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きみいきバード飛翔中

宮崎駿の『君たちはどう生きるか』を観た。

作品のプロモーションがかなり情報の取り扱いに気をつかってる様子なので、未見の方はなるべく読まずに、読むとしても自己責任でお願いします。
また、1回メモも取らずに観ただけの人なので、記憶違いや漏れも大いに有り得ます。

  1. 率直にどう思ったか、ざっくりしたこと

好きか嫌いでいうと個人的には【けっこう好き】な感触。
宮崎駿監督作品の好みで言うと、

カリ城>千と千尋>ハウル>【めっちゃ好きゾーン】>魔女宅>ラピュタ>ナウシカ?>君生き?>トトロ>【好きゾーン】>ポニョ>風立ちぬ?

こんな感じ。分かりにくかったらごめん。
吾郎のゲド戦記以降、駿やジブリの活躍がなんだかなぁ~~~ン~~~って思ってたので、久しぶりに路線が自分の好きゾーンに戻ってきてくれて嬉しい。

※作品として良いか悪いかでは一切無い。鑑賞後のすがすがしさとか雰囲気とかで選んでる節が大いにある。
ちょっとでも自分が作品つくる側の立場に身を置いたことがあるからか、良作とか駄作とか断じることに怖さと責任が伴うな……と思うので、そういう批評は今回避けたい。

※?の付いている作品は観た回数が少なく、メッセージや設定等を味わい尽くせてる自信が無い。今後位置づけ変わるかも。

※もののけ姫、紅の豚は断片的にしか観れてないので除外。いつか金ローとかじゃなくて集中して観たい気持ちはある。金ローだとなんか変にカットされてたりCMで集中途切れちゃうのよ。

最初の5分ほどの画面展開はさすが、という感じだった。炎の表現もそうだけど、熱い火事現場で逃げ惑う人々を、母を探して必死な子供の視点を「写実的に」捉えようとしたら、あんなグニャグニャで誰が誰か分かんないような不思議な作画でこそ説得力が出てくるんだぜ!という、パヤオマジックを見た気がする。ていうか自分に絵の才能があったとしても、上司に「こういう風にしたい」って言われて理解してレッツゴーで描ける気がしない。どうなってるんだ。

それで最初しばらくの展開から「ああ~~~もしかして風立ちぬ的な説教臭くて重い話かなぁ……」と若干心に暗雲が立ち込めていた。戦争を作品として取り扱うことに関して、勿論意義があるのは分かるんだけど、前情報無しに「さあ、俺の作品で学んでいけよ」といきなり押し付けられるのもキツいものがある。予備知識やら心の準備が必要な作品ほど、肩肘張らずに観られる路線だとか、大衆ウケからは外れていく気がする(かくいう私も大衆的なスタンスで観にきたつもりだし)。

この私の予感は半分アタリで半分ハズレという感じだった。

「一応物語の背景に戦争は登場するが、ほんのり味付け程度。そこで重苦しくする気は無い。その代わり、俺の他作品に関する予備知識やファンタジーを理解する心はあらかじめ持っておけよ?お前ら俺に興味があるんだろ?」

それが『君たちはどう生きるか』における、駿の基本スタンスなのかなという印象を途中から持ち始めた。
確かにプロモーションをあれだけ排除しててすぐさま能動的に見に来る人間って、大部分が駿作品履修者だったり、宮崎駿がどんな人物か下調べしてから来てる人な気がする。

そして駿大学一般課程を修めていれば、全ては読み取れずともなんとなく分かった気になって面白いだとか、好きなテイストだったなって思えるレベルの作品には確かに仕上がってるなと。

が、勿論その人たちが単身やチーム結託して来るとも限らなくて、付き合いとか話題性だけでなんとなく来る人も中には居る。パパママに連れてこられた子どもも居る。そうなると、彼ら的にはこの作品は「宮崎駿やっぱわけわかんねー」ってなるだろう。
私個人としては、『君たちはどう生きるか』で駿デビューや再チャレンジをしないことを強く勧めたい。それ位には一見さんお断りの頑固大将のラーメン屋だった。

それでもって、その性質からしてこれから映画公開3週目やお盆あたりでやっと腰上げましたよ的な人達には多分評価されない作品だろうなと思うので、千と千尋ハウルほどには興行収入伸びないのではないかなと予想。ただ、初見では紐解き切れない要素が詰め込まれた作品なので、コアなファンほど繰り返し足を運びたくなると思う。かくいう私も節約生活を気にしなくていいならもう一度観たい。誰かおごってくれ。

