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探偵になるまでの2,3のこと ⑮

やがて大きな銀行の建物やオフィスビルが建ち並んでいる通りへ出た。陸橋の上を走ると、海岸に突き出したネオンに輝く湾岸都市が見渡せた。

 とんでもなく遠くへ来たような気分だ。空が暗いせいだろうか。それとも台風のせいだろうか。

 再び空が白っぽく輝いた。ガラスを流れ落ちる雨水の影が、車内に不自然な形を描いている。続いて落雷の音。近くに落ちたな。それもごく身近に。

 不意にぼくの手もとを黒田圭子があごでしゃくる。ぼくがランドセルのふたを持ち上げ、ペンケースを出していたから。

「何をごそごそと……」

「別に。忘れ物はなかったかな、と思って」

黒田圭子の横顔を稲妻の光りが縁取った。少しイラついたらしい。乱暴に髪をかきあげた。

「ぼんやりしているのか、落ち着いているのか分からない子ね」

頭の中を整理しながら、ぼくは口を開いた。

「同じ小学校の五組の宮本定克の叔母、永沢光江が父とぼくの写真データを持っているらしいんです。しかも公園での映像が録画され、ネットチューブに投稿されました。宮本に問いただすと、叔母の永沢光江の指図だったって。あ、言いそびれました。その人、物流センターでアルバイトしていたそうです。で、いまは青羽市海潮区のマンション『シャトー・ヴィラ』に住んでいるって」

ぼくが話している間、黒田圭子は一度もこっちを見なかった。

「何かひっかかりませんか?」

「なにが?」

「鷲尾麻美さんのストーカーをしていた豊田久巳の住まいが同じマンションなんです」

「あそこは八階建て中規模で、部屋数は八十……。同じマンションにいるからって、同居しているとは」

口元を笑みでゆがめて言いかけ、一度口をつぐんだ。

「まさか、あんた永沢光江が豊田久巳と共犯だとでも?」

口ぶりがどことなく乱暴になる。ぼくに対しても「あなた」から「あんた」に変更された。ぼくは黙って黒田圭子を見つめた。

「なにが言いたいのさ。ふん、やっぱりガキだね。言うことは全部、仮定だろ! 最後にカモシレナイってつくんだ。なんの証拠もない」

「確かなことなんか、どこにもない」

またどこかで雷が鳴った。ぼくは一度同意して、反論した。

「でも、さっき言いましたよね。ぼくんチにはいま、警察官がいるんです。帰りが遅ければ、すぐ手配する。第一、こんな真っ赤なポルシェだ。ものすごく目立つ」

 黒田圭子がヒステリックに笑い声をあげた。ハンドルを叩き「そこにもカモシレナイがつくに決まっている」とわめいた。

 ポルシェはすでにネオンの中に入っていた。中央分離帯は広い緑地で大きなケヤキ並木になっている。車のヘッドライトに照らされた暗い暴風雨の中で、ケヤキの枝が大きくうねり狂っていた。

「……ネットチューブのポピナンTV……観ましたか?」

 黒田圭子は返事をしなかった。ぼくは繰り返した。今度はもっと強い口調で。

「あのコンテンツ、観ましたか? ぼくの父が職場でパワハラをしていたって涙ながらに訴えた人がいたんです。紙袋をかぶった女の人です。観たはずですよね。だって、あれはあなたの自作自演なんだから」

「はぁ? 何言ってんだか~」

 不意に素っ頓狂な声色でぼくを小ばかにしはじめた。以前なら、頭に血がのぼったかもしれない。でもいまは確信に近づいているという手ごたえを感じていて、心のどこかがさめていた。

