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探偵になるまでの2,3のこと ⑳


「永沢光江は死んだ母親の家や土地を売ってお金を独り占めしていたって聞いています」

宮本定克の言ったことを思い出していた。

「鷲尾麻美さんに貢いで貧乏になっていた豊田久巳なのに、マンションに住んでおいしいものを食べて、きれいな陶器に囲まれて暮らしていた。そのお金はたぶん、永沢光江から出ていたんだ。その永沢光江が鷲尾麻美さんを殺した。もしかして、決定的なところでは豊田久巳は永沢光江の言いなりだったんじゃないですか?」

 服部警部補と奥田巡査が一度顔を見合わせ、息を飲んだような表情でぼくをながめた。

 母さんが顔をおおったままささやいた。

「チャンスマートの駐車場で、いきなり後ろから口をふさがれたの。身動きできなかったわ。不眠とお酒で情けないほど弱くなっていたのね。殴られた気もする……。気づいたら両手首を後ろに縛られて、あのマンションのクローゼットに閉じ込められていた……」

「マンションの防犯カメラを避けるため、非常階段であなたを運んだようです」

「……それは苦労だったでしょうね」

 顔から両手を放した母さんはつらそうだったけど、泣いたりしていなかった。父さんがいなくなってから、やっとしっかりした本当の母さんに戻ったような瞳の光りだった。

「帰って来た永沢光江が豊田久巳を責めている声が聞こえたわ。どうして三加茂の女房をここへ連れ込んだのか、どこか遠くへ捨ててくればよかっただろう……って。いきなりクローゼットからわたしを引っ張り出して、髪をつかまれて蹴ったり、ぶったり……。ヒステリックな永沢光江を止めたのは豊田久巳だった。豊田久巳は言ったの」

……こいつには三加茂重彦が犯人だと言わせよう。家族として謝罪する映像をネットに流して、三加茂の犯罪を認めさせる。そのためには顔に傷を負わせるな……

失神すれば水を浴びせられ、正気に戻ればまた暴力を振るわれた。どれくらいそんな時間が交互に繰り返されたのか、母さんには分からないという。

「黒田圭子を名乗った永沢光江は……だからぼくを拉致したんだ。母さんに父さんの罪を証言させる人質として」

 思い出して怒りを覚えた。

「台風の中、ポルシェで移動中にあいつは色んなウソをついたよ。父さんが会社の金を横領していたとか、母さんを捨てて鷲尾麻美さんと駆け落ちしようとしていたとか。……全部ウソだったんですよね」

 質問には奥田巡査がうなずいてくれた。

「生まれながらの虚言名人だったんだ。その場かぎりのウソを並べ、人を誘導し、発作的、衝動的に行動する。永沢光江は人から注目されたい、賞賛されたいという気持ちがとにかく強い女だ」

「だからか。あの人、ほとんど完璧にいろんな役を演じるくせに、すぐボロを出しちゃうんだ。派手好きで贅沢を見せびらかすタイプなのに、古い『山田』の空き家で潜伏生活していたからストレスを感じていたんだね。深紅のポルシェと香水を手放せなかったなんてさ」

「夫からのあのメールは」

 母さんが問いただす。

 そうだ、メールがあったんだ。『とんでもないことをしてしまった。彼女を殺した。わたしも死ぬ。探さないでくれ』まるで言葉をぶつ切りにして並べたような下手な文章が。

 右手を額にやり、母さんが声をしぼりだす。

「あのメールがあってから、怪文書が回された上に、職場でもトラブルがあって……。違う、違うって否定していたのに、ネットからの情報が正しくて、本当は世の中に申し訳ないことを三加茂がやったのかもしれない、極悪人なのかもしれない、だから、ああいうメールを寄こしたとしたら……いつのまにか、そんな気がしてきて……。そう思ってしまった自分が情けなくて、許せなくて……。だから、お酒なんかに逃げて……良真が苦しんでいることにも、すぐに気づいてやれなかった……」

 ついに嗚咽をもらした。母さんの肩に手を置いて、ぼくは「もういいよ」とか「もう大丈夫だから」とか「もう終わったんだよ」だとか気休めでしかない、いくつかの言葉を並べるしかなかった。もちろん、以前のように母さんは「ほっといて!」と怒鳴って手を振り払ったりしなかった。

「あれは父さんからのメールじゃない。父さんはスマホを奪われたか、シムカードを抜かれていたんだよ」

 そうささやくと、母さんはやっとしゃくりあげるのをやめた。きれいなハンカチで涙を押さえた。

 それを見計らったように、そっと服部警部が目くばせする。奥田巡査がぼくらにうなずいた。

「三加茂氏のスマホが豊田久巳のパソコンにつながれていました。デスクの引き出しからお宅の鍵も発見しました」

「それで、三加茂の行方については……」

 母さんが服部警部補と奥田巡査を交互に視線を動かす。服部警部補がうなずいた。

「豊田久巳から人殺しを請け負った猫島藤成。九月十八日の午後六時ごろ、和歌山に出張した三加茂に路上で言いがかりをつけ、仲間数名と取り囲んでバンに乗せた、と証言しました」

