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【後編】ゼロ富士ゼロの思い出:海まで

中編

いよいよ山頂へ

9月16日(金)山頂まで

本来であれば1泊してご来光を狙っていたのだが、
雲海荘の女将さんにお勧めされて、山頂に向かうことに。
1100ごろからのスタート。

ここからが地獄だった。
雲海荘で休憩したこともあり高山病の心配は無さそう。
一方で寝不足と疲労の蓄積がここにきて効いてきた。

富士宮ルートを登ったことがある方はご存じだろうが、
同じ景色を永遠と登ることになる。
途中からは砂っぽくなり、登っても若干戻される。

次の山小屋を目指して

本来であれば途中の山小屋で休憩できるのだろうが、
今は閉山期間であり、それも出来ない。
とりあえず休憩しようと岩に腰掛けたら一瞬寝落ちしていた。

しかし不思議なもので、歩けば山頂は近づくのである。
どれだけしんどくても一歩を踏み出せば残りは減る。
この単純なことが心の支えになっていたことを覚えている。

上の方を見ると3人組の登山者がいた。
あの人たちをペースメーカーにしようと思いつき、
1人じゃないんだと思い込むことで、頑張れる気がした。

山頂に近づくにつれて、砂道感が強くなる。
柔らかい砂地がしんどいのだ。

15歩歩いたら、30秒休むというルーティンを発見し、
無心で歩く、時折景色を眺めるとちょっと心が救われる。

そんな心境の中で、この看板を見つける。
この時点で1450ごろ。雲海荘を出てから約3時間経っている。

心を折にきている

この時点でほぼ心は折れており、
続けている理由は「達成するって言ったしな」の一点だった。
自分との勝ち負けではなく、友人や家族に有言実行したかった。

この看板の前で5分くらいは悩んでいたと思う。
「この写真があれば、山頂まで行かない理由になるな」と。

その時、ブルドーザーを使って登山道を整備している人を見つけた。
あの人に聞いてみて、登山道なかったらここで終了しようと思った。

「ちょっと遠回りだけど、あっちから回れるよ」
という回答をいただき、絶望しつつ、挑戦を再開することにした。

結局そこから30~40分で山頂に着いた。
あとは剣ヶ峰に向かうのみ。

ここでペースメーカーにしていた3人組と合流した。
なんと女性3人組だった。元気なものである。

ザックにつけていたゼッケンを見て、
「ゼロ富士やってるんだ、海まで戻るの?」と話かけてもらった。

3人組を先導していたお姉さんは見た目からして上級者。
話を聞くと、3回ゼロ富士を達成しているらしい。
もはや上級者ではなく、変態である。

驚いている他の2人に対して、
「あなた達もその内やりたくなっちゃうよ」という予言をしていた。

1530ごろに剣ヶ峰に到着した。
ちょっと泣いた。

嬉しさと終わってしまった悲しさ

柿ピーを食べたり、写真を撮りつつ休憩していると、
ヘルメットを被ったトレラン風の人がどこからか登場して驚く。

旧道を上がってきて、お鉢参りをして降りるらしい。
ここにも変態がいた。

山頂に名残惜しいが雲海荘に戻らないといけない。
日が暮れた富士山は考えるだけでも恐ろしい。

1600前に下山を開始した。

9月16日(金)雲海荘再びまで

登り以上に下りがしんどかった記憶がある。
ヘロヘロになりながら雲海荘を目指す。

雲海と夕焼けのコンビネーションがとても綺麗だった。
1730をすぎると徐々に暗くなってくる。

雲海と夕焼け

早く雲海荘に戻りたいが中々進まないのだ。
コーラ、コーラと呟きながら黙々と歩いた。
1800過ぎに雲海荘に到着。

まずはボディーシートで体と脚を拭き、
コーラと餃子定食をいただいた。

ご厚意?で翌朝の朝食はお弁当にしてくださった。
雲海荘の皆さんはとても親切で素晴らしかった。
次また挑戦するときもお世話になりたいと思っている。

お菓子を食べたりしようかなと思っていたのだが、
布団の上でのストレッチ中に、いつの間にか寝落ちしていた。

9月17日(土)「富士塚」まで

翌朝は0430ごろに起床。
朝焼けがとても綺麗だった。

雲海荘からの朝焼け

「ゴミが増えちゃうし、ここで食べていけば?」
というありがたいお言葉をいただき、お弁当を食べる。

0540ごろに出発した。
寝たこともあるのか、気分が楽になっている。
後はひたすら歩いて海まで戻るだけ。

昨日歩いた古道を下っていく。
なぜかお地蔵さんエリアを見逃してしまい、
帰りは挨拶ができなかった。後悔が残る。

あっという間に高鉢駐車場に到着。0730ごろ。
往路も0730ごろに通過しており、不思議な気持ちになる。

戻るときは早い

「PICA表富士」も通過し、往路では断念したショートカットコースへ。
その道を歩きながら、暗い中に歩かなくて良かったと心から思った。

道中では色々な人に声をかけてもらった。

林業の方からは、富士登山昔話を聞かせてもらう。
市役所勤務の方からは、このルートどうですか?と聞かれた。

明るいとこんなにも歩きやすいんだなと思いつつ、
1200ごろには徐々に人の匂いがする道に戻ってくる。

途中のコンビニでアイスを食べたりしながら海へ向かう。
家系ラーメンに惹かれるが、流石にそれは断念した。

黙々と歩くこと数時間。
1500ごろにスタートした場所に戻ってきた。

日中にみても海タッチはできそうに無い

往路ゴールである剣ヶ峰到着が1500ごろだったことを考えると、
不思議な気持ちになった。高鉢駐車場の件もあったので更に。

最後はサライを聴きながらゴールしたが、あまり感動は無かった。

9月17日(土)東京まで

新幹線の時間が迫っているので、
余韻もあまりなく吉原駅へと急いだ。

電車に飛びのり三島駅に向かう。
乗り換えを間違えてしまい、なぜか改札を出てしまう。

数分後の新幹線に乗りたいのでとても焦ったが、
自由席のチケットを急いで購入し再度飛び乗る。

コーラを飲みながらのんびりしていると東京駅に到着した。
文明の発展で移動は早くなったがロマンが無いなと生意気なことを思った。

不思議なもので、ずっとマクドナルドが食べたかったのだが、
いざ食事になると「赤身肉と野菜が食べたい」と身体が叫んでいた。

近所のスーパーにいくと「牛ステーキ肉40%」となっており、
これまた運命を感じて、筋張ったステーキを食べた。

なんと4割引

続きは【おまけ編】で


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