自分ってどんなヤツだっけ?①

自分って、どんな人間だっけ?

見失うと、一体どこから探したらいいかさえ分からなくなるものだ。

考えてみても、まるで分からない。

しょうがない、産まれたときから順を追ってみるとしよう。


幼少期


ぼくは未熟児として産まれた。

1600グラムくらいだったから、結構小さかったのだろう。

そのおかげか、病院の先生や看護師さんにしこたま可愛がられたらしい。

そして、一人っ子である。

水商売をしている両親。

そのため、基本的に面倒を見てくれるのは祖母である。

厳格ではあったが、愛情があふれ出ていた。

両親も愛情を注ぎこんでくる。

兄弟は誰もおらず、必然的に愛を一身に受けることとなる。

つまりは、溺愛されて育つわけだ。


日中は祖母しかいないわけであるから、一人遊びは得意になる。

合間合間で「お腹が減ってない?」とか、「眠たくない?」とか様子を伺ってくれる。

一方、話しかけるには家事の合間などタイミングを見る必要があるわけで、一旦様子見をするというのが基本となる。

コミュニケーションが受け身になりがちな原型だな、と書きながら思う。


幼稚園児


幼稚園児の自分を思い出すのはだいぶ苦労する。

断片的な記憶を手繰り寄せて、解釈してみる。

パっと思い出せるのは、徹夜で幼稚園にいったことだ。


一人遊びが主の自分には、ファミコンが与えられていた。

たまに親が相手をしてくれるのはうれしかったものだ。

毎日深夜に帰ってくる親に会えるのが楽しみだった自分は、がんばって起きて帰りを待っていたのだろう。

深夜、父とファミコンをはじめる。

スーパーマリオブラザーズ3。

順調にクリアしていく。

外は明るくなり始める。

クリアの頃には完全に外が明るかったことを覚えている。

…どんな家庭だ。

かくしてそのまま幼稚園に。

徹夜明けのぼくは、幼稚園で倒れた(寝た)ようで、母親が呼び出されて自転車で迎えにきた。

「よくがんばったね」と褒められた覚えがある。

なかなかユニークな家庭である。


あともう一つ思い出すのは、友達に暴力をふるってしまったことだ。

今現在、全く自分はそんなことをしない。

だから、なぜなのか分からない。

そんなことがありながらも、その相手とは遊んでいた記憶があるので大事には至ってなかったのだろう。

うーん、きっと多分兄弟がいたらそこでさじ加減を学べたのかなぁ。

その経験がないから友達相手にやってしまったのだろうか。

今の自分からは縁遠い行為であるので、イマイチ理解できない。

もしその友達に会うことがあれば、謝りたい気持ちでいっぱいである。

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