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扶桑国マレビト伝 ㉕

 無惨な壁画だった。

 後ろ手に縛られて炎にあぶられる人々。

うねる炎と肉体がまじりあい、命が黒ずんでいくのがわかる。悲痛な叫びと炎のはぜる音が絵の中から伝わってくる。一番手前に描き出された人物像の目に入った白のハイライトが生々しい。

処刑図の背後には巨大な巌の扉が描かれてあって、細く隙間が開いている。そこから何者かが顔をのぞかせている。

ちがう。これは涼加先生が描いていたあの構図じゃない。

「ご覧なさい、マキリ。この壁画の『扉』から導かれたマレビトは処刑図の中にからめ取る手はずになっている。壁画の中で拘束され、責めさいなまれ、屈辱のうちに統制派の支配下に置かれるのだ。……資源にとぼしい扶桑国はマレビトから潤沢な神秘の『力』を得ることで、世界の一等国へのし上がる」

「そんなことをしたら、影鬼たちが暴れるわ!」

「分かっていないね、マキリ。影鬼の所有者であるマレビトさえ屈服させれば、影鬼などどうとでもできる。いま石化している人々も生身の体にもどせるのだよ」

九十九円蔵は背を向けて、ステッキの先を壁に向けた。ステッキが絵筆となって、血の色や闇の色を壁面に塗り重ねている。

「あんたの言うことなんかぼくは信用しない」

発砲音がし、ステッキの先端がはじけ飛ぶ。弾丸の衝撃波で残酷な壁画の色彩が一部くずれた。じろりとにらみつけた九十九円蔵は、すぐ気を取り直して破損した壁画をステッキの絵筆で修復する。

「いやはや、さすがにしたたかな探り屋だ。まったく邪魔ばかりしてくれる。……だが、これはフレスコ画と同じ技法にしたのだ。フレスコ画というのは顔料の水分が乾ききらぬうちに一気に描かねばならぬものだ。乾いてからは加筆や修正ができぬ。面白いことに、迅速に描かれたフレスコ画は非常に長持ちする」

割れたステッキの先から暗黒がにじみ出て、炎の色に苦痛が塗り重なる。九十九円蔵が描くにつれて、激しい感情がはっきりと表れはじめた。

「………すべては御国のためなのだ。農作物しかろくな資源のない扶桑国はマレビトを支配することで近代化するのだ。我が主・門条文麿男爵だと? 帝だと? 皇族や華族などお飾りにすぎん。……マレビトさえ支配下におけば本当の意味で、統制派の頂点に君臨できる。その力を持つ資格があるのはたた一人……このわたしなのだ!」

 ステッキをかかげ、突然九十九円蔵は顔をあおむけさせて哄笑した。丸天井に笑い声が響き渡る。思わず耳を押さえた。

 ねじれた角を生やした異形たちが襲って来た。あたしを突き放すと、腕を返して諸見沢くんが引き金を引く。一体が倒れ、あたしも魔法陣を描いて影鬼たちを土くれに変えた。その横からこん棒に似た頭部を持つ異形が突進してくる。頭突きを食らいそうになった諸見沢くんの足がよろめいた。

駆け寄りながら、あたしは金のチョークで空間に魔法陣を次々と描き出した。影鬼たちが魔法陣に触れて土くれとなっていく。そこに緑の新芽が顔をだし、葉が開いていく。

 銃声が鳴った。倒れたまま片腕を伸ばしている諸見沢くんの銃口から、細い煙がただよっている。九十九円蔵の脇腹に血がにじんでいた。

「……しぶといヤツめ」

 中腰の姿勢で傷口を押さえながら、九十九円蔵がうめいた。あえぎながらもあたしをながめる九十九円蔵の目は輝き、ゆっくりと口元に笑みが浮かびはじめた。

「……ずっと涼加お嬢さまは苦しんでいたのだよ。常世と現世の均衡が崩れたことで、現世に影鬼が生まれてくることを。自分が犠牲になったとしても、政治に利用されてしまうことを。悩み、絶望し、あの屋敷を出奔するしか道はなかった。……そう、その通りだ。この大地から緑が消え、水は濁った。その変化は常世にまで影響する。だからこそ常世からマレビトは現世を回復させるための劇薬を投じたのだ。それがこの異形たちだ。異形たちは扶桑の大地、水、緑を回復させるために生まれてきた」

 足元に血だまりを作り、よろめきながらも再び九十九円蔵が背を向ける。ステッキの先で壁画の色彩に陰影をほどこしている。

「これほどのマレビトの力を、我が物にしないではいられない……」

描く動きが止まった。肩がわなないた。銃弾を受けた腹部からぼたぼたと血がしたたった。息をあえがせている。それでも壁画を描き続けようと震えながらステッキを振り上げていた。

