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探偵になるまでの2,3のこと ⑰

「は! そうよねッ。あたしもどうかしてたわッ。このガキ、メメラン・チャンネルってさっき言ってたのよね! メメラン・チャンネルのアカウントなら、こいつのイジメ映像を投稿したせいでコミュニティガイドラインに触れてはじかれたのよ! だからライブ配信なんかできないはずだわ」

「さあどうかな」

 ぼくの背中を冷たい汗が流れる。スマートフォンを掲げた腕が少し震えた。

 今度は豊田久巳が身をよじって笑い出した。はだけたガウンの前を掻き合わせ、ひいひいと涙を流す。嘲笑の表情のまま、一歩前に出た。

「傑作だ! バカが、たくさんのイイネでも欲しかったのか? いきなりネットチューバーできるわけないのに、ライブ配信しているふりするとはいい度胸だよ。だけどそれ、ただの録画でしかないんだろ! 中継の文句なんて全部はったりだ。最初から分かっていたさ。……とにかく、いまおれたちは騒ぎを起こすわけにはいかない。どこで警察が見張っているか知れやしないんだからな」

いきなり笑みを消し、目にねっとりとしたきつい光りを宿した。ぼくに手を差し出す。

「さあ、光江のスマホを返しなさいッ」

「条件がある」

動画撮影の姿勢を崩さず、ぼくはできるだけふてぶてしく言った。

「このスマホと引き換えに、母さんを返せ。父さんがどこにいるのか教えろ」

「さ~ぁね~」

 永沢光江と豊田久巳が笑みを交わし合う。

「この部屋のどこかに転がしているかもね? 探してみたらぁ?」

「しぶといようだが、まだ子どもだな。スマホ一つで何ができるんだ」

 せせら笑いと挑発の言葉に、思わずぼくは背中を向けそうになった。浴室かクローゼットに縛られて口にタオルを詰め込まれた母さんと父さんが隠されているような気がしたんだ。

そんな様子が胸のよぎり、一瞬泣き出しそうになったけど、ぐっとあごを引いて相手をにらみつけてやった。

「二人は無事なのか? いまここに母さんを連れて来い」

「あのなぁ、ガキ」

豊田久巳は右手で自分の頭をかきむしった。ぼくはサッと後ずさりした。その態度が気に食わなかったのだろう。顔面に朱色が広がり、目がぎらついていく。すでに豊田久巳は温厚でもったいぶった紳士的な態度をかなぐり捨てている。

「そのスマホを返せば、お前も無事にこの部屋を出られるんだぜ? 大人をイラつかせるんじゃねーよ」

「じゃあ質問を変える。鷲尾麻美さんの身の上に、何があったのか本当のことを言えよ」

「はぁ? なんだって」

 腕を伸ばしてぼくを捕まえようとするのをかわしながら、豊田久巳が怒りを爆発させた。

「ったく! こっちはお前みたいなのがネットでライブ配信なんてできるわけねーと分かってんだよ。そのアカウントじゃ配信なんかされねーって言ってんだろうが!」

「ついでにお前の口を封じるくらい、こっちは朝飯前なんだよ! くっだらねーハッタリはもうよしなッ。つけあがりやがって」

永沢光江も憎々し気に口をはさむ。

「鷲尾麻美、か。あの女は美人ってだけで男たちからちやほやされてやがったんだよ! あたしを差し置いてね。それに正社員だ。ほとんど同じ仕事をしているのに、不公平だろう!」

「あの女にはブランド物の香水やバックをさんざんプレゼントしてやった。なのにおれを冷たくしやがった。そんなプレゼントなんか頼んでない、だとよ。だから光江にポルノ女優の演技をさせ、パソコンで顔を鷲尾麻美に加工してやったんだ。それを三加茂の社内パソコンに入れてやった。拡散してもよかったんだが、鷲尾麻美の被害者面に泥を塗って三加茂に不信感を植え付けるつもりだったんだ。だが、三加茂はそれを察しておれを告訴すると抜かしやがった……ッ。鷲尾麻美も憎いが、告訴なんかされたら一生の終わりだ」

わめきながら踏み込んでくる。後ろに飛びのいて左手にスマートフォンを持ち替え、高く掲げた。

「うろちょろと目障りなんだよッ。ガキが」

 唾を飛ばしながら豊田久巳が突進してくる。とっさにぼくは右手でキャビネットを探った。そこに飾ってあった大皿をつかむ。重い。大きなガラス製の皿で、手触りは滑らかなのにガラスの内部にはたくさんの白い斜線がはいっている。

豊田久巳が突進してくる。ぼくは皿を投げつけた。ブーメランみたいに皿が空を飛び、真っすぐ相手の顔面に向かっていった。ハッとなったのは豊田久巳と永沢光江だ。

身をひるがえしたせいでガラスの大皿は壁にぶつかってものすごい音が響いた。粉々に砕け散る。二人が身をすくめて頭をかばったのは一瞬で、すぐに顔を上げた。

歯をむき出した表情は憎悪でゆがんでいる。

「ち、ちくしょうッ。そのアンティークプレートはいくらだったと思っているんだ! ものすごく高かったんだぞッ」

 息を詰まらせて両手を突き出して走り寄ってくる。ぼくはまた一つのティーカップを手に取った。

「母さんと父さんを返せ!」

 左右から豊田久巳と永沢光江が迫って来る。サッと身体を低くして二人の間をすり抜け、ぼくは振り返りざまに床に転がっている洋酒のビンを蹴飛ばした。

ビンに足をとられ、豊田久巳があおむけに転がる。すかさずティーカップを投げつけた。壊れたスタンドを振りかざし、永沢光江が野球のバッターの要領でティーカップを空中で叩き落とした。

