【現代表記】福沢諭吉「増訂華英通語」(後記)富田正文

底本には小泉信三監修『福澤諭吉全集』第一巻(再版)所収の「後記」を使用した。


後記

富田正文

 本巻所収の原拠テキストとその関係資料について記しておく。

増訂華英通語

 福沢の最初の出版物である。万延元年福沢は木村津守に随従して初めてアメリカに渡航したが、サンフランシスコで清国人子卿の著した「華英通語」を清国人商人から買い求めた。これはその名のように英語の単語短文に中国文字で発音と訳語とをつけたものであるが、その年の夏に帰朝の後、福沢はこれに日本の片仮名で発音と訳語とをつけ「増訂」の二字を冠して出版した。

 「増訂華英通語」には二種類の版本がある。美濃判二冊本(二五・六×一七・八cm)と半紙判一冊本(二二×一五cm)とで、本文の匡郭は両者とも一七・八×一二・五cmであるから、同一版木で印刷されたものと見てよい。美濃判二冊本は鞘形万字つなぎの地紋の淡茶色の表紙で、左肩に「増訂華英通語 上」(下)の文字を子持罫でかこった題箋が貼ってある。見返しは紅染め紙に「万延庚申/増訂華英通語/快堂蔵版」とあり、上巻は訳者凡例二丁、原序一丁半、目録半丁、原著者凡例半丁、アルファベット大小文字半丁、本文一丁から四十九丁まで、下巻は本文五十丁から九十九丁まで、奥附はない。半紙判一冊本は無地または鞘形万字つなぎ地紋の黄色の表紙に「増訂華英通語 完」の文字を子持罫で囲んだ題箋を貼り、見返しは白の紙に二冊本見返しと同文を刷り、その他はすべて二冊本と同じ体裁で、ただ美濃判の二冊分を半紙に刷って一冊に合綴したものである。ただ仔細に両者を検討すると、美濃判の方が半紙判よりも刷りがウブである。殊に美濃判では福沢の訳語や発音が未確定のため、版木のまま黒く残してある部分が、初刷りのものには残っており、後にそれを彫り起しまたは削除して刷ったものもあるが、半紙判には更に美濃判本の誤りを訂正した跡も見られるから、美濃判二冊本を初刷り、半紙判一冊本を後刷りと断定してよいであろう。

 本全集では、この書の支那文字発音記号が特殊な作字の多いため、活字印刷に附することが困難なので、本文全部を写真凸版にして採録した。原拠にしたのは美濃判二冊本であるが、この版本は非常な稀覯本で、慶応義塾では上巻だけしか持っていないため、諸方を探索し、愛知県西尾市の岩瀬文庫所蔵本を写真にとった。慶応義塾本の方が刷りが早く、版木を黒のまま残してある部分が、岩瀬文庫本では彫り上げられて残っていない。美濃判本に誤りのある部分だけは、慶応義塾所蔵の半紙判一冊本によってさしかえた。

 この書については、全集緒言の中にも記してあるように、英語の発音に関する福沢の苦心を見るべきで、特にⅤの字の発音を原音に近からしめるために、ウワの二字に濁点を施してヴワ”の新文字を創案したのは、福沢の功績として記憶されてよいことである。そのほかにも、たとえばPlanet「プラㇴネㇳ」Wind「ウィヌㇳ”」などのように、文字の大小の組合せにより、原音に近接しようとした苦心のあとが見られる。この頃までのわが国の英語学発達史上に注目すべき位置を占めるものである。尚お私は中国語音に全く通じない者であるが、この書の原本「華英通語」に示される中国文字の発音記号や英会話の訳文などに見られる中国語は、北京官話でなく、浙江あたりの言葉のようであるとの説を聞いたことがある。この点について、この書が中国語学者の注意を惹いて、更に詳細の研究を示されれば幸である。

 なお、この書の巻頭の福沢の序文ならびに原著者子卿の筆に成る序文、凡例などの漢文には、本全集では書きくだしの訳文を併せ揚げることにした。この読み方については吉川幸次郎博士の示教を仰いだ。ここに記して深く謝意を表する。


〔再版追記〕

 後記六一四頁に記した「増訂華英通語」の美濃判二冊本は、その後、慶応義塾図書館にも架蔵された。この書は本全集では写真凸版にして掲載したが、仔細に見ると綴りなどに不正確なところがかなりにある。それらに就いては第二十一巻の「補訂正誤」欄に記す。


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慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクション
Digital Collections of Keio University Libraries
デジタルで読む福澤諭吉
増訂華英通語. 上
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