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大日影トンネル & 幼少期の旅の再現 〜 2024年・夏 青春18きっぷの旅 その1

幼少期の富士山一周

初めての一人旅は小学生の頃だったと思う。
青春18きっぷを使った日帰りの鉄旅だ。

当時はインターネットの直前の時代で、個人がコンピュータで乗り換えを調べるならパッケージ版の「えきすぱあと」を買うとか、それに合わせて機種を選ぶという必要があった。
一般的には、JRまたはJTBが毎月出している広辞苑のように分厚い時刻表を書店で購入して、巻頭の路線図からページを調べて一つ一つ列車の時刻を調べていた。

路線図は日本の地形を左右の見開き・ページ送りにはめ込むためにぎゅっとデフォルメされていて、路線もいまいち実際の地図とは距離感が違っていた。
それでも、どの路線もどこかで繋がっていて、北は稚内や釧路のあたりから、南は鹿児島の先まで指で辿ってみたりしていた。

そうして初めて一人旅を計画したのは、富士山の周囲をぐるっと回る経路だった。

当時は京浜急行の沿線に住んでいたので、5時台の始発列車に乗り、最寄りのJRの駅まで行き、6時前に改札で18きっぷにスタンプを押してもらう。
そうそう、今日では5回分が1枚になっている18きっぷも、当時は「5枚綴り」で1日分が1枚になっていた。

旅程の組み立ては単純だ。
レンタカーも輪行も無関係な小学生には、ひたすら大好きな列車を乗り継ぐしかない。
豪勢な駅弁や特産品に、その土地の酒を楽しむといったこともない。
始発列車から順次乗り継いで、ただただ乗り継いで、出発して帰るだけだ。
旅の目的は鉄道で移動することであって、どこかにある目的地を訪ねることではないのだ。

当時は乗車時間を最大限に確保し、端から端まで乗りたかった。
富士山の周囲を巡るとなると、横浜線で八王子へ向かう経路が楽なのだが、
横須賀線で東京へ出て、中央線に乗るという経路を使った。

中央線を三鷹、高尾、大月、甲府と乗り継ぎ、甲府で身延線に乗り換え。
身延線を走破したら、富士から三島、熱海と乗り継ぎ、熱海からは大船まで。
始発で出て、なるなら日が暮れる前に帰宅できるちょうどいい旅程だった。

富士山の周囲を、といっても、富士山をしっかり拝めるのは身延線と東海道線の一部、それに中央線からわずかに見える程度だ。
地図上で周回したことに満足感を覚えていた。

2024年夏の再訪

2024年の18きっぷは異変にそわそわ、ひやひやした。
1年に3シーズンあった18きっぷが、春の案内が出たきりだったからだ。
夏には廃止されるという噂や、18きっぷ特集を謳っていた雑誌の表紙が取り下げられたりと、廃止濃厚となっていた。

シーズン直前に発表された時には嬉しかった。
この夏は2枚(10回分)使うぞ、と決意したほどだ。

その1回目は、早起きをして桜木町駅からスタートすることにした。

大人になって、観光や食もいいじゃないかと感じるようになったり、炎天下でも10km、20kmと歩くのが苦ではない程度の体力がある上、iPhoneで地図も乗り換えも調べられる。
寄り道しながらぶらぶらしよう、逆にもう路線を走破することよりは多少は効率も… と考えるようになった。

桜木町始発の横浜線に乗り八王子まで。
八王子から中央線へ、高尾で甲府行きに乗り継いで山越をする。

同乗のトンボ

今回は勝沼ぶどう郷で途中下車をすることに。
上り坂を力行する211系は特急に線路を譲ったりしながらのんびりと進む。
ボックスシートは大月駅までトンボと同乗。

勝沼ぶどう郷の駅で下車すると、一面の葡萄畑が広がっている。
改札を出ると駅にも葡萄棚があり、みずみずしいマスカットがすずなりだ。

勝沼ぶどう郷駅の葡萄棚
陽の光で輝くマスカット

勝沼ぶどう郷駅のすぐ近くには、昔の駅を活用した公園や、EF64の静態保存がある。

静態保存されるEF64 18

今回この駅で降りたのは、駅近くの大日影トンネル遊歩道を歩きたかったから。
大日影トンネルは明治29年(1896)に掘削され、昭和43年(1968)の複線化を機に下り専用となり、新線の開通で廃止される平成9年(1997)まで使われていた。

