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呪詛が、ギフトになった日

「この子は、人間関係で苦労しますよ」
小学校の低学年のとき、担任の先生から母親が言われたらしい。母親は、その言葉をそのまま私に言った。私はよくわからないなりにぼんやりと受け取り、言葉を心の奥底に鎮座させることになった。

予想は幸か不幸か的中し、特別な友達もできず、二人組を組むときにはいつもあぶれた。ともだちとシールやペンの交換をしたときは、かわいいものをあげて、どうでもいいものをもらった。おやつを買う金を盗られそうになったりもした。
隣の学校と統合することが決まり、中学校まで人間関係が変わらなくなるのを危惧した母親は、私を別の地区の中学校に入れた。そして、中高を小学生のときより楽しそうに過ごす私に対して、その決断を時々誇らしげに話した。

人間関係をひとりで構築する能力がないんだと思っていた。人間関係で苦労したし、親のお膳立てがないとともだちも作れないし、やっとできたともだちと親密にもなれないのだ。それは、勉強はできても人間力がなければダメだみたいな世間の論調とも重なって、自分をダメ人間だと思わせるには充分だった。

ふと先生の言葉を思い出して落ち込んだとき、母親にそのことを言った。母親は慌てて「違うよ」と言った。母親から出てきたのは、わたしのおかげで健やかに育つことが出来たと満足気に語る言葉でも、早めに欠陥に気づいてもらえて良かったという慰めにもならない言葉でもなかった。

「あなたは、周りをよくみるでしょう。仲間はずれにされている子を見つけると声をかけようとするでしょう。ひとを押しのけて自分の利益を主張していかないよね。やさしいから人間関係で苦労するよって言われたんだ。でも、小学生だから理解できないと思って、人間関係で苦労するってことだけ、伝えていたんだよ。」と。

大どんでん返しだった。理解できないにしても、説明がないのはひどい話だなと思った。学校でしか接点のない教員にすら見抜かれる程度の欠陥品の烙印を捺されたのだと思っていた。なんで欠陥品だと言われなきゃいけないのかと思っていたけれど、私の軸も出来上がっていないし、そもそも自信がなかったから、そのままの評価を受け止めてしまっていた。

先生の言葉が本当か嘘かわからないし、母親が優しい嘘をついているのかもしれない。
二人組の余り者になっていた私にも、ともだちはずっといる。誰かに嫌な思いをさせてまで自分の利益を優先しなきゃいけない状況なら、その場から離れられる。自分にはそういう生き方しかできないと思っていたし、自分の生き方は欠陥品だと評価されると思っていた。
社会的には脆弱かも知れないけれど、周りを見ようとする視点を失わない自分のことは好きだし、こどもの頃から大筋で外れてはいない自分を誇りたいなと思った。何より、欠陥品じゃなくて誉め言葉だと知ることが出来てよかった。願わくば、もっと早く知ることができたら、自己否定を重ねなくて済んだのだろうけど、時間は戻らないから仕方がない。

20年以上わたしを苦しめていた呪詛をほどいたら、私にとってのギフトになった。

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