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wowakaさんが亡くなって4年経った。

あの日

2019年の4月5日、wowakaさんが急性心不全で亡くなった。
その日はアルバイトの勤務初日で、私は出かける直前にそれを知った。

wowakaさんの曲は、ほぼ全部聞いてきた。
ボカロの曲も、CDのみ収録のものも全て聞いた。
ヒトリエとして発表した曲も、CDを全部買って聞いた。
wowakaさん名義で他人に提供した曲も、聞いた。

曲が、言葉が、歌が、大好きだった。
これが"憧れ"になる前から、ずっと大きい存在として私の先にいて、
多分私が老いるまでずっと先を走る人なんだろうと思っていた。

「え?嘘?」
みたいな、中身のないことを言って、時間無いから急がなきゃって職場に向かって。
多分夢か何かだと思い込んで麻痺してたんだと思う。
アルバイト初日が終わって帰ってきて、ヒトリエのお知らせの映ったスマホを抱えて枯れ尽くすほど泣いた。


あれからもう4年も経った。
バイトだった私はもう社会人になった。
wowakaさんはまだ居ないままだった。


音楽について

私は小さいころ、音楽が何なのかよくわかっていなかった。
音楽番組を見ても、テレビの曲を聴いても、全く記憶できず、興味も持たなかった。

耳が聞こえないわけじゃない。
ただ興味の無いことにはとことん関心がなかった。

そんな時、wowakaさんの曲をたまたま聞いた。
「なんか良いな」って思った。


私は音楽の授業も嫌いだった。
人前で歌うのも嫌い。馬鹿にされそうだから。
音楽の感想を言うのはもっと嫌いだった。
『もっと具体的に感想を書け』と言われるから。


インターネットで見つけたこの曲を、「なんとなく好きだな」って思えて、私はこの感覚を大切なものだと思った。

もっと聞いてみた。音楽っていいなって思えた。こんな感じなんだ、ってその時初めて音楽を好んで聴く人の気持ちがわかった。

当時の私にとって音楽=wowakaさんの音楽で、そこから同じカテゴリということでボカロを聞くようになった。
皆パソコンで音楽を、自分で作っていて、歌えなくても発表していいんだって、驚いた。

作曲するきっかけ

その頃からずっと、作曲をしている。
とはいえ今では仕事に追われロクに出来ない日々だけど。

メイドイン俺 というゲームがある。
自分でゲームを作るソフトで、BGMの作曲機能も実装されていた。

私は作曲する方法も、理論も、楽譜も何もわからなかった。
でもwowakaさんの作る音楽が大好きで、あんなものを自分でも作ってみたいと思って、とにかく何かと思って手に取ったのがメイドイン俺だった。

当時wowakaさんの曲や他のボカロ曲などをたくさん聞き、
「あんな感じの曲にするにはどう打ち込めばいいのかな」
ってポチポチゲーム機を触ってた。
耳コピというものをよく知らず、思いつきもしなかったため、一度も耳コピをしていなかった。

音楽の授業で
「なんかこの曲、途中でバーン!ってなって音がかっこよくて、雰囲気が暗くて好きでした」
と言ったら不合格だった思い出がある。
言語化できなくても、そこに確かに感情はあるはずだ
それを抽出したくて、喋らないゲーム機に音を入れていた。

この頃からずっと、音楽が好きで作曲が趣味になっている。
wowakaさんの曲に出会っていなかったら一生音楽に興味を持たなかったか、もしくは全く別の文脈から音楽を知り私は別人になっていたと思う。

曲と歌詞に救われた

wowakaさんの言葉と音楽に救われ、影響を受けたことが何回もある。

先述したように、私は具体的な言葉以外を認めない文化が苦手だった。

詳細に言語化された感情以外は、認められないのか。
言葉にできない苦しみは、悩みは、どうしたらいいのか。
何かを好きだと、良いと思う心は、言葉に納めないと無価値なのか。
悩んでいた。私には言語化できない悩みが多くあった。

wowakaさんの曲を聴くと、ラクになった。

焦燥感、息苦しさ、もやもやした感情。
そういったものを代弁するように、と以前どこかのインタビューで言っていた記憶がある。
過去にTwitterでも、

疎外感を感じている人、どうしようもなく思いを言葉に出来ない人 心に溜まった泥の処理の仕方がわからず不本意に爆発させてしまう人 そういう人が なんとなくでも頭をカラにして 細胞と涙で踊れてしまう音楽が良いなあ

https://twitter.com/wowaka/status/554278655656873986

といった発言をしていた。

私には音楽のジャンルや成り立ちなんてものはわからない。

でも、「どうしようもなく言語化できなくて、胸の内で抱えてしまう感情を、別の形で表現できるもの」という部分は凄く大切だと思っていて、これがロックなのかなって思って作曲している。
それはたぶんwowakaさんの影響が大きい。

wowakaさんの歌詞は、言ってしまえば素直な言葉では無い時の方が多いかもしれない。
"素直"の定義が曖昧だけど、要は「ただ言葉にして話せるようなものを乗せるための言葉では歌っていない」のかな、と思って聞いていた。

遠回りな言葉だったり、問いかけるような言葉だったり、同じような響きの繰り返しだったり。
別に歌詞を考察するような真似をするわけじゃないけど、あの
「言葉で表せないものを表すために言葉を使う」ような
「自分自身と、よく似た誰かにずっと問いかけて、答えなんて求めていない」ような
外へ吐き出すことを目的としながら、深く深く内側まで潜っていく言葉が、誰にも何にも言えないもやもやした心には救いだった。