  2.今回駿が言いたかったことってなんじゃいなとか色々箇条書き~ハウル等過去作品と比較して

考えたこと、疑問なこと、わりと投げっぱなしで書いています。しっかりとした流れのある文章読みたい人はごめんなさい。

※表題の通り、特に『ハウルの動く城』についてはかなりネタバレがあるので注意。なおハウル原作と映画はほぼ別モンなので、今回話すのは映画の方です。

・主人公は若き日の駿、これからの世代の人達(吾郎とか)の投影?その上で大叔父も駿だったり、あるいは駿の師匠だったりするんだろうな。
特にそう思ったのは、13個の積み木を3日に1度積むことで私のあとを継いでね~っていうくだり。私が駿監督作品好き順でさっき挙げた10+2作品と、未来少年コナンを指して13なのかなと。3日に1度の数字の細かい意味は分からんけど、定期的にそれを小出しにして実績を積み重ねていってねということかしらん。

・ある日落ちてきた隕石(駿の才能、あるいは駿にこの道を志すことになる何か衝撃的な出来事があったことの暗喩?)を塔で囲って(スタジオジブリ?)不可侵の場所をつくった大叔父。

・塔の中の【下の世界】には、塔から出て【上の世界】に生まれようとするわらわら、そのわらわらを食べて、子孫想いだが子孫や種としての退化を嘆くペリカンや、色とりどりで人真似の上手い、人間を食うインコがいる。
→駿の周りの人達のメタファー?
わらわら:未来のこどもたち???塔の中の空想めいた世界に囚われて生きることはない???
最近数が減ってる~とかは戦時中の流れを汲んでるんだろうな。
ペリカン:同業者、会社の人?アニメ業界に身を投じつづけ弱っていく?わらわらをやむを得ず食べちゃうよの意味とか魚が減ってる~のあたりの意味合いは取れず。強いて言えば、色んな題材が表現しつくされてきてる(ネタギレ)ということ?
インコ:野次馬やマスコミ、メディアツール?人真似をしたりと口が上手いが、刀を背に隠して人を食らっていく残忍さ

・アオサギは外の世界も塔も行き来できる。最初は怪しいヤツだが、眞人の友達になっていく。塔の鳥の中で唯一眞人の味方。
→鈴木敏夫プロデューサー?高畑勲?

・眞人が(アオサギやキリコやヒミに助けられながら)ペリカンやインコをうまいことかわして、大叔父に「血縁だし塔を平和にできそうだから跡を継いでくれ(意訳)」と言われても【自分の意志を持って】お断りする。
→血縁があっても悪意がある人は継げない?大叔父に悪意はないんやろか(おごり大叔父やな)。そしてヒミやナツコはなぜ継がない?ナツコの子は???
→この眞人が「断るぜ!」って言って塔を出て、新たな家族と共に生きていきますよエンド。
駿が大叔父として「継いでいってほしい」と思う感情と、駿が眞人の姿を見本に「継ぐとか血縁とか関係ない!過去の栄光に縛られないで自分の思う人生を生きろや」って喝を入れたい気持ち、両方が同居しているのかなと解釈。

・↑端々の魔法の表現がハウルとかなり似ていることもあって(意識的にやってると思う)、ハウルの結末も同時に回想された。ハウルは「これからも新たに戦争はやっちゃう(※サリマンはバカげた戦争を終わらせる!って言ってるけどラストにまた軍事機が飛んでいってる)けど、そんなことは目を背けて、恋に愛に好きな人達と自由に生きていきますよ」って感じのある意味世捨てエンドだった。
『君たちはどう生きるか』は、自由に生きろよという姿勢はハウルと共通してるんだけど、そこに母の死とか戦争とか、重たい現実から目を背けるでもなく立ち向かっていくあたり、駿の考えが変化したところなのかな、と思ったり。

・特にハウルオマージュを感じたのは、ハウルで出てきた緑色の棚、赤いドアとそこに通じる小部屋の感じ(ヒミとジャムトースト食べるところ)、割と最後の方で流れ星がひとつ通っていく所(大叔父の死の暗示かなと思った)。紙だらけの産屋は、荒地の魔女をサリマンが小部屋で封じ込める時の感じ。あとは炎属性感がそのまま継承されてる。隕石が作品上強い意味をもつあたりもベリーハウル。

・ナツコはなんで塔の中で産屋に籠ってたのか、産屋に立ち入ることはなぜ禁忌なのか?
→眞人との関係がうまくいかない中で血縁を得て無理やり家族になる葛藤があって、大叔父に子を差し出そうとした?ちょっとこの辺がよく分からない。
→産屋に入っちゃダメの下りは、日本神話に元ネタがあるみたい。そこを踏襲した話ですよをいきなり投げてくるあたり求められてる教養レベルが高いけども。産屋に入るとき石(隕石)がめっちゃキレてた、っていうのは、隕石を駿の才能=感性と仮におくと、駿本人も忌避感が強いのかなあ。

・鳥たちの胸にある3つの逆三角。