1997年まで、ということは、幼少期に乗った列車は大日影トンネルを通っていたということだ。

大日影トンネル 入り口

朝9時の公開直後ということもあり、中の冷気が標高の低い手前側に流れてきていた。
湿気か煤塵か、少し黄味がかったもやが流れてくる。

トンネル内

勝沼ぶどう郷駅側が低い位置にあり、1.3kmほど真っ直ぐな上り坂になっている。
向かって右にベンチマークのコンクリートがあり、天井は崩落対策のネットが設置されていた。

湧水が流れる

トンネル内は涼しく入った直後はひんやりしている。
しかし湧水が多く湿度が高いために、歩いているとじめっとしてくる。

線路の左右は遊歩道として歩きやすく整備されているけれど、線路中央は湧水が流れていたし、天井からも水が滴る。

レンガ積み

トンネルを支えるのはイギリス積みの煉瓦。
ところどころ補修してはいるものの、往時を偲ばせる煤煙のこびりついた煉瓦に触れられる。

中間くらい

そして、歩く。
出口の光が少しずつ大きくなってくる。
外に緑がある気配がもやっとした光の中に見えてくる。

レールは錆だらけ

比較的最近まで使われていた路線だけあり、枕木はコンクリート製だ。
それでも、湿度が高く、水が垂れ、石灰質と鉄分の多い中で、レールは輝きを失っていた。

センタードレン

湧水対策として、上側にはセンタードレンという煉瓦造りの排水路が設けられておりたくさんの水が流れていた。

いよいよ出口

ようやく出口。
出たらすぐに川を跨ぎ、次のトンネルに繋がっている。
この先のトンネル、現在は勝沼トンネルワインカーブとして活用されている。

川がもぐる暗渠も同時期に造られたレンガ積み

ワインカーヴは見学ができる。
といっても、ワインに手の届かないところまで。
ワインカーヴ内の冷気は歩いた後には気持ちがいい。

勝沼トンネルワインカーブ
気温14度

少し休憩をしたら、来た道を戻ることに。

山に穴があいている、というのがわかりやすい

甲州街道に出て、芭蕉の句碑や滝や朽ちた吊り橋を見て甲斐大和駅に向かうことも考えたものの、乗り継ぎの都合で断念。

この向きで乗っていたのか

トンネルを戻る途中、そうか、当時の進行方向はこちらか、と思い至る。
高尾から山を越え、このトンネルを下って甲府盆地へおりたのか。

標識

当時、自分を乗せた列車はこういう標識に導かれていたのか。
そして旅をして、大人になり、今になり…

レールの先

トンネルを抜けると、機関車の音が聞こえてきた。
カメラを向けて待っていると…

EH200

新大日影第二トンネルからEH200がコンテナを引いて出てきた。

駅へ向かい、程なくして来た甲府行きに乗車。

甲府で身延線に乗り換え、3時間ほど乗ったまま。
「しもべおんせん」のつぎが「はだかじま」で、温泉に裸が続くのか、などと連想したが「波高島」と書くそうだ。
身延で少し休憩をとり、富士へ。

富士宮の手前から富士山

身延から富士宮の手前くらいは、川沿いの雄大な風景と、山を降りながら左右に揺れる富士山を眺める路線。

富士から沼津へ、沼津から熱海へ。

静岡麦酒

熱海では、一本後の東海道線に乗ることにして、駅弁を買いに。
混雑していて熱海らしい弁当は売り切れ、大船の押し寿司の最後の一つを入手。
それに静岡麦酒。

海と空

グリーン車でお腹を満たし、海を眺めながら帰ってきた。

乗った路線は以下の通り。

富士山一周

18きっぷ、9月20日まで使える。
また、振り返る旅に出てみようと思う。

使ったカメラ

  • Nikon Z f + CONTAX Carl Zeiss Planar T* 85mm F1.4 AEG

  • Nikon Z 6 II + Nikon NIKKOR Z 24-120mm f/4 S

ボケと色味でどちらかわかるかも

遠くへ行きたいのです。サポート頂けたら何か撮ってきます!