【現代表記】 「洋兵明艦」(序) 福沢諭吉
底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第二巻(再版)所収の「洋兵明艦」を使用した。
洋兵明艦序
兵は凶器、戦は不祥とは、昔より和漢兵家者流の常言ならずや。然るに今此書の開巻亦、兵は凶器、戦は不祥の語あり。既に其凶と不祥とを知らば、之を講せずして以て止むべきに、之を講ずるは何ぞや。抑も止むを得ざることあるか。蓋し人の世に居る、欲なきを得ず。欲あれば則ち争なきを得ず。争いは則ち戦の本なり。西洋諸国文明を以て自ら任ずと雖ども、未だ尽く君子の域に至らざれば、尚戦なきを得ず。故に其兵制兵器古今の変亦多く、変ずる毎に愈々新なり。初め1330、1340年の交には火薬の発明あり、次で大炮の発明あり。1414年には小銃の発明あり。益々出て益々巧にして、遂に火技の盛なること今日の勢に至れり。然れば兵器鈍なるの昔に比すれば人の死することも定て夥かるべきに、反て然らず。昔西洋諸国封建世禄の代に当り、武門の士と称するもの、斬屠血戦を以て家常の茶飯と為し、相互に雌雄を争い、殆ど干戈の止むときなく、其世の諺に、敵を殺さざれば我死すとのことあり。恰も虎狼の互に喰うて死する如し。其猙獰の習俗、実に怖るべし。然るに近世火技の盛に行れ、兵制の大に整いしより、勝敗も速に決するゆえ、敵を瞬間に制し、国を呼吸に挙げ、人の死することも昔に比すれば大に減じたり。試に史に就て考るに、昔1700年間、普魯士のフレデリッキ在世のとき、7年の戦あり。近年又普国と墺地利との間に7週日の戦あり。何れも名高き戦なり。然れども兵制兵器整わざるの世には、善戦有名のフレデリッキも、戦間に多く年を歴て7年の久しきに至り、数多の人を損し、反て僅に7週日の全功には及ばざる遠し。然らば今、吾輩の此書の訳に従事するも、兵の凶事を進むるにあらず。我日本をして、人智愈々開け兵制増々整い、死するの人も益々少なく、殺伐残忍なる古来軍法の余習を除き、所謂兵法は人を殺すの法にして又人を殺すことを少うするの法なりとの意に叶えんと欲するなりと云爾。
明治元年晩冬 慶應義塾同社 誌
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