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扶桑国マレビト伝 ㉓

第四章 大聖堂

 

「こがな大襲撃が、どうして……」

諸見沢くんの言葉は問いかけじゃなかった。クロは体を震わせてオオカミに戻り始めていた。

まだ炎がくすぶっているピアノを横目でながめ、あたしと諸見沢くんはダンスフロアから廊下へ出た。そこにも生きる屍と化した人々が彫像のように倒れていた。

階段を降り、玄関ホールを出た。

「文麿男爵と岩麻呂さんの二人は、無事に避難できたのかな」

「……あそこだ」

諸見沢くんが指さした方を見て、愕然となった。

鹿鳴館の門を抜けたところに馬車が止まっている。馬が所在なく路地を蹄で叩いていた。馬車のドアが開かれて、いままさに馬車に乗り込もうとしている姿勢のまま、岩麻呂さんと文麿男爵が石化していた。

「助けを呼ばなきゃ……」

「とにかく、ぼくら二人じゃ手の打ちようがない」

 歩くうちに心細さと不安、悲しみが胸に迫って来た。

月明かりで青白く浮かび上がる路地には生きた人間もマモリガミもいない。無人の市街にはガス灯がともり、ビルの窓にも点々と灯りがついている。

目を疑ったのは、御者席に石化した人を乗せた辻馬車が路地を通過していったから。

ほとんど同時に、背後の線路をけたたましい騒音をたてて二両編成の市電が走って来た。あたしたちはハッとして身を引いたけど、市電はブレーキをかける気配もなかった。運転席でレバー操作しているはずの人は、すでに石像化していた。

市電は減速もせず、カーブに突っこんだ。曲がり切れない。車体のスプリングがきしむ音が響く。パンタグラフに青白い火花が散る。市電はそのままビルの壁面に激突した。

「おおごとや!」

真っ先に諸見沢くんが駆け付けて、火を避けてねじまがった金属板とシートの残骸を取り除きはじめる。

市電は連結器の部分がちぎれていた。一両目はビルに、二両目は横倒しになって書店の入り口まで転がっている。クロが鼻先をがれきに突っ込んでしきりに人を探し回った。

電気制御のどこかがショートしたらしく、窓が割れた市電の車体が炎を吹き上げはじめた。左右を見たけれど、誰も救助に走り寄る人もいなければ、声を上げている人もいない。

「無事ですか? 返事をしてください!」

「怪我人はおらんか? 車両から出られますか。声を出しとおせ」

あたしも諸見沢くんも大声で呼びかけたけど、客車をのぞきこんで息を飲んだ。

つぶれた車両の屋根の下敷きになっていたのは石像化した人たちで、親子もいれば恋人同士らしい男女もいた。会社帰りのカバンを脇にはさんだ人、着物をまとっている人、おしゃれな髪形の人もいれば、鳥打帽をかぶっている人もいる。どれも体の一部を破損していた。頭部を失っている石像、胴体や手足をかたどった石像がばらばらになって転がっている。

誰一人、生身の人間はいない。

この人たちを所有者として存在し、守護するはずの動物の姿をしたマモリガミたちもまた、そこにはいなかった。

あたしは立ちすくみ、息をひそめた。

帝都にはいま、人の気配がまったくない。その理由はこれだ。

鹿鳴館だけでなく、これほどまで大規模な影鬼の襲撃があったなんて。

それなら斯波(しば)の門条邸にいる村井ゆず子さんたちは? 余子浜の黒岩周五郎さんは? おみつさんは? 蝦夷地は?

