自己実現について思う事

自己実現について思う事。
これについては色々あります。
もの凄くざっくばらんに想い着くこと書きます。
自分自身がなりうる最高の自分になろうとすることは人間の脳をよくよく理解すればそれが如何に自然な事であるのかが分かります。
しかしながら、社会的な制圧であったり風習、文化、抑圧によってそうした最高の自分になろうとする欲求は多くの場合、消滅してしまいます。
もし、社会の「古典的風習」に従った形で自己実現をなそうと思ったとしてもそれは陳列されている商品からもっとも好ましい物を選ぶかの如く、既存社会において「これはなれますよ」と認められたパターンから選ぶように、ある程度、形が決められたものから選ぶような自己実現が大半だと思います。そしてそれが大抵の場合、キャリアプランとして形成されていくのだと思いますが、自己実現というものは本質的にそういったものではありません。ある程度決められたルートから自分が行きたい道を選ぶのが自己実現であるかのように考えている人たちが大勢いますがあくまでもそれはキャリアプランであって、自己実現へのルートとはまた異なります。
真の自己実現者と言う者は基本的に既存の社会的風習や習慣を嫌います。
それはなぜかと言えばそれらの風習やルールが「自己実現者ではない者たちが自己実現者でない者たちをまとめる為に作ったルールで、自己実現者からするとそれらが不必要で不愉快であることが大半であるから」であると私は考えています。
自己実現者たちは基本的に人をだましたり、非道徳的な行動を嫌います。
これはひとえに自己実現者たちの前頭葉が活発化しており高い社会性を保持しているからだと考えられます。また、彼らが持つ非常に忍耐強いという特徴もこの脳科学的な前頭葉の働きに関する知見を照らし合わせれば納得がいきます。
つまり、彼ら自己実現者は社会的な抑圧的ルールを嫌いますし、基本的に独自性を保持していて、自分自身を強く律する力があるが故に社会が決めたレールを行こうだなんて思う自己実現者は皆無だと考えられるのです。
(私が知る自己実現者たちは非常にユニークで社会が決めた「型」に収まるタイプの人はありません。)
そもそも社会のレールやある程度決まったキャリアプランを行こうとする考え方そのものが資本主義のルールに従って自分自身の安定欲求を継続的に充足しようとする試みであるとも考えられます。安全の欲求を否定するつもりはありませんが、低次の欲求である安全の欲求の中にあって自分自身の自己実現を達成するなんて事は私の経験からしてもほぼ不可能だと思います。

その中にあって、私も基本的に自分自身の文化を擁していますし、社会的な文化や風習に染まるのが嫌いです。
私には私の文化がありますし、それを他人にとやかく言われるのも嫌いです。(だからあまり人とは関わりません)
多くの人は社会が良いというものを良いとし、悪いというものを悪いと思うと思います。分かり易い例で言えば大麻は悪くてお酒は良い。
これなんてWHOが発表している依存度でいえば酒の方がよっぽど最悪なのに、多くの日本人は酒の方がまともだと思っていると思います。
また牛乳も身体に良いと思っている人がいまだに大勢いますが、牛乳に含まれるカゼインはれっきとした発がん性物質です。それをカルシウムを摂るためにとせっせと牛乳を飲んでいる人がいるから明治乳業や雪印はあれだけ大きな会社として存在していますが、事実、牛乳は身体に悪いと言い切れるほど様々な問題がある食品です。
それでも多くの人がそれらが良い、悪いと信じて疑わないのはまさに非自己実現的で被洗脳者であることの現れなのです。
それでいて、この社会的な文化的洗脳に染まった状態で人生を送ったとしても自己実現は達成できませんし、最高の自分を経験せずに終わります。

マズロー博士が言うように自己実現者というのは絶えず成長しようとする存在であり、社会的な慣例的習慣に染まることが出来ない人達です。
かく言う私もその一人です。まったく馴染みません。
それも始めは自分がおかしいと思っていたのですが、むしろ社会の方が妄信的で科学的事実に沿わない文化を維持しようとして非生産的な文化を常に生み出し続けていることにある日気が付いたのです。
科学的に考えた場合の人間の本質を無視して資本主義的に都合が良いものが正しいのされる世の中は私の目には非常に滑稽に見えます。
その社会は非自己実現的な社会です。私が自己実現の目標を言えばやれ
「無理だ」「不可能だ」「現実をみろ」と言うように非常に抑圧的で社会のルールに従わせようとする者たちの「はきダマリ」でしかなかったように思います。そこには科学的な理論などなく、資本主義の上層にいる人間たちが最下層の人間たちをコントールしやすいように組み立てたかのような願望否定型自動思考のロボット的な物言いしか吐けず、自己実現の可能性について微塵の希望も抱いていない人たちでした。

科学は人の可能性を非常に多く引き伸ばしてきました。
今こうして多くの人に向けて、自分の考えを発信できるのも科学のお陰です。しかし、ほとんどの人はその科学を使って自分が自己実現を果たせるだなんて微塵にも思っていません。だから自己実現に関する科学を学ばず、古い成功ルールや大して役に立たない成功者が書いたよく分からない成功本にすがっているんだと思います。
「〇〇の為の5つのルール」「〇〇メソッド」「〇〇2.0」
〇の役にも立たないようなテクニック本ばかりで本質的な事が書かれている本なんて100冊に1冊あるかないかです。
エビデンス云々言う社会の割りにそれを実証する論文や研究が無いないものを多くの人が信じている事に正直違和感を感じます。
もちろん、エビデンスや研究論文がすべてではないのですがね。
しかしながらその人類を発展させてきたやはり科学だと思います。

まぁ一言で言いますとそういう社会にいる事がつまらないんです。
自己実現を果たそうとしていてもやっかみを受けますし、そういう古いものの中に居たくないというのが本音です。
それなら私自身が自己実現を科学的に研究して、それを可能にし、自分自身で自己実現を果たし、そして行く果ては「自己実現者による自己実現者のための自己実現的経営」を可能にする企業を創るという事がその一つの目的でもあります。
自己実現者だけの企業をもし作れたらこれほど楽な事はありませんからね。
組織は必要だと思いますが、私は支配には全く興味がないので本音を言えば起業なんて微塵もしたくありません。可能であれば一生個人事業主でやっていければそれがベストです。それがもし自己実現者のあつまり、マスターマインドって言うんですかね?
そういう人たちの集まりによる企業であれば興味が惹かれます。
自己実現者の集まりなら訳の分からないルールを作る必要もないですからね。

また、社会が非自己実現者の集まりでは決して良い世の中にはなりません。
ここで説明すると長くなるので割愛しますが、脳科学的にこれは言い切れます。非自己実現的な政治家が政治権を握っている限り日本社会は衰退していきますし、いずれ滅びます。これも言いきれます。

最後に自己実現と高祖父の後を継ぐ為に栄養学や生理学の論文も読んでますが、何度も言いますがわたくしは決して健康マニアなんかではありませんからね。
あくまでも自己実現に必要な科学を学んでいるだけで、科学は私にとってあくまでも手段であり目的ではありません。ここは今後何度でも言おう。
「健康マニア」って言われるのがかなり腹立つんですよね。
まぁ自己実現論の研究をしているのをほとんど言っていないからそりゃ健康マニアに見えるんでしょうが違いますからね。
あくまでも自己実現の研究です。

宜しく御願い致します。

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