亡くなってから

あの人が亡くなってからしばらく、音楽が聴けなくなった

私にとって音楽は「wowakaさんの音楽」「それ以外の音楽」で分かれていた。
常に影響を受けていたし、私にとっての音楽はあの人の音楽だから、私の進行方向には常にあの人の音楽があった

wowakaさんのような曲が作りたい。
wowakaさんのようになりたい。

私はずっとこんな感じで生きてきた。
その割にギターは弾けないし作曲もままならないけど、置いておいて。

"○○のようになりたい!"は主体性が無く、他人の模倣というか、良くない夢の抱き方のように見えるだろうし、そう言われても仕方がない。
でも言い訳してもらえるなら、私にとって音楽を作る人間といえばwowakaさんで、音楽を作りたいと志したからには、そこを目指すしかなかった。

だから、あの日いきなり私は目標を失った。
どっちに向かえばいいかわからなくなった。

だって、wowakaさんの音楽が無い世界の音楽なんて知らない。
wowakaさんの音楽と比べてこんな感じなんだな、って他の曲を学んだ。
そんな生き方をして、いきなり道しるべを失った。

wowakaさんの曲を聴いて、いいなと思ったのはどこか考えて、それを使って作曲をがんばって、そんなことをしていて。
言葉のひとつひとつを使って自分の世界を作る土台にして、音の並びを集めて、
そんな宝物が、もう二度と手に入らないことがわかって。

これ以降更新されない、有限な宝物だけで作った私の価値観。
振り返ったら、ずっと同じものにしがみついたままで。
もうこのままずっと更新できずに、作曲もできなくなるんじゃないかと思った。
この先、私の好きなものが、人が、どんどん過去になることが怖くてたまらなかった。

音は涸れない

wowakaさんが亡くなりしばらくして、生前予定されていたライブの会場で追悼が行われた。
私はライブに行った経験がなく、結局wowakaさんを生で見ることも、歌を聴くこともなく終わってしまった。
これについては後悔が尽きないし、追悼の現地に行くことも出来なかった。
しかし、その様子はネットで見ることができた。

追悼ライブでは、シノダさんが歌を歌っていた。
聞いたことある歌ばっかりだ。
ああ、音楽はまだあるんだなって思った。

今後、wowakaさんの新曲は出ない。
どんどん過去になっていって、新しい発見なんて出来る余地はなくなって、
あの人からインスピレーションだったり、影響だったり、そういうのを受けて創作していたスタイルのままじゃ生きていけなくなる。

でも、音楽は残っている。
誰かが歌える。演奏できる。思い出せる。
そして、その影響をほんの少しでも受けた誰かが。
私みたいに、あの人の影響で音楽を始めた誰かが。
また音を鳴らす。

デカさとか場所とか関係なく、音は繋がって涸れることはないと思う。

最後、生前のwowakaさんがライブで歌ったリトルクライベイビーの映像が流れた。
もう居ないってわかってんのに涙が出た。
これは映像じゃなくて、嘘で裏から出てくるんじゃないかって思った。
こんだけ人巻き込んで追悼までやったけど、これ全部ドッキリでいいから。

訃報までドッキリだったらwowakaさん炎上しちゃうな。なんて。
バカみたいなこと考えながらずっと泣いてた。
今も書いてて涙が止まらない。

目眩

またしばらくして、既存曲である"目眩"のMVが公開された。

MVの中には、かつての私と同じように、ヒトリエのCDを買い、ワクワクしながら聞く人々がいた。
その様子とともに、生前のwowakaさんの映像が映し出された。

当然というべきか、見たことない姿ばかりだ。
私は音楽を勝手に聞いている一人で、wowakaさんのことを少しも知らない。
でも、映像の中で全力で音楽を楽しむwowakaさんを見て、改めて憧れを抱いた。
ああいう風になりたいと、もう一回思った。

目眩は、エンディングテーマのようにも、激励のようにも、応援歌のようにも聞こえた。
"僕ら"と言ってくれた。
「間違って笑われても、何がただしいか何一つわかっていなくても」
「変わらずに眩しさの方へ行こう」

というようなことを言ってくれた。

ありがとうってたくさん言った。画面上の、過去のあの人に向かって私は言った。
本当はライブにでも言って直接言いたかった。
ここには誰もいなかった。
でも音楽と言葉が残っていたから、私は救われた。


あれから

あれから、また音楽を聴くようになった。
とは言っても、どうにも自分から探しに行く気になれず、巡り合わせのようにして出会った曲を聴いては、自分の宝物に加えている。

あの人の曲は、まだ宝物のままだ。
でも、かつてと比べると他の曲たちの存在感が増している。

wowakaさんはもう新曲を出さない。
総数も増えないから、宝物の中での比率はだんだん低くなる。
でも絶対に無くさない。
無くさずに大事に持ったまま進む。

道しるべはないけど、歩けるようになった。
正直あれからまだ迷っている部分はあるけど、多忙に追われながらも地道に作曲をしている。

さいごに

wowakaさんが亡くなってからちょうど4年。
当時は言語化できなかった感情を、思い出を、文章に起こすことができた。

突発的に湧いた感情のままに書いた文章なので、非常に読みにくくて申し訳ない。

改めて自分の感情に向き合い、悲しみと喪失感でボロボロになりながら、言葉にした。
これで何か一区切りという訳じゃないけど、また進むことができるんじゃないかと思う。


wowakaさん
あなたは私の憧れで、絶対的な存在でした
何年経っても慣れません。
いつだって新鮮に悲しいです。
あなたの言葉に、いつも救われてきました。
ずっと忘れません。ありがとうございました。


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