NUMBER GIRL 無常の日

 2022年12月11日の「NUMBER GIRL 無常の日」は本当に素晴らしいライブだった。最初から最後までゾーンに入っているような最高の演奏で、あらかじめ仕上がった状態から無理なくギアを上げ続けていく展開がたまらない。NUMBER GIRLの楽曲には、激情がはっきり示されながらもそれが解決されないまま流れ続けていくようなところがあるのだが、今回のライブにおける、常にメーターが振り切れているのにいつまでもピークに達しない感じの演奏は、そうした楽曲の持ち味にとてもよく合っていた。そして、それは繰り返し再生できる映像作品では別の形でも映える。大音量で観ればひたすらブチ上がれる熱狂のショウになっている一方で、控えめな音量で流しておけば極上のBGVにもなる。結果として、Blu-rayとCDでリリースされた『NUMBER GIRL 無常の日』は、単体で何度でも楽しめる完成度の高い作品になっている。再結成してからのNUMBER GIRLが発表した新曲は「排水管」のみだが、それも収録し今のこのメンバーでなければ成し得ない境地を捉えた本作は、素晴らしい“NUMBER GIRLの新作”だと言える。これほどの傑作をリリースしてくれたことに感謝したい。


 とはいえ、こういう記事を書かせていただいている自分はNUMBER GIRLの良いファンではなかった。再結成後に3回観ることができた今でこそ凄さを了解できていると思うが、ありがたみがよく分からなかった期間が長かったし、再結成がアナウンスされた当時(2019年2月)も、周囲の音楽ファンの盛り上がりについていけなかったのが正直なところである。これは個人的な音楽遍歴のせいもあるだろう。自分はメタルを入り口に音楽を聴き始めた人間なのだが、そのメタル領域は伝統的に邦楽ロックとは距離のあるジャンルで、ファンやメディアが棲み分け的に避けあっているだけでなく、音楽的な構造や快感原則も大きく異なる。特にNUMBER GIRLの音楽性は独特で、BUBUKA 2023年3月号掲載の向井秀徳インタビュー(「what’s 豪ing on」Vol.2)で吉田豪が「風の噂で向井さんは稼いでる説みたいなものが流れてきて、『この音楽性で稼げてるのってすげえ!』って素直に思ったんですよ」と述べているように、うまく波長を合わせることができなければハマるのは難しい部分も多い。『NUM-HEAVYMETALLIC』も今でこそ名盤だと思えるが、「HEAVYMETALLIC」を掲げていながらもヘヴィメタル的ではない不思議なサウンドに最初は当惑させられた。どちらかと言えばポストパンクやハードコアパンクに近く、それでいて豊かな音楽語彙により完全にオリジナルな音になっているNUMBER GIRLのバンドサウンドは、入門するルートによってはかなり取っ付きにくいのではないかと思う。

 こうした“入りにくさ”は、NUMBER GIRLの解散からかなりの時間が流れているというのも大きいだろう。最後のアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』も2002年の作品で、それ以降の時代に様々なジャンルで発展していったサウンド基準からすれば、爆音としてのインパクトはどうしても薄まってしまう。例えばLED ZEPPELINは、1960年代末では同時代のロックの中でもずば抜けてヘヴィで勢いのあるサウンドを出していたために理屈抜きに刺激的なものとして受容され、それに惹かれたファンが積極的に聴くうちに固有の複雑な味わいを理解する、ということが起こりやすかっただろうが、1980年代以降のヘヴィロックにおける激しさ基準に慣れた耳で接すると、派手じゃないし味もよく分からないと感じられてしまい、なかなかハマれないことも多いだろう。NUMBER GIRLの録音作品群も、良くも悪くも同様の“歴史的名盤”になってしまっていたように思う。少なくとも自分にとっては、唯一無二の個性があるのはわかるが勘所はなかなか掴めないバンドだったのだ。


 そうした印象が一変したのが、2019年9月22日に開催された京都音楽博覧会だった。豪雨のなか登場したNUMBER GIRLは演奏も立ち姿も圧倒的に格好良く、どうせだから観ておくかという程度のモチベーションで臨んだ自分も完全に惹き込まれてしまった。各メンバーの出音の相性が非常に良く、帯域の棲み分けもリズムの絡み方も、全てのパートが各自の持ち分をわきまえつつ密着する関係性が素晴らしい。独特の音楽性に関しても、爆音で聴くことで旨みがストレートに伝わってくる感覚があり、よく分からないけど強烈に効く、そして新たな性感帯が速やかに開発される、という手応えが得られる。バンドの出音が見事に“今の音”になっていたのも大きいだろう。伝説とかレアというような体験としての価値を抜きにしても極上のパフォーマンスで、自分はここで初めてNUMBER GIRLの良さを実感できたのだった。やっぱりライブって本当に大事なんですよね。