「弾丸はまだ一発ある」

苦し気に諸見沢くんがささやいた。それ以上、声を出すのもつらそうだった。でも言わんとしていることは分かる。弾を有効に使いたい、盾の魔法陣だけじゃ勝てないぞ……。

 分かっている。でも、不安だった。いまさらになって怖気づいていた。

 九十九円蔵もまた門の一族の末裔だ。しかも特別な呪力を持つステッキを手にしている。

金色のチョークをあたしが使ったとしても、修練を積んだ九十九円蔵の方があたしよりずっと力は上かもしれなかった。

歯噛みしているあたしの腕の中で、諸見沢くんが全身をけいれんさせる。背をのけぞらせ、胸を押さえて身を丸めた。パッと血を吐いた。

「諸見沢くん……!」

 見るとクロもまた、灰色ヘビに片足を食いちぎられかけている。それでもくちばしをハンマーのように使って灰色ヘビの頭を攻撃していた。ガッガッと振り下ろす力は、弱っている。灰色ヘビも傷だらけだ。

金色のチョークを突き出すなり、あたしは空間に次々と描いた。

諸見沢くんを抱きかかえた姿勢のまま、思いつくかぎり、多くのマモリガミを。

ツキノワグマ、ワニ、ザリガニ、銀ぎつね、アライグマ、オオヤマネコもセイウチも、鳩も、鹿も、牛も、柴犬も白鳥も……。それから黄色いカナリアは少しでも強くよみがえって欲しくて、翼に赤いボクシンググローブをつけた姿で描き出した。

マモリガミたちが一斉に九十九円蔵と影鬼たち、灰色ヘビに襲いかかる。

ぎょっとしたように振り返った九十九円蔵がすぐにステッキを動かす。盾の魔法陣が後ろ足で立ち上がっていたツキノワグマを押さえこむ。

ツキノワグマがくやし気に咆哮し、方向を変えると銀ぎつねと共に灰色ヘビへと突進した。灰色のウロコが飛び散り、灰色ヘビの毒牙がクロの後ろ足を解放する。

赤いザリガニはハサミを振りたてて角を生やした影鬼の首によじ登り、ハサミの先で青ざめた皮膚を攻撃している。セイウチが影鬼たちを押しつぶす。カナリアのさえずりと牛の鳴き声と白鳥の歌が折り重なり、深夜の大聖堂に響き渡った。

影鬼たちとマモリガミたちが争う音が床を震わせる中で、自由になったクロが諸見沢くんのもとへ足を引きながら駆け寄ってきた。

影鬼たちはあたしに描かれた魔法陣に触れて膝を折り、くたくたと土の固まりに変わっていく。植物が芽生えていく。

だけど脇腹の傷口を片手で押さえる九十九円蔵だけは、どんなマモリガミたちも手出しできなかった。盾の魔法陣で防いでいたから。

「わたしに逆らえるとでも思っているのかね、マキリ」

 青白く燃え盛る魔法陣ごしに、ステッキをかかげた九十九円蔵は強気だった。足元の血だまりを広げながら。

「ここに描いている地獄絵図……処刑の様子はただの壁画ではない。マレビトの魂を苦痛と屈辱の中に閉じ込める牢獄なのだよ。これほどの絵画を君は描けるかね。分家とはいえ我が九十九一族はマレビトを現世へ導く技術と力を門条一族と共に継承してきた。だが、君はそうではあるまい」

 実際、床が揺れ、壁がきしみはじめた。壁画の『扉』が隙間を広げていた。

 ほとんど意識を失っている諸見沢くんを抱きかかえて、あたしは金色のチョークで魔法陣を描く。

彗星のように発生した魔法陣をぶつけたけど、九十九円蔵の防衛の楯は強かった。あたしの魔法陣ははじかれて、一気に星が降ったように大聖堂の空間に散っていく。

壁画に描かれた観音開きの『扉』……。それが重々しく開きはじめた。

影鬼たちがうずくまり、マモリガミたちもまた『扉』を前にして声を上げた。警戒の唸りではなく、敬愛する偉大な存在を迎える遠吠えがたなびいた。

「マレビトが来る」諸見沢くんがうめいた。「九十九が描いた処刑図に捕まってしまう……」

 人の姿ではなかった。

それは輪郭のぼやけた光りの固まりで、その輝きが暗くなるとそこに名の知らぬ星雲や天体が浮かび上がっては曼荼羅のような円を描き、消えてはまた現れた。夜空の星々だけではない。風にうねる大樹や小川といった風景がマレビトの輪郭を持たない体の中に発生しては消え、目まぐるしく風景が交錯していくのだった。

「さあ、マキリ」九十九円蔵があたしにささやきかける。「壁画の『扉』を封じるのはお前が持つチョークの役目だ。そうすればマレビトは常世へ戻ることができず、処刑図の中に取り込まれる。自信がないならわたしが描こう。さあ、チョークを渡しなさい」

 輝きと闇を交互に身の上に映し出すマレビトは……感情があるとすれば……戸惑っている様子だった。一歩ごとに足元から青い炎が立ち上がり、消えては草木がそこで芽生えて枯れていく。

