【現代表記】 福沢諭吉 「西洋事情」 (ロシア 海陸軍)
底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第一巻(再版)所収の「西洋事情󠄁」を使用した。
西洋事情二編 巻之二
福沢諭吉 纂集
魯西亜
海陸軍
魯西亜に於て海陸軍の開けたるは、第1世ペイトル帝の賜にして、其他一切の文明開化、尽く帝の功業にあらざるはなし。ペイトル即位の前は全国内に、アルカンゼル(北方の港の名)を除き、一所の港なく一隻の軍艦なかりしが、帝の軍略を以てバルチック海の地位を占めしより(今の首府の近傍、瑞典の領地を幷呑したるを云うなり。)専ら海軍に心を用い、身躬から蘭英諸国に遊歴して、海軍の学を研究し、造船の術を試験し、始めて其基を開き、爾後歴代先帝の余業を怠たらず。第2世カタリナ及び今帝の世に至ては、殆んど盛大の勢を極めたり。
全国の海軍を二大部に分ち、一部はバルチック海に備え、一部は黒海に備う。其艦隊は白旗隊、青旗隊、紅旗隊に分つこと、英の海軍に異ならず。蓋し其初は和蘭の法に傚いしものなり。旧式に拠れば三層艦1隻、二層艦8隻、フレガット6隻、コルヘット1隻、小艦4隻を合して、一艦隊と為す。
海軍の水夫も陸兵の如く賦役を以て命ずるの法なれども、大抵これを強ゆることなく、人々の所好に従て其人を役すること多し。在役の年限は旧と21年なりしが、1859年より法を改め、14年を以て期限と定めり。
1868年第1月1日の公報に拠れば、魯西亜の海軍には蒸気船263隻、帆前船29隻あり此数の内、大半はバルチック海に備え、其余黒海に備るもの41隻、裏海に備るもの39隻、シベリヤの東浜太平海に浮べるもの30隻、欧羅巴諸国の海岸に徘徊するものも亦若干の数あり。1862年第1月1日海軍事務執政の公報に拠れば、其時に当て魯西亜の海軍左の如し。
リーニー艦
蒸気9隻
帆前10隻
フレガット艦
蒸気22隻
帆前6隻
コルヘット艦
蒸気24隻
帆前3隻
ブリグ艦
蒸気12隻
帆前5隻
ゴンボート
蒸気85隻
帆前2隻
スループ及びスクーネル
蒸気96隻
帆前36隻
共計
蒸気248隻
帆前62隻
蒸気、帆前、合して310隻。これに備る大砲の数3691門なり。右の表と1868年の公報とを比較するに、帆前の数次第に減じて蒸気の数は次第に増加すれども、其改革の遅きこと知る可し。
1868年装鉄艦の数24隻、其種類左の如し。
フレガット
2隻
浮台場
3隻
コルヘット
2隻
鉄塔艦(トルレットシップ)
11隻
モニトル
6隻
右24隻の鉄船へ備る大砲の数149門。
同年海軍水夫の数6万230人、士官3791人。此士員の内、水師提督の数119人。海軍の法則は都て仏蘭西の風に傚えりと云う。
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