逆に黒田圭子はすっかり頭に来ているようだ。

「あのね~いい加減にしなさいよ? これだからガキって嫌い。父親の頼みであんたを運んでいるんだよ。感謝しなさいよ」

「その女の人、その映像ではっきりと証言したんです。ぼくの父が職場で暴力をふるったせいで、鼓膜が破れたって……。でも、あんたの耳はよく聞こえるみたいだ」

 雨の中、交差点で停車した。信号待ちだった。ポルシェが停車する周囲で、盲人信号機が甲高い音を響かせている。ここの信号機はちゃんと動いているらしい。

「その人、『ゆきえ』って仮名で動画に出演していたんです。あれ、あなたですよね?」

 黒田圭子を名乗っていた女が、ギョッとなってこっちを見る。目が大きく見開かれていた。

身を乗り出し、ぼくはすかさず運転席と助手席の間に設置されたドリンクホルダーの上に手を伸ばす。そこに置かれたバックを奪った。

「ちょっとッ!」

「動かない方がいいよ」

 すでにぼくはペンケースからカッターナイフを出していたし、刃も三センチくらい押し出していた。おまけに切っ先はハンドルを握る相手の左ほほにぴたりとつけている。

「左手の甲にある黒子。しかも中指と薬指と小指の付け根に三つならんでいる……。証言者の『ゆきえ』って人の手にあったのと同じだ」

「こんな黒子がどうしたっていうのよ。はは、変なガキ! イジメの原因はそういう変なヤツだからじゃんよー」

「ぼく、イジメなんて一言もあんたに言わなかったよ」

 黒田圭子を名乗っていた女が沈黙する。口元の引きつった嘲笑が消え、深いしわが刻まれる。

奪ったバックを左手で探り、スマートフォンを抜き出す。カッターナイフを右手で突きつけたまま、左手でスマートフォンの液晶画面を相手に示すのはちょっともたついた。

「何よッ。誰かに電話しろっての?」

「指紋認証? それともピンコード?」

「入力すると思うの? は、バカな子ね」

「ピンコードか。別にいいよ。ぼくはこのスマホを持ったまま、車を降りて交番に駆け込むまでだ。きっと父さんのスマホからシムカードでも抜いて使っているんだろ?」

 一度言葉を切り、大きく息を吸い込む。

「あんたが出張した父さんをどうしたのかは、まだ分からない。でも、たぶん人を雇って誘拐するか、どこかに連れ去っているんだ。鷲尾麻美さん殺害の犯人に仕立てるために。母さんを家から呼び出したのは、二階にあった父さんのパソコンに濡れ衣の映像データでも入れるためじゃないのか?」

「なんのことを」

「とぼけるのは時間の無駄」ぼくは決めつけてやった。「ぼくが母さんを心配して家を出たのを見計らい、あんたは侵入した。鍵は合い鍵を作ったか……父さんから奪ったに違いないんだ。家から何かを盗むためじゃなく、父さんのパソコンにデータを入れるために。ストーカー野郎だったという証拠のデータを入れるためにさ」

「ばかなこと言わないで」黒田圭子を名乗っていた女が笑顔で取り繕う。再び言葉つきを和らげた。「この台風でしょ。助手席でいろいろ言われてカッときちゃったの。暴言吐いて悪かったわ。センター長にあなたを保護するように頼まれているというのは本当よ」

「それだと父さんは会社のお金を横領し、鷲尾麻美さんと駆け落ちする途中で鷲尾さんを殺したってことになる」

「ええ、家族としては信じられないのは無理もないでしょうけど」

「どっちにしても、今の状況ではぼくを誘拐している」

背中にいやな冷たい汗が流れる。いまこうしている時間にも、母さんがどんな目にあわされていることか。

「あんたがぼくを誘拐した罪を警察から追及されたとき、切り抜けられるようにぼくがこのスマホに『自分の意志でポルシェに乗りました』ってメッセージいれるから、ピンコード教えてください」