 そして、その次に参加することができた2021年11月28日の大阪単独公演(ツアー「我々は逆噴射である」初日、Zepp Osaka Bayside)はさらに素晴らしかった。持ち味の異なるメンバーが集まりクセを共有することで、優れたまとまりを持つ一個の生き物が生まれる...というバンド音楽の醍醐味を最高度に体現する内容で、しかもそのまとまりは演るほどに増していく。特に印象的だったのが各メンバーのリズムの取り方の違いだ。体でビートを取るときの捉え方にはアップ(拍に合わせて首などを振り上げる)とダウン(拍に合わせて下げる)の2種類があって、打点に対しダイレクトに切り込めるダウンに対し、アップは緩やかな波を作ることができるのでタメや“間”のコントロールがしやすくなる。田渕ひさ子とアヒトイナザワはロックとしては一般的なダウン、向井秀徳はマイク前で歌い続けているため判別し難いもののおそらくダウン寄りな一方で、中尾憲太郎はアップが大部分。これは「無常の日」の映像でも確認できる。

 中尾のベースはハードコアパンクに通じる硬くささくれだった音色で、素早い刻みで低域を滑らかに埋めていくのだが、予備動作を伴うアップで拍をとるからか、どんなに速いフレーズでも一つ一つの音に程よい“間”が伴う。一方、田淵のギターはグリッドに寄り添いつつ微妙に前ノリになる感じで、融け粘る鉄をかき混ぜぶった斬るような凄まじいタッチは入り/切りの断面が分厚いこともあってか、中尾ベースとは逆方向の趣深いヨレをアンサンブル全体に加える。その2者に比べると向井のリズム処理はプレーンで、無頼で変則的なアーティストイメージとは裏腹に、実は最も丁寧で正確なリズム処理をし続ける。そういう3者を土台に微細な色付けをしていくのがアヒトイナザワのドラムスで、基幹ビートに対し先走ったりモタったりしながら合わせていく動きがよく映える。というふうに、各人の持ち味は異なるけれどもバンドサウンド全体の輪郭は整っていて、相互補完が抜群に良い。綺麗に整理されてはいないが全体としてのまとまりは素晴らしいアンサンブルは、ロック史上の名バンドにも並ぶ唯一無二の珍味と言えるだろう。この日のライブでは、そうしたまとまりが時間の経過とともにどんどんこなれていった。軋む車のネジが次第にうまく締まっていき、それに反比例するように運転者のボルテージが上がっていく。演奏表現としてもショウの魅せ方としても絶品のパフォーマンスだったのである。


 こうした体験を経て立ち会うことができた「無常の日」は本当に素晴らしいライブだった。先述の大阪公演では立ち上がりに少し時間がかかったが、今回は最初から仕上がっている。その上で、セットリスト全体の緩急構成も万全で、2時間半の長さを聴き続けても意外なほど疲れさせられない。映像で観ると、疾走感あふれる演奏の勢いとは対照的に展開の体感速度は意外とゆったりしていて、名残りを惜しみつつ急がず噛み締めるような時間の流れが心地よい。例えば「Omoide in my head」の終わり、青春の汗と甘酸っぱさがいつまでも燻るような響きに浸っていたら締めのフレーズで我に返らされるところでは、「このライブをあと2時間以上も観れるのか」と思えたりもする。4回披露された「透明少女」の解決しきらないコード進行が好例だが、NUMBER GIRLの音楽は意外とアンビエント的に浸り続けられるところがあって、極上の演奏と絶妙なセットリストがそうした特性を強化する。これは何度でも再生できる録音録画作品だからこそ吟味できるものでもあるだろうし、1万人規模の会場をちょうどよく感じさせるスケール感と親密さ(メンバーを至近距離で捉える映像ではいっそう映える)もそうした居心地を後押しする。日常の延長線上で永遠を捉えているような至上の音楽体験。今のNUMBER GIRLだからこそ生み出せた、掛け値なしの傑作だと思う。


 「無常の日」を観終えて帰るとき、自分は「全盛期のLED ZEPPELINを生で観れたらこんな感じだったのかな」という感慨にふけったのだが、これは最上級の賛辞である一方で不十分な認識でもあったと思う。音楽的に通用するという意味でも、現時点のスキルや人間的成熟がなければ届かない妙味を確立している点においても、再結成後のNUMBER GIRLはすぐれて“今”のバンドだった。曖昧なニュアンスを曖昧なまま伝え、よくわからないものをよくわからないまま旨いと感じさせる説得力が、あまりにも個性的であるために時代を超えて古びない音楽性と、技術的にも人間的にも更新された演奏表現力により、若い世代にもストレートに刺さる形で発揮されている。そうした意味において、再結成後のNUMBER GIRLが成し遂げたのは、伝説の再現ではなく上書きだったのだと思う。独特の音楽遺産はこれからもさらに受け継がれていくはずだ。


本作のプレスリリースで、向井は以下のようなコメントを出している。

思いでにとらわれて、思いでに取り憑かれるな。

いや、やっぱ、やっぱり思いなおした。

思いでの中にさまよって生きようや。

向井秀徳


再々結成はしばらくはないだろうが、全くあり得ないわけでもないだろうし、仮に実現した場合は再び素晴らしい音楽的アップデートをしてくれるだろう。今回の再結成でファンになった立場としては、それをぜひ観てみたい。いつかまた、ふらっと集まって金を稼ぎにきてほしいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?