【現代表記】 福沢諭吉 「英国 議事院談」 (議事院の特権)
底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第二巻(再版)所収の「英國議事院談」を使用した。
議事院の特権
議事院の特権とは、元来議事院に出席する議員の身分に付たる特権を云うなり。乃ち此権威は、従来の通例に従い、或は国の定法に由て、聊か其過強の勢を抑制する所ありと雖ども、自から一種の風習を成して遂に又之を動かす可きようなし。議事院の権を辱かしめしとて其罪を責むるものは、他なし、議事院なり。或は又然らずして其罪を免すものも亦議事院なり。故に議事院は自から其権を専らにすべきの柄を執るものと云うべし。
第一、議員は自由に説を唱えて国事を議論す可きの権あり。是乃ち国民に自由を許すの旧法なり。斯く自由に議論するを許すとは雖ども、議員たる者は。議事院に於て自から唱えたる説を記し之を開版して世に布告す可らず。若し院の免許を得ずして自己の説を布告する者あるときは、其本人を裁判所へ呼び出だして書中の事件を糺問するを法とす。又議員の内に無根の妄説を唱えて議事院を軽侮する者あるときは、之を罰し之を放逐するの例あり。是乃ち議事院にて自から其権を抑制するものなり。
又議員たる者は、常法の事に付き糺問の筋あるとも之を捕るを許さず。是亦議員の特権なり。(常法と刑法とは区別あり。刑法の罪と云えば、人を殺し物を盗む等、天人の法を犯し世の太平を害するもの、是なり。常法の事に付き糺問の筋あるとは、世間に居て人に交るの法を欠きたる不行届不調法を云うなり。譬えば町家の分散の如き、是なり。人を殺し物を盗むの大罪とは自から其趣意を同うせずと云う。)此法の由て来ること已に甚だ久しく、殆んど議事院起立のときよりして其例あり。昔日は議事院の権を以て、上院の貴族及び下院の議員をば全く常法より脱せるものとして、如何ようの事故あるとも之を捕獲することを許さざりしが、第3世ジョージ王の世に当り此法を止め、常法の事に付き議員を捕獲することを許さざるも、世の太平を害すべき大罪に至りては其罪を仮さず。或は裁判局の説に伏従せざる者あれば、証拠として其家産を取押べしとの法を定めたり。此法広く相行われ、阿爾蘭、蘇格蘭へも布及せり。此2州の貴族は、仮令議事院に出席せざるものと雖ども、同様の殊典を受けたり。第3世ジョージ王の代にさだめたる法令に従えば、議事院の議員は出役中に分散することあるとも妨なし。但し其分散せし日より後12月の間に於て、分散の始末を措置すること能わざるときは、議員の列を脱するを法とす。若し誤て議員を取押えしときは、之を免すに、或は議事院より命を下だし、或は休会の時なれば其筋の裁判局より命を下だす。下院の議員へ右の如き特権を付与するの時限は明かに定め難し。一般の説に、発会前40日、収会後40日の間は、此特権ありと云えり。又議員集会の間は裁判の立合に呼出さるることなし。(トラエル・バイ・ジューリの事なり。西洋事情初編第3巻第9葉に詳なり。)
旧来議事院の特権は、其及ぼす所の限界を明に定むること難し。ハルラム云く、議事院の法は古風旧格より来り、以て自然我が英政の体裁を成せしとは雖ども、国政万機皆之より出で其威権際限なきものと云うにあらず。殊に裁判刑法の事に至りては、其体裁と其事実と相齟齬することありと。譬えば議事院の命に由て布告したる書中に妄説訛言ある乎、又は議長の請合にて人を取押ることあれば、議事院の特権を以て其吟味の事に関係すべき理なれども、或は然らずして、常式の裁判局にて事を処することあり。是等の事に付ては未だ一定論なし。
右の外、国政を議することに付き、上下両院に定たる特権ありて、各院の議員之を主張せり。今其要略を示さんこと左の如し。
上院の特権二箇条あり。第一、上院の議員は名代人を用い己れに代て議論せしむるを得べし。第二、上院に議事ありて其可否を決するとき、衆寡敵せずして一方に落着するとも、事実我持論に於て心服せざる者あれば、其心服せざる所の理を述べて、之を院の日誌に載記すべし。之を上議員のプロテストと名けり。乃ち此例は1641年ロルド・カラレンドンより始りしと云う。
下院の特権も一様ならず。其最も重大と云うべきものは、銭貨出納の評議を起すことなり。此例の由て起りし其初めに遡るに、已に甚だ久し。往古は上院にても稍々銭穀の事に関係せしなれども、1690年よりして其風を一変し、下院にて一次貢税の法を定むれば、何等の事故あるも上院の議論を以て之を変易すること能わず。方今にて此特権を制するものは只左の如きのみ。即ち国用供給の評議は上院にて発す可らず、亦其評議の書面を変易すること能わざれども、只口上を以て異存を述べ、之に由て其評議を改めしむるは可なり。又往来街道の運上、通船掘割の運上、貧民救助の処置等の如き、国中一般の出納に拘わらずして別段に銭貨を動かすことあれば、上院も其評議に参与して或は其議を改むることありと雖ども、下院に於て既に定たる運上の多寡及び其取立の仕方を改変すること能わず。右の外、都て議事院の評議に由て直に銭貨出納の事に係わらずと雖ども、其評議を施行すれば従て国民より金を出さしむるの勢と為るべき箇条は、皆下院の任ずる所にして、其議を変易するを許さず。又或は過料欠所の評議も上院にて改変することなし。
1667年の決議にて、国民より租税を収るの評議は、必ず先ず全院の衆議に由てこれを点検し、各々其見込の言を述るの例を定め、今日に至るまで厳に此例を守りて旧格を失わず。(全院の衆議に由て点検するとは、議長の席を暫らく廃し、衆会の頭取を立てて十分に評論するを云う。)蓋し租税等の事は、丁寧反覆、善く評論を尽し、或は非常出格の処置をも施すべき箇条なれば、院の定則(議長、席に就くときは、院の定則にて、可否の発言、一次に限る。)に拘わらずして自由に議論せんが為め、此例式を定めたるものなり。
下院にて銭殻供給の評議を定め、之を上院に示し、上院にて同意すれば、再び其議案を下院へ返し、下院より直に之を国王に呈す。(尋常の議案は両院議決の後、上院に納めて王命を待つを法とす。只銭殻の評議に限り下院より直に王に呈す。)
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