スマートフォンを差し出すと、女はためらいながらしぶしぶ四桁のピンコードを入力する。液晶画面の上にいくつものアプリが浮かび上がった。

これでいつでも使える。カメラアプリの録画ボタンをクリックした。

「ちょっと! 自分でこの車に乗ったって言いなさいよッ」

 片手を伸ばしたけど、ぼくはサッとスマートフォンを引いた。右手でカッターを突き付けた。

女は舌打ちし、ハンドルを握り直して沈黙する。

 窓にぶつかる風雨の勢いがざあッと響く。

「あんたはしゃべりすぎた。ぼく、イジメなんて打ち明けなかったのにさ」

「イジメについては……し、親戚の子が文星小に通っていて、耳に挟んだのよ」

「すごいな」

 正直、感心しちゃった。

 とっさに体勢を立て直して本当のことをまじえてウソをつくなんて。スマートフォンを起動させられて、カッターを突き付けられている状況で。

「じゃあこれから、あんたの化けの皮をはぐから。反論があるならそう言ってよ」

 相手は返事をしなかったけど、ぼくは続けた。

「父さんの下でバイトしているあんたは、鷲尾麻美さんと顔見知りだった。もちろん、豊田久巳とも。証言者『ゆきえ』として言っていたよね、鷲尾麻美さんとは親しかったって。父さんが和歌山に出張中、あんたは鷲尾麻美さんを森部五色村に連れ出して殺した。ストーカーの豊田久巳に頼まれたか、脅迫されたのかは分からないけど」

まだ信号は変わらない。交差点に人はまばらで、どの人も傘をすぼめて足早に通り過ぎて行く。雨がウィンドウを激しく叩いた。

「母さんを誘拐したのはたぶん、豊田久巳だ。本当ならチャンスマートに母さんとぼくの二人を呼び出し、家をカラにするはずだったのにぼくが留守番していたから。このスマホであんたは豊田久巳と連絡を取り合い、豊田久巳はやむなく母さんを誘拐した。で、帰りが遅い母さんを心配したぼくが家を出たすきに、あんたは父さんのパソコンに証拠データを入れたんだ。そのときぼくが帰って来て、電信柱とブロック塀の影に隠れたってわけだ」

「……ちょっと、人のスマホに何吹き込んでいるのよッ」

「あのときぼくを襲わなかったのは、もう用事がすんでいたからだ。父さんのパソコンに証拠を仕込むってミッションが。……それに、ぼくが警察を呼んでくれた方がそのデータを早く発見してもらえるしね」

「ホントにそんなこと考えたの?」ぎこちなく女が笑みを浮かべる。「だったらあたしが黒田圭子の名前で電話して、いまも黒田としてあんたを誘拐していることになるじゃない」

「そうだよ。その通りだよ」

「カッターしまいなさいよッ!」ついに女の額に青筋がふくれあがり、唾を飛ばす。「このクソガキが……ッ」

「このポルシェにしたって、不自然」

 ぼくはすかさず言い放った。

「こんな目立つ車、あの住宅地を走れば人目につく。チャンスマートのメガネのおじさんも気にしていた。だけどぼくはほとんどこの車を見ていないんだ。そのはずだよね。実際はずっとぼくんチの近所にあったのに、いつもカバーで覆われていたんだから」

福部さんの隣に「山田」って表札がかかっている空き家。いつのまにかそこに車が駐車されていた。それがこのポルシェだ。

「あの家のガレージ前を歩くと、ときどき甘ったるい匂いがして変だなって思ってたんだ。おばさんが使っている香水の匂いがね」

「お、おばさんですってッ。生意気ッ!」

 信号が変わり、前の自動車が動き出す。ポルシェも走り出した。

 女は荒々しく右手で髪をかき上げた。ハンドルをさばいて女は追い越し車線から左の車線に降りた。

「もともと近所はあんまり外に出る人がいない。通販とかネットスーパーを利用して静かに暮らしていれば、誰も山田家にあんたが住み着いているなんて気づかないのかも。外出するときはきっと変装しただろうしね。いまみたいに。でもお気に入りの香水はつけていたんだろ」

回覧板に挟まれた誹謗中傷の怪文書。公園に隠しカメラを設置したと思われる三脚の痕跡。偽名を使って母さんを呼び出し、自宅へ侵入した人物。

「カッター一本をバカにしない方がいいよ。いまだって、あんた怯えてるじゃないか。顔に傷をつけられるかもってさ。そんなに大事? 顔が。ドラマや映画に出るはずがないのに。破れちゃった女優の夢がさ」

女がグッと唇を噛み、ハンドルをつかむ手を震わせる。

 

宮本定克の叔母、永沢光江。

それがこの人だ。

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