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ツイートするほどのことじゃないんだよなあ…

・名前
好きなキャラクターの名前についてよく考える。その漢字、一字一字を電子辞書で調べ、組み合わさった時の意味を考える。 そしてその名前を持つキャラクターが自分の名前に関してどう考えているのだろうと思いを馳せる。好きなのか嫌いなのか、呼んで欲しいのか呼んで欲しくないのか、誇りに思っているのか誇りに思っていないのか。
私の好きなキャラクターの中に脱獄犯がいる。その彼の名前は凡そ脱獄とは似つかわしくない名前を充てられているように感じる。故に、彼は自分の名前をどう思っているのだろうと考える。
しかし、ここではたと思う。彼の性格上別になんとも思っていないかもしれない。私がこんなに名前についてあれやこれや思うのは私が部外者かつオタクであるからで、彼は自分の名前をどうとも思っていないのではないか、と。由来とか意味とかそんな事考える質じゃない気がしたので彼の名前について考えるのは辞めた。

・元同級生たちと家
小学生当時に歩いていた通学路を、ある日大人になった今歩く時があった。
あーこんなお店あったなあとか、あれ?こんな表札だったかな?とかそういうことを思いながら歩く。ふと、そういえば小学校に通ってた友人たちの家がどこにあるのかほとんど知らないな…と気づく。
集団下校なるものが存在したが、個々人の家の前まで行くわけではなかった。だから誰がどこに住んでいるのかはあまり知ることがなかった。ただ、この近くに住んでいるんだな〜という認識しかなかった。
大人になった今もあの頃の同級生と街中で鉢合わせることはほとんどない。今もみんなの実家がどこにあるかわからない。実家に住んでいるのか親元を離れているのか。馴染んだ町にも拘わらず誰も知り合いがいないような中で歩みを進める。

・けんぱ
けんけん ぱっぱっ けん ぱっぱ
誰もが1度はしたことがある遊びだと思う。
お前、けんぱっぱっの"ぱっぱっ"ってなんやねん。いや、"けん"も何??????
彼らが何を表しているのか一切わからない。
ので、調べてみましたが腑に落ちませんでした。失礼いたします。

・ツバメ
「ツバメ」と聞いたとき、皆さんはなにを思いますか?わたしはこう思います。
「ツバメってスバメでもいいよな」です。
ツバメの音ってスバメっぽくないですか?パスの早い会話の中でなら"スバメ"と言ってもバレない気がします。
ていうか、スバメって何かを表しているんでしょうか?スバメについて調べてみました!

ポケモンにいました。

・クリスマスツリー
あらゆる場所で木が彩られていたりクリスマスツリーが飾られる季節になってきた。ー この記事を投稿する頃には門松に変わっているやもしれぬが ー とにかくクリスマスツリーの、いわばクリスマスの季節が到来したのだ。
皆さんはクリスマスツリーになにか思い出はあるだろうか?わたしは全くない。幼少の頃に家で飾られていたような気もするようなしないような。
そういった幼少の経験が活きているのかわたしはクリスマスツリーだとかイルミネーションだとかそういった装飾にこれっぽちも心が動かされない。寂しい人間である。こういうのは心が踊っておいた方がいい。それは何も浮かれろと言っているのではなく、何事も楽しめた方が人生にも色がつくというものだ。人生は楽しい方が楽しくないより随分いいだろう。
なのでわたしはクリスマスツリーを眺めながらこの文章を書いて気持ちを高めています。

・くしゃみ
くしゃみをした時、ハックションのハックションの勢いでくしゃみをした記憶が消失することがある。
2,3分経つと、あれ…?鼻水が出る… のどがざらつく……くしゃみ………したのか?となることがある。
思い返しても自分がくしゃみをしたかどうか思い出せない。記憶にない。かといって他の記憶が抜け落ちているとかそういうことはない。くしゃみに関する記憶だけ飛んでいるのだ。
しかし、記憶が抜け落ちている訳はくしゃみの勢いに限った話ではないのかもしれない。
鼻炎持ちアレルギー持ちのわたしは8月頃からグズグズと鼻を鳴らしくしゃみをする。そう、くしゃみが日常化している。息をするのと同じになりつつあるからしても忘れてしまうのだろう。
にしたって、親に「くしゃみしたっけ?」と聞いて「してない」と言われた時のはずかしさったらない。

