「いいこと探し」で自分を洗脳する

中途社員としてとある会社に入社して、10日間が経ちました。

就職が決まるまでの約半月間続けていたnoteも、一旦ここで停止。
理由は、勤務時間外も仕事のための勉強に費やしたかったから。

そんな訳ですが、実際こんなにもnoteの更新をおなざりにしてしまったのは、それ以外にも家庭のことで色々あったりしたからなんですが(こちらに関しては私個人だけのお話ではないので、割愛します)どうにも、この十数日の間に随分と心境の変化がありました。今回はそれについて少しお話をば。


01.どうした、私のメンタル


4月。誰しもが環境の変化と隣り合わせになる、出会いと別れの季節。
そんな中で私は、家族に関する二つの悲しい出来事がありました。

いつもであれば、その出来事に心を痛め、泣き、ストレスを抱えて崩れてしまうのですが、なぜか私、今回はほぼノーダメージなんですよね。
普通に仕事して、家のことして、プライベート満喫してました。どうして?

悲しいとは勿論感じるんですが、良くも悪くも「まあ仕方がないよね」で受け流せるように。
寧ろ私より取り乱す母を見て、少し怖くなったくらいです。泣く暇あるなら、悲しんでる暇あるなら対策考えようよ、って。きっと今まで泣いてたのは私なのにね。

不思議なことですが、それは職場でも。
前までであれば過剰に周りの視線が気になってしまったり、何を考えているのか逐一想像して勝手に怖くなったり、新しくなったばかりの職場では終始ビクビクしながら過ごしていたのですが、何か全然なんにも気にならない。なんならずっと、今日は帰って何の本を読もうかな?なんてことを考えながら、パソコンに向き合う日々。

一体何があったのだ、私。

02.そうだったらいいな、かもしれないけれど


ぼーっと見ていたとあるテレビ番組で、こんなタイトルの回がありました。
「メンタルが強い女と弱い女」
内容は本当にそのまんまで、議題に合わせて各々エピソードトークを繰り広げる番組。

私は勿論自分のメンタルなんてクソ雑魚ゴミメンタルだと思っているので、きっと弱い女の方だな〜と思いながらお酒を傾けていたのですが、なんとびっくり、見ていれば見ているほど、自分の体験と重なるエピソードは、メンタルの強い女の方にしか現れませんでした。

え、私ってもしかしてメンタル強いの?
単純なので、そんな考えがふとよぎったのですが、いやいやそんな訳ないって……と脳内で瞬時に否定。
でも、そのことが間違いなのかな、と最近は思っています。

03.人間の脳は簡単に錯覚をする


「今日はついてない日だ」
そう思ったある日に、なぜそう思ったのか?エピソードを書き出しました。
なにが自分を不安にさせているのか、きちんと把握すれば改善策が打ち出せると思ったのです。こればっかりはnote執筆で得た「書く効果」の実感が大きいな、と思います。

「今日起きたついてない出来事」を探そうとすると、当たり前に今日の出来事を振り返りますよね?
その中で、私、とあることに気づいちゃったんです。

あ、今日って案外ラッキーなこともたくさん起きてるなって。

なので、思い切ってその横に、今日起きたラッキーなことを合わせて書き出してみました。
するとなんとまあ不思議。ラッキーな事の方が多いんですよね。

人間は生物の危機管理能力として、本能的に不安を覚えます。
なので、いい事よりもよくない事を連想するのは自然な事なんです。自分はネガティブ思考だから……いえいえ。人間誰でもそうです。

だからこそ、この日書いた「ついてない事ラッキーな事」って、すっごく有意義。無理矢理にでも「今日の自分はラッキーだった事の方が多いから、いい日!」そうやって言語化・視覚化させて脳に錯覚させるって大事な事なんだなあ、と感じました。

だから、きっといいことなんてなにもなかった、と思っていた(今でも思っています)私の半生も、改めて「いいこと探し」の視点で振り返ってみると、もしかしたら私ってとんでもなくすごい人なのかもしれません。今はその時間の余裕がなくてゆっくり考えられていませんが、今後じっくり振り返ってみたいなあ、なんて。

もしかしたら、私は自分のメンタルが弱いって思い込んでるのも、過去に起こった鬱が尾を引いてるだけだったりして。
自分のなかで、時間と共に少しずつ癒えている傷に、慢性的に癖で浸ってしまっているだけなのかなあ、と思ったりもしています。

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