 壁画にある企み。そこにある罠を察して、怒りを覚えたのかもしれない。

マレビトの中心に強い光りが満ちたかと思うと質感が実体化してきた。それは細長く、ところどころまだら模様が入っていて……。

「……あ」

 小さく声を上げてしまった。ドレスのすそをつまんで足元に目をやり、息を飲んだ。たったいまぬるりと触れたモノがさっと動いたから。

細かいウロコで覆われた、ヘビの尾。ヘビの尾は大聖堂の床をしゅるしゅると移動していく。マレビトがいる方へと。

顔を上げて、あたしはギョッとなった。この瞬間まで輪郭すらおぼつかない存在だったマレビトが完全に怪物の姿に変わっていたから。

竜にも思えるその体は、処刑図にある闇にがんじがらめになり咆哮をあげている。銀色に輝く牙から唾液がしたたって光っていた。

たったいまあたしは竜に化身したマレビトが伸ばした尻尾に触れたんだ。

マレビトが威嚇の咆哮を上げる。影鬼たちがサッと立ち上がり、マモリガミたちもまた反応した。動物と異形たちがマレビトにまとわりついた闇を引きはがそうと殺到する。

 大聖堂の円形広場のあちこちで、光りと闇の破片が飛び散った。大聖堂自体が身をよじって荘厳な声をあげているかのような錯覚がした。

 マモリガミと影鬼たちがどんなにマレビトを救い出そうとしても、徒労だった。

 無惨な壁画の処刑図に九十九円蔵が暗闇の色彩を乗せていく。マレビトを塗りこめていく。身をよじるマレビトの体のあちこちが苦痛でひび割れていく。

「涼加お嬢さまは永遠に失ったが」息をあえがせて、九十九円蔵が顔に薄笑いを貼り付けたままあたしをながめる。「失ってよかったのだ。マキリ、さあ涼加さまが化身した金色のチョークで『扉』を封じてしまいなさい。そうすればマレビトは二度と常世へは戻れず、わたしの支配下で力を提供するだけの装置となるのだから」

「涼加先生の犠牲をそんな風に使わせない」

 クロに諸見沢くんをまかせて、あたしは両手で二本の金色のチョークをつかみ直した。立ち上がると壁に近づいた。

 そこには後ろ手にしばられた人が炎に包まれた絵が描かれていた。この苦しみをマレビトが味わっているのが感じ取れる。影鬼たちもマモリガミたちも、存在を与えてくれたマレビトが拘束されていることに苦しみ身もだえていた。

あたしには描くべき壁画の構図は分かっていた。

 苦痛の暗闇に包まれた大聖堂の中で、あたしの手の中にあるチョークが光りの点を創り出し、描線を形作りはじめる。

突然、荘厳な音楽が流れ出て、九十九円蔵はたじろぎ、ひるんでいった。

 いまここに、素晴らしい壁画を描かなければいけない。描かせてほしいと願った。

 あたしが描いても、描いても、九十九円蔵のステッキは地獄絵図を塗り重ねる。負の感情ばかりを強調し、流血と憎しみばかりを描き続ける。それでもあたしは次から次へと線を発生させ続けた。夜明けまででも、その次の日でも、ずっとずっと永遠に描き続けるつもりになっていた。

「やめろ……ッ! お前はそのチョークでわたしが描いた『扉』を封じればいいだけだ! 別の構図で上書きするなぁ……ッ」

 狂気を感じさせる九十九円蔵の絶叫だった。

 だけどいまのあたしの耳には入らない。それほど集中していた。

 足場を失い、あたしはどこかへ転落しているような、逆に上昇しているかのような感覚を味わった。

まばゆい白光に全身が包まれている。

 無。

 完全な無の世界。

 両手でチョークを動かしながらあたしはある人と再会を果たしていた。

端正な顔、艶のある豊かな黒髪。深い憂いと優しさに満ちた瞳。

「……涼加先生……」

 植物に覆われてもいなかったし、肌のあちこちが木質化してもいなかった。ごく幼いころのあたしを抱きしめてくれた涼加先生の姿だ。若々しいその人が薄紫色の着物をまとって静かに立っていた。肩に金色の小猿を乗せて、口元に静謐をたたえて。

「涼加先生、元に戻ったんですね……。よかった。……九十九円蔵がマレビトを壁画に取り込んで支配しようとしているんです。この国を近代化させるためって言っているんだけど、そんなことをしたら常世も現世も……」

……バランスを崩して滅んでしまうわ……

涼加先生の声は遠くのせせらぎみたいに響く。あたしは必死にささやきかけた。

「あたしの大事な友だちも傷つけられました。許せません、どうか力を貸して……涼加先生」

 真っすぐにあたしを見つめ、涼加先生はゆっくりとまばたきした。ほほ笑み?

……ええ、いいでしょう。レランマキリ。あなたのすることなら、たとえどんな罪でもわたくしは許さずにはいられない……

 最後の一言に、あたしはどきんとした。

……あなたたち若者は世界を変える重要な存在ですよ。そして女の子の中にはどんな形であれ、魔女がひそんでいるのです……

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