・夜
夜が怖い。
明日が来るから?違う。
今日やり残したことがあるから?違う。

今までの過去で、運良く夜に怖い目にあったことはない。(昼間ならたくさんある)
しかしいつもそうとは限らない。明日こそ我が身。明日の夜に事件に巻き込まれる可能性はゼロじゃないだろう。
夜はわたしを心細くする。物理的にも、精神的にも。
家にいる夜、毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩願う。何もありませんように。何もありませんように。わたしだけじゃなく家族も友人も知らない人たちも何もありませんように。
夜が怖い。

・散歩
散歩が趣味の人って凄い。わたしは用もないのに外を出歩きたいと一切思わない。散歩が趣味って用もなく出歩くことを用事にしている。それって凄い。また散歩の中で用事を見出している。外の景色や街の人、音、気温、そういったものを見出すことを用事にしている。前述の通り、景観にあまり心を動かされない人間であるからそういった人を見ると感心してしまう。
散歩が趣味の人を凄い、と思うのにはもう1つ理由がある。
1人で外を歩ける凄さだ。さすがの私も1人で外を歩けるが、それは目的地に行くから歩けるのである。要は1人で外を歩くことを強制されているのだ。しかし、散歩にはその強制力はない。
わたしは1人で外を歩くことが怖い。具体的には?と問われると上手く答えられないが1人で外を散歩している様を想像すると何かの不安や恐怖に駆られる。上手く歩けない。
恐らく、散歩をする人はこういった不安、恐怖に駆られたことは少ないのだろう。だからこそ散歩ができるのだ。
わたしもいつか目的なく出歩くことができるのだろうか。

・失敗
労働に失敗した。
在学中を含めて1年と2ヶ月、卒業してからだと9ヶ月。その間わたしはしていたアルバイトを辞めた。在学中は卒論に集中したかったから。卒業後は、今していることとのバランスを見るのに余裕を持たせたかったから。
それも落ち着き12月も始まりアルバイトを始めた。しかし、失敗したのだ。
前職の経験がわたしに何をもたらしたのだろうか?ただでさえ働くことが嫌だったのだがそれに加え何かがわたしを圧迫する。
アルバイトを初めて3日。三連勤だった。嫌だなと思いながら働いた。それでも周りは優しくて親切で、研修の時に吐露した思いも受け止めてくれた。ここならやっていける。そう確かに思えた。
だが、4日目の休日。眠れなかった。寝ても働く夢を見る。失敗する。目が覚める。また眠る。働く夢を見る。怒られる。目が覚める。この繰り返しだった。仕方ないので起きてみても、何をしていても「本当に今日はシフトが入ってなかったよね?」と何度も何度もスケジュール帳を確認する。早番の時間、連絡は来ない。昼半ば、勿論連絡は来ない。遅番の時間、連絡は無い。閉店の時間、何も無い。ここでようやく一息つく。よかった、シフトは入っていなかった。夜になり眠りにつき、また夢を見て何度も起きる。
5日目、朝。昨日と同じような1日の予感。ふと、涙が溢れる。怖い。嫌だ。辛い。
何が?と言われても説明したところで理解されるとは思っていない。わたし自身も腑に落ちていないのだから。
周囲はみんな優しくて親切で怒られたことも失敗したことも未だ1度だってないのに、ボロボロと涙が溢れる。そしてスケジュール帳を確認する。大丈夫、大丈夫。今日は休みだから。何も心配することなんてないから。必死に心を落ち着ける。それでも涙は止まらない。友人と約束があったがこんな状態ではどうにもならない。
何もされていないのに自分で日常生活に支障を出してしまった。結局、この日に泣きながら店に行き、この日づけで退職させていただいた。

情けない。どうして普通に生きられないのだろうか。まるで恩を仇で返したようで数日経った今も罪悪感で胸を締め付けられる。
わたしだって普通に生きたいのに。いやだな〜とも思いながら、でもしゃーない!働くか〜ぐらいで働きたいのに。何がわたしをそうさせるのだろうか。
これを読んだ諸君はわたしのことを現実から逃げてるガキだと思うだろう。あるいは腹も立てるだろう。しかしそれが事実なのだ。誰が一番それを理解しているだろうか。紛れもなくわたしなのだ。
どうして失敗してしまうんだろう。

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