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国立博物館 〜神護寺〜

そもそも読書の記録で始めたnoteだが、最近よく脱線して旅の記録をnoteに書いている。
私は旅に行く時はだいたいぼっちであるが、noteに書くつもりで旅すると少し違った見方ができるので良い。誰かと同行した気分になれる。
【旅の記録のすすめ】
・そもそも外出する口実になる
・多角的に物事を見れる
・いいものは共有し伝える
・記録にも記憶に残る

博物館にはしばしば行くのだが、その内容を人に説明というのはした事がない。ちなみに館内は写真撮影が禁止のため、文章のみとなってしまうが空気感みたいなのが伝われば嬉しい。ハードルを下げて見ていただければと。

イベントは9:30から開場にも関わらず、人は多い。列をなしている。(行っておいて言うのもなんだが、そんなに興味のある内容か?と思ってしまう。)このイベントは第一開場、第二開場と別れていて、それぞれ両界曼荼羅、そして薬師如来立像がメイン。まず第一開場の入り口に入る。薄暗くひんやりして乾燥してる展示会場独特の雰囲気だ。人が埋め尽くしざわつく空間の中に眩い光を浴びて巻物やら肖像やら展示物が陳列されている。スタート地点で人が固まってると思ったので最初の展示は飛ばす。かなり飛ばす。そして最後のメインまで飛ばす。(私は二、三周します)

最終エリアに足を踏み入れる。広々とした薄暗い空間に幾つもの立像が目に入る。まず初めに『国宝 薬師如来立像』が姿を現す。
サイズ感は意外と小さい。というのが正直な感想。台座が高いので見上げる形になるのだが、身長は小学生くらいか?
そしてその両端に構えるは『日光菩薩』『月光菩薩』。横長のエリアの奥側、薬師如来を後ろから見守る形に陣を取るのは『十二神将立像』『四天王立像』の16体の圧巻。ライトアップされて影がバックに映されて迫力がある。表情は皆険しかったり、何かを伝えようとしているのか。神々しい。
ただ表情や身体に動きのある十二神将や四天王とはまるで違い、その中央に鎮座した木彫の彫刻だけが静けさを纏っている。その薬師如来はもちろん彫刻として素晴らしいと素人目からしてもわかる。服の皺の滑らかさだったり仏像の佇まいといい。ただそれ以上に空間に聳えるそれが妙に心地よくて立像の前に暫くの間身を置いていたいと感じる。

空海がこの国に広めた密教としての核心を表すのだろうか。菩薩や四天王、明王の中心にある言葉では決して表す事のできない物事の、宇宙の真理。その立像の周囲に人があつまる。それは1人2,100円という決して安くはない展示会のメインだからという理由だけではないはずだ。日々我々が忘れがちな何かを1,200年という時を超えて教えてくれているのだとしたらとてもロマンだ。読書もそうでありたい。時間と空間を超えて人のつくりあげた叡智を私たちは触れる事のできる機会かもしれない。

お昼はケバブ
おやつはみたらし

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