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哲学対話(「大人になるメリット」について)

また二村さんの哲学対話に参加してきました。

今回の問い

「大人になるメリットについて」だった。
集まった人たちからの問いは、

1.おとなって、どうしたらなれるの?

2.大人としての責任を果たすには子供のままでいられないのか?

3.なんで大人にならないといけないの?
4.大人に「なる」ってどういうこと?
5.なんで大人になりたくないの?
6.大人か大人じゃないかって誰が決めるの?
7.大人と小人のラインはなぜ引くの?
(子供ではなく小人)

なんか難しかった

なんかサクサクでてきそうだけれども、結構難しかったな〜という感想も対話の後ででてきていて、僕も本当にそうだなぁと感じました。

 大人という言葉には色んな意味が含まれていて、モノ・存在の経年変化としてだったり、稼ぎの問題だったり、取り決め・飲酒や喫煙の制度などの取り決めだったり、精神的なものだったり、立ち振舞いだったり、さらに人によって想像するものが全く違うので、お話の土台がなかなか作りにくかったためだったのかな・・・?

じぶんあんまり面白くないな ><

自分が思ったのは、大人という定義はコミュニティの中で産まれて、そのコミュニティのメリットを享受させるに足る行動ができるかどうかで決まっている概念で、人によって所属しているコミュニティが異なっているので、その概念自体も帯状・層状になっているのではないか?ということだったんだけれども、今になって書いてみるとそんなの自分の理解を言っているだけで当たり前であんまり面白くないな。
対話で面白かったのは、【「大人」とは、自分の外の異なる2つ以上の背反している定義からできているのでは?】ということと、【大人以前に自分はヒトかどうか】というところにまでさかのぼって考えるということがでてきたこと。

【 「大人」という定義は、なんらかの社会的な大人の基準を、自分の中と外から見た時の2つ以上の基準からできているのでは? 】とその時のメモには書いてあって、なんとなく理解できた気になっていたんだけれども、今になってみると考えが足りていなくて、イマイチなにを理解した気になったのか、ちょっと小一時間ほど問い詰めたいが、そもそも忘れてしまっていることに気がついた。

大人以前に自分はヒトかどうかにさかのぼって考えるという事については、その時発言された方は皆さん、自分はヒトであると明確にお話をされていたが、僕はあんまり自信をもっていうことができないな〜。。。
大人っぽく、普通のヒトっぽく振る舞うことについては、努力しているつもりなので、それっぽく見えていると思うんだけれどもww

やっぱ面白いな

おわった後の感想戦はさらに面白かった。
他人も自分も使って、自分自身の思索を巡らせて楽しむ遊び、自分を大きな脳の中の脳細胞として振る舞わせる遊び、こういうのは性に合っているし面白いな〜。
またあたらしいテーマで参加してみよう!

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