見出し画像

動物と人間について考える。

たまたま読み始めた本に 

人間が最も動物と異なっていることはなんでしょうか?
『知能が突出して発達していること』

というようは内容から始まっている。
まだ ここまでしか読んでないから この本の内容がどうかという話しではないのだけど……
この事をどのように解釈するのかって 人それぞれだなと感じたのです。 本の中に

言葉や数を自由に操れる、、それによって  知識を蓄積し、科学のように役に立つ体系的な理論として構築し、再現可能にすることでさまざまな『道具』を発展させて活用できる……
このようなことが動物と人間を異なる存在にしているといってよいでしょう。

とある。

同じ命であっても 異なる存在になったのか。

人間は知能が突出したのか 
それとも……
それにより もともと持っていた知性智慧を手放したのか……


そんな事を考えました。
確かに 便利な世の中にはなったとも思います。
しかし
 "言葉や数などを自由に操ることができる "

コレって本当に人間だけがもつ 能力なのかな⁉️と思ったのです。

なぜそう思ったかというと
この流行り病のことでも そんな事には影響されずにいつも通り生きているのは むしろ動物の方で 知らないからということではなく 危機感を感じてないからなのではと思うのです。
うちの愛犬コーダも今年に入り何度か病院のお世話になりました。 しかし 本当に危機的状況の時、彼は全身でその情報を伝えてきます

しかし 人間は言葉や情報というものに大きく翻弄され 実際の自分の感覚、自分が発する情報を見ずに 大切な時間を失った。
中には、世間の波に流されずに この時間を有効活用した人もいますが

私のこの考えの延長線上に感じる 動物愛護という世界への ちょっとした危機感がある。

動物愛護の考え方は 当然のことでもあるし 大切なことなのだけど わざわざココを言わなくてはいけなくなった根本の原因はなんなのでしょうね。

時々 動物を守るという正義感に問題の本質を見失い始めてるのではと感じるのです。
動物たちの生態系に大きく侵入したのは 実は人間の方で その結果崩れてしまった。
そして 次は人間が動物を守ってあげなくてはとなり始めている。
コレって 最初に書いたことからみると 
人間の方が力がある 人間の方が偉い、強い 
だから弱きものを守るのは当然

というロジックに変化し始めていないのか⁉️と感じるのです。
もともとは
 "同じ命として動物も人間も同じという基準がもとにあった"と思うのですが、いつのまにか
 "人間が守ってあげないといけない"という 考え方に偏り始めている。

ブリーダーというものも もともとはその種を守るためのものだったはずなのに 
いつの間にか 種の価値を上げるためコンテスト、ショービジネス化され 人気が出れば 
貴重価値である。命の値段だからとどんどん釣り上がっていった。
その結果 ガラスケースに並べられペットビジネスへと発展した結果が 命への認識を下げたと感じる。

そして次が動物愛護という 大きな唸り

この命の価値の見極めを間違えないでほしいと思ってしまう。
不幸な命を増やさないためにと去勢をしていく。 コレは人間が決めていいことなのか⁉️とも感じる。行きすぎると このペット産業で招いた流れと同じにならないか⁉️と 感じてしまう。

犬や猫だけではないということも
命あるものは 実は私たち人間と同じ自然の一部なのだという 原理原則を忘れてはいけない。

人間は知能が突出したばかりに 大切なところを忘れていっている氣がする。

動物って 種をこえて助け合うことも世界中の沢山の映像があり 伝えてくれる人もいる。
犬と猫が仲が悪いというのも 実は人間が勝手に決めたことで 動物からしたら 自分が猫だとか犬だとか 熊だとか そんな区別した認識はないのではないかと思うのです。

私は 自然の声をききとり 仲間や自然とも通じ合える能力を使い続ける動物の方が よっぽど有能なのではと思ってしまうのです。

YUKIKO

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?