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グリーフケア

ヴィジョンが見える。
ゲンキちゃんが野原で元気にグルグル駆け回っている。「楽しいよう」っていう表情で私をチラチラ見ながら。
生きていて最高に幸せな時間だった。

あの至福の時を失った、ショック、悲しみ、寂しさ、虚しさ。
痛みの感覚だけがある。
自分の大切な人、大切な物、大切なペットを失うとこの痛みに出会う。グリーフケアとはこの痛みと向き合い、寄り添い、やわらげる、プロセスなんだろう。

人と人との関係性と人とペットとの関係性において、決定的に違うのはペットは完全に人(飼い主)に依存しているという事。もちろん人も、赤ちゃんや幼い子供は育ててくれる大人(親)に依存している。でも成長すると親を乗り越え、やがては年老いた親の面倒まで見てくれる存在になるかも知れない。
ペットの場合、それは期待出来ない。大抵の場合、ペットが先に年老いて、面倒を見るのは飼い主の方だ。子供はやがて自立して、親を助ける存在になり得るけど、ペットは一生親である飼い主に依存したままだ。

だから私達はペットに何も期待しない。毎日毎日餌をあげて、排泄の世話をし、遊んであげたり、運動させたり、病気や怪我の時は治療を受けさせ、看病し、老いた時には介護をして、ただただ尽くすだけの存在。ペットに沢山の時間やお金を使って、いつも何かをしてあげてるって思うけど、本当は違う。
沢山、沢山、もらっているのは飼い主の方だ。

私は、無条件の愛をもらっていた。
無心にご飯を食べる時の真剣な顔。オヤツが欲しい時の可愛い仕草。散歩をせがむ時の乞うような目付き。私が家に帰ってきた時の飛び上がって喜ぶさま。雷が怖くてしがみついてくる愛おしさ。無条件に私を信頼して、身を委ねてくれる存在は、私に生きる喜びを与えてくれる、生きてゆく原動力だった。
何の判断もない無邪気な存在は、私の全てを許してくれた。寝起きでパジャマを着たまま顔も洗ってない私にも、出かける前にオシャレをして髪を綺麗に整えた私にも、変わらず笑顔を見せて甘えに来てくれた。素のままでいて良い、何の気遣いも遠慮も要らない、安心だけがあった。

ゲンキちゃん、私は貴女に出会えて、本当に幸せでした。

まだまだ痛みは癒えない。
グリーフケアは続く。




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