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洋菓子店で仕事しています

創業80年近い、界隈では有名な老舗の洋菓子店で働き始めて8年目。
今風に言うと「昭和レトロ」な雰囲気の、喫茶室も併設したお店で、「ケーキ屋」というより「洋菓子店」が似合います。
私自身はパティシエではありませんが、製菓のお手伝いをメインに、手が足りないときは店番もしています。

私の家族は自分も含め、ユーザーから遠い仕事をしていて、いまひとつ社会貢献の実感が身近なものではありませんでした。
なので、今度仕事をするならお客様の顔が見える職場がいいなと思っていました。

自宅から歩いて10分足らずのお店は私の日常生活の動線上にあって、窓に貼ってある味わいのある手書きの求人広告が、ずーっと目についていました。
交差点にあるので、信号待ちで目に付くのです。

なかなか剝されないな…

そう思っているのは私だけではなく、近所のママ友たちも気になっている様子。
初心者OK、月曜から金曜の午前中、水曜定休…
小学生の子どもがいる主婦には魅力的な条件。もしかしてケーキが安く買えるのかな、いや、いただけちゃったりもする?とも期待。
さらに生物・化学実験の経験を持つ私には、製菓のお手伝いはわりと似たイメージ。
運動不足の身体には、立ち仕事もいいかも。

なかなか決断できずにいたのですが、近所の歯医者さんの診察台で、抜けるような青空を眺めながら定期検診を受けているとき、このすっきりした気持ちのまま行ってみようと急に心が決まって、その足でお店を訪ねたのでした。

日常的におやつとしてケーキを食べる習慣のあるご家庭もあると思いますが、私にはそういう習慣がなくて、もちろん嫌いじゃないけれど、どちらかといえば辛党、ケーキよりもお煎餅で育っていたので、地元の有名店であることも、何度もいただいておいしいことも知ってはいたものの、お店に入るのは初めて、品揃えもおすすめも知らず…
長いこと悩んでいたわりに、今考えるとなかなか失礼な情報量で「求人の貼り紙を見て…」と切り出しました。何かつっこまれたらどうするつもりだったんだろう、当時の私。

店番の奥さんと思しき女性に内線で呼び出されて現れたのは、恰幅のいい長身の初老の店主。
うわぁ、圧倒的な魅力のある柔和な雰囲気。張り紙の文字と人物の印象が重なります。
自然でちゃめっ気のある笑顔で、

「うん、そうか。失礼なんだけれど年齢教えてもらえる?それと体力に自信ある?」

ん?と表情にでたのでしょう、

「年齢に構わないよう年配の人を雇ったんだけれど、体力のいる作業が難しくて早々に辞めるということが直近にあったものだから、それは避けたくてね、申し訳ないね」

それまで雇っていた40歳前後までの人たちに問題がなかったので軽視していたら、そういうことになったそう。
理解。40代後半になっていましたが、腕っぷしには自信があったのでその旨伝えました。

「わかった、そしたら月曜から来て」

その日は金曜日。
え、えー?急展開。
あとで聞いたら話をして「いける」と思ってくれていたそうで、親子ほどの年の差の私たち、ひとめぼれの相思相愛だったようです。

店長、その長男、そしてアルバイトがひとりの3人で作業。
営業日の午前、午後、土日、土日以外に分けて、全部で4人のアルバイトがいることになります。
単純な作業が多いですが、ありがたいことにけっこうパティシエっぽい作業もさせていただいてます。生クリームを塗ったり、ウェディングケーキの仕上げをしたり。

仏事で焼菓子が使われることもありますが、ケーキといえば基本、その人を幸せにするタイミングで買われるもの。
誕生日、記念日、プレゼント、自分へのご褒美…
土日も祝日も休みはありませんが、人の笑顔を想像しながらできるなんて、なんとも幸せな仕事です。
それを伝えたら、

「そうなんだよー」

と満面の笑みで応えてくれたのを今でも覚えています。

時折軽口をたたき合いながら、楽しく仕事をして、たくさんのことを教えてもらいました。
それは製菓についてだけでなく、長男が少し高校に行きづらくなったときも、やりたくない役員を引き受けることになったときも、病気が見つかり手術することになったときも、私が見えていなかった方向から意見し、いつも私を前向きに励ましてくれました。

そして誕生日には毎年忘れずにケーキを準備してくれました。

アップルパイ...絶品です!

店長のつくるケーキはどれもこれも美しくて、そしてもちろんおいしかった。
分厚い大きな職人の手で、魔法のような所作で仕上げていく様子を、ただただ感心して眺めていたこともありました。

ほんとにほんとに心から感謝しています。

2年前の7月、そんな感謝の想いも幸せな仕事に就けてどれだけ嬉しいかも、伝えることができないまま、本当に突然旅立たれた店長。
またあさってね、って約束したのに…
直後は、作業場のあちこちに店長の気配を感じて、そのたびに涙が出ていました。
今でもふとしたとき、ほれぼれする手つきでケーキを作る姿を思い出し、とてもさびしいです。

今は長男が店長になり、幸せを求めていらしてくださるお客様に支えられて、新たなペースで営業を続けています。
先代が亡くなってから店番もするようになった私は、ますますお客様との距離が近くなって、製菓作業だけでは得られなかった喜びを感じています。

先代がそうしていたように、仕事をするときは、心をこめて丁寧に向き合うよう心掛けていますよ。
ありがとうございます、先代。
幸せな仕事に私を引き入れてくださって、心から感謝しています。



読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

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