「ち、ちくしょうッ。あたしの大事な陶器が……ッ」

自分で自分の陶器を叩き割ったことでますます逆上したのか、つかんでいたスタンドを勢いよくぼくに投げつける。ぼくは横に跳んでこれを避けた。

怒りにかられた永沢光江の動きは素早かった。とうとうぼくは片腕をつかまれ、立て続けに平手打ちをほほに受けた。頭がクラッとして、鼻血が吹き出す。

「もうゆるせねえ!」

 酒ビンでぶざまに転んだ豊田久巳が両手を床について立ち上がる。そのままキッチンへ飛び込んだと思ったら、すぐに戻って来た。手に包丁を持っている。

「どけ! 光枝。ガキを殺してやらぁ!」

 ぼくはすくみ上っていた。それでも最後の武器は手の中にある。スマートフォンを顔の前に掲げていた。

「待ちな! 最初の計画通りにするのよ。母親に証言させてからよ。そのあと死ぬまでいたぶってやる」

 包丁を構える豊田久巳の背後ではテレビが台風中継をしている。画面の下に、ニュース速報の白いテロップが流れていた。

『和歌山、湾岸倉庫近くの交差点で無差別殺傷事件を起こした猫島藤成が別の誘拐事件をほのめかす……』

あとのニュースは目にも耳にも入ってこなかった。

豊田久巳が走り寄る。包丁を持たない方の腕が伸びて来た。

こいつのやせた身体のどこにこんな握力があるのか、と思うような力で肩をつかまれ、ぼくは背中をドンと壁にぶつけた。

いつでも包丁をぼくにぶちこめる姿勢を保った豊田久巳を正面にして、ぼくは全身を壁に押し付けられた。身動きできなかった。

「ほら、親子のご対面だよ~」

ついにぼくの手からスマートフォンが落下する。永沢光江が後ろ手にしばられた母さんを隣室から連れて来たから。

床に引き据えられた母さんはうつろな目をしていた。唇の端に傷があって、ぐったりとしている。

お酒と薬で消耗しきっていた上に、あんな電話で呼び出され、連れ去られたあとはきっと、ひどい乱暴をされたんだ。もしかしたら、水も食べ物もあたえられなかったのかもしれない。

「母さん……ッ」

 乱れた髪の隙間から、母さんの視線がぼくをとらえる。ハッとその目が緊張した。しばられたまま体を左右に振り、悲鳴に似たうめき声をあげてぼくがいる方へいざり寄ろうとする。

母さんの背中を押さえていた手を放し、永沢光江が床に転がっていたスマートフォンを取り上げてもてあそんだ。

「録画するよ。あんたは自分の亭主が『森部五色村ストーカー殺人事件』の犯人だったと証言しな。夫の罪を悔いているって。でないとあのガキは心臓が真っ二つになるからね」

 アプリをタップし、液晶画面を母さんに突きつける。母さんが顔をそむけた。

「録画じゃだめだ。顔に傷が残っているだろ。殴られて脅迫されたと誰だって気づくぜ」

豊田久巳が舌打ちする。

「ったく、お前がその女をひっぱたくからだ。音声録音だけにしろ」

 不意に玄関でインターフォンの音が響いた。宅配です、と呼ぶ声も。オートロックが機能していなかったのか、それとも解除されたのか、とにかくドアが開く気配がした。

 どやどやとたくさんの男の人が部屋に流れ込んできた。

スマートフォンを片手にし、もう一方の手で母さんの髪の毛をつかんだ永沢光江が呆然と立ち尽くしている。包丁を構えた豊田久巳はぼくを壁に押し付けたままだ。

次の瞬間には豊田久巳がぼくから引きはがされ、母さんは永沢光江から自由になった。

いきなりたくさんの人の動きと「現行犯確保」「午後五時五十二分」といった声の中に飲み込まれる。

ぼくは何か絶叫していたかもしれない。母さん、と呼びかけていたような気もするし、父さんどこッと叫んでいたかもしれない。

一瞬のことだった。

 人の群れの中から一人が飛び出して来た。

「良真くん、大丈夫かッ。良真くんッ、しっかりしろ!」

「お母さんは、三加茂さつきさんは無事」

奥田巡査と笹野巡査が交互に呼びかけられたけど、ぼくは返事もできない状態だった。

「救急車! さつきさんは衰弱している。ガラスで子どもも怪我をしている。早くッ」

 どこかでサイレンのうなり声がする。風か、雨の音かもしれない。どやどやと足音荒く動く人たちがまだ何か告げている。並木の枝がざわめく音と雷鳴。

何も考えられなかった。

気づいたらぼくは母さんの手を握り、救急車に乗っていた。

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