

 幸せだった涼加先生の過去を想像したい。でも、文麿男爵という父親のもとで、どういう幸せがあったのだろう。あたしは胸がつまった。

「どうぞお使いください」

 ハンカチが差し出され、あたしは自分が泣いていることに気づいた。折りたたんだそれで目元をぬぐう。

「ありがとうございます……。でも、これは嬉し涙じゃなくて……」

 この部屋をあてがわれ、華族の一員になれたことを喜んでいると思われたくはなかった。たとえヘンクツ者だと思われたとしても。

「あなたを誤解しておりました」

ぽつりと村井さんがつぶやいた。初めて声に感情が含まれている気がした。

「最初、涼加お嬢さまの死を踏み台にして、あなたは金品を要求するために蝦夷地から訪ねて来たのだと、わたくしは考えていたのです。でもそれは、男爵さまとの会話で払拭されました」

「村井さん……」

「涼加お嬢さまはわたくしにとって大事なお方でした。この部屋を掃除するたび、わたくしは十六年前のことを自問自答していたのです」

「……十六年前……」ハンカチを返してまじまじと村井さんのメガネの奥をのぞきこんだ。「もしかして、涼加先生が帝都から失踪する手伝いをしたのは、あなた……?」

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