 奥田巡査が言い添える。

「仲間は三人いましたが、バンに三加茂氏を乗せたあとは猫島藤成から金をもらいその後は関与していません。猫島藤成が単独で三加茂氏を車で奈良郊外の山林へ運び」

 言い淀んだけど、一つ大きく息を吸い込んで続けた。

「絞殺したのち遺体を山林に捨てた、と証言しています」

 そのとき使ったバンは特定され、猫島藤成の仲間だったという男たちも確保されているという。猫島藤成の言葉を受けて父さんを殺したという現場と、遺体を捨てたとされる近くの山林に捜索隊が出ている……。

「いまだ遺体は発見されていません」

 説明を耳にしながら、別のことを思っていた。

鷲尾麻美さんが首を絞められたとき、一時的に意識を回復させたために永沢光江は頭部を石で殴ったんだ。

もしかしたら父さんは山林に転がされたあと、意識が回復して必死に山を登り道路にたどり着いているかもしれない。現在進行形で家に帰ろうとしているんじゃないだろうか。

良真、さつき、遅くなったね。ただいま……。

そう言って灰色の一戸建てのドアを開くために。

「猫島藤成は三加茂氏を襲ったあと、速達で豊田久巳のもとへ三加茂氏のスマホや鍵といった身の回りの品を郵送。豊田久巳は自分のパソコンにつないでスマホを起動し、あのようなメールを送ったというわけです」

 ぼんやりしているぼくの注意を引こうと服部警部補が咳払いし、眉間にしわを刻む。

「ところで、君が配信したライブ映像だけどね。いくら削除しても拡散が繰り替えされて、すべてを抹消しきれない状況なんだ」

 横から口を入れたのは奥田巡査だ。服部警部を取り成す表情だった。

「永沢光江のスマホで配信した映像では良真くんの顔も姿も映ってはいなかったわけで、だから、プライバシーは守られていますよ」

「些細な気休めだな、奥田。スマホをずっと掲げて撮影していたのは彼なんだから、それは当然だろう」

気難し気に服部警部は一度口を切り、更に表情を厳しく引き締めた。奥田巡査の取り成しは無駄だったようだ。ぼくはますます身をすくめた。

「あのときの映像はすべて警察で証拠映像として管理する。しかし、だ。狡猾な凶悪犯二人を相手にするなんて無謀すぎるぞ! 隙を見て逃げることができなかったのか? 近くの交番に助けを求めれば、そんな怪我はしなかっただろうし、お母さんも我々が保護できたはずだ」

豊田久巳の行動をもっと警察が見張っていれば、チャンスマートで母さんは拉致されなかったんじゃないか。マンションの防犯カメラの監視はどうなっていたのか。

そこのところを突っ込んでみたかったけど、いまはやめておいた。

「最初はスマホを奪って逃げるつもりだったんです。相手が宮本くんの叔母さんだと察したときに。でも、永沢光江がぼくを連れ回すということは、きっと母さんは無事だと思ったし……」

 言い訳だなって思ったけど、ぼくはやめなかった。

「それで、あのアカウントを観た瞬間、ライブ配信を思いついちゃって……。ネットでいやがらせをされたなら、ネットを使って仕返ししてやろうって。どうせなら父さんの居所もつかんでみせるって頭に血がのぼっちゃったんです」

「永沢光江のアカウントを見た瞬間、思いついたというのか」

「そうです」

 二つのアカウント。

一つはぼくがイジメられている映像コンテンツを投稿したせいで制限がかかっているのは分かっていた。だけどもう一つは?

 ネットチューバーについてちょっと調べたことがある。検索エンジンのオンラインサービスを運営している大手企業、グーグムに自動的に紐づけされていることは分かっていた。グーグムに買収されて以来、ネットチューブはメールと同じくグーグムの支配下のアプリだ。

 もう一つのアカウントなら、動画をライブ配信できるかもしれない。

そう思った瞬間、ひらめいてしまったんだ。

メメラン・チャンネルのアカウントをぼくが使用していると「敵」に印象付けることを。

「無鉄砲だなぁ」奥田巡査が首を振る。「本当に心配したんだぜ」

「すみません」

 大人しくぼくは頭を下げた。それから、疑問だったことを口にした。
「でも、あのライブ配信を見て警察が出動したんでしょうか?」
 あの台風のさなか、パトカー出動してくれたことで本当に助かった。だけど、タイミングが良すぎる気がする。

「君の同級生が自宅に電話をしてきたんだよ。緑川夏子さんと言ったかな」
「え……」
「心配して『ちゃんと帰っていますか?』と電話を。そのとき小学校で午後の授業がなくなったことと路上で複数の男子とトラブっていたと知ったんだ。ご近所に君の足取りを聞いて回ったら、福部さんというお年寄りが見ていたんだね。公園の前でポルシェが誰かを押し込んで急発進したところを」
「じゃあ、あの車を手がかりに追ってくれたんですね」

 きっかけは緑川さんだ。感謝してもしきれない。

「無鉄砲も無茶も、これからは絶対にしないで」

母さんが釘を刺す。手を伸ばし、ぼくの右手を強く握る。目が潤んでいた。𠮟りつけるような口ぶりだった。

「良真が包丁を持った男に壁に押し付けられたのを見たとき、もうだめだと……。あんな危険なこと、二度としないで」

力をこめると身体のどこかに響いて痛むのか、すぐに顔をしかめたけど。

曖昧にうなずいて、ぼくは母さんの手の甲をそっと叩いた。

 

中庭を去り際、奥田巡査が服部警部補にささやいているのが聞こえた。

「三加茂良真……。あの子、探偵の才能がありますよ。いずれ警官志望するといいですね」

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