帝都がこのありさまなら……。背筋が凍る。想像するのも恐ろしい。

あたしは震える体を自分で抱きしめた。

クロがすさまじい遠吠えを発した。背筋を伸ばし、顔を夜空に向けて。

遠吠えは痛々しいほど激しく周囲に響き渡った。これほど怒りと悲しみに満ちてたなびく獣の声を、あたしは聞いたことがない。

振り返ると、諸見沢くんが素早く顔をそむけた。左腕を上げ、ぐいと顔をぬぐっている。

あたしは声を失った。いままで一度も影鬼にひるみもせず、戦ってきた強い男の子が泣くなんて。

「……錬」

 近づくと諸見沢くんはちょっと鼻をすすってから、鉄筋がのぞいたがれきを蹴り、背を向けて歩き出した。追いついて手を伸ばして左手をつかむと、ぎゅっと握り返してくれた。

 しばらく、あたしたちは無言だった。

 諸見沢くんが足元の小石を蹴る。

「たぶん、影鬼たちは想像もつかない大集団で帝都を襲い、鹿鳴館へ押し寄せたんだ」

「イナゴみたいに……」

「いまのところどれくらいの規模なのかは分からないけど」

「でも変じゃない? 影鬼たちはいままで生きるために人を食べてきたわけでしょ? こんなに大勢の人が完全に石化してしまえば、食料にはならないと思う」

「相手は異形だ。石だって食うかもしれない」

「だけど、噛みキズがついている人は少ないようだよ?」

「じゃあ、マモリガミを狙ったのか。人間を動けなくするために」

「あたしにはそんな風に思えるけど……でも、だとしたら、どうしてそんなことを影鬼は……」

「統制派を潰すため」諸見沢くんがぼそりとつぶやいた。「新政府内にいる統制派の考えはこうだ。常世にいるマレビトを支配すればマモリガミも影鬼も操ることができる……」

「じゃあ影鬼は……マレビトの意志を受けてマモリガミを襲ったというの? 人ではなく」

「あくまでも仮説……」

 あたしはうなずいた。

「辻褄はあっているよ」

「マモリガミが見えない絆で所有者と結ばれているように、影鬼も常世にいるマレビトとつながっている」

 諸見沢くんはそばにいるクロを見上げた。

「マモリガミは所有者を守る一方で、とんでもない弱点だ。呪縛といってもいい」

 所有者はマモリガミから遠く離れることはできない。

 所有者の命が尽きる前にマモリガミが消滅すると、所有者は生きながら石化していく。

「近代化したいまではよその国では野蛮の証拠だと思われているから、政府要人はマモリガミを疎んじてすらいる……。マレビトの力でマモリガミを与えられたのなら、マレビトの力をもってすれば扶桑国の人々はこの不思議な動物たちの絆から自由になれる……そんなマレビトの神秘の力を政治利用しようというのが統制派」

「十六年前、涼加先生は門条邸の離れに監禁されて『扉』を描かされていた。あの絵を描くことで、巫女としての力を自覚したのだと思う。そして、業病が発症すること、自分自身が画材に化身してしまう運命だと悟った。しかも、政治利用されてしまうことを知って絶望した。だから村井さんの助けで屋敷を出て、蝦夷地に」

あたしたちは立ち止まって話し込んでいた。そのあいだ、諸見沢くんは拳銃のグリップの下部分にカートリッジみたいなものを差し込んでいた。弾丸を新しく装てんしている。あたしの視線を感じて顔を向けるとうなずいた。

「弾倉八発だ。まだ戦える」

諸見沢くんとクロにうながされ、あたしはまた歩き出した。

暗い路地にところどころガス灯の灯りが差し、喫茶店ミルクホールの看板が見えてくる。

カフェカーテンの隙間から窓をのぞくと、エプロンをつけた女の子やコーヒーカップを手にしたお客さんたちが灰色の顔をして身動き一つしなかった。どの石像の表情も、大きなショックに打ちのめされて凍りついていた。

 帝都を無人の街に変えてしまったのが影鬼たちなのは間違いない。

「涼加先生はたった一人で、マモリガミから扶桑国が自由になれる方法を探っていたのかもしれない。新政府とか統制派とか、一族の使命とは無関係に……。人がマレビトの力を支配しきれるとは思えない。もしできたとしても、そんなことはしちゃいけない」

 小刀と一緒にベルトにはさんである二本の金色のチョークをそっと押さえた。

用心深く諸見沢くんは腕組みし、ゆっくりと言葉を選んだ。

「とにかく、石化している人たちを救えるとしたらマレビトだけかもしれない。少なくとも、その方法が見つかるかもしれない」

 影鬼に食べられてしまった人々、市電の事故で身体を破壊されてしまった石像たちについては、いまは考えたくなかった。一度命を失ったなら、マレビトの力をもってしてもよみがえるとは思えない。

 行くべき場所を、あたしたちは一つしか思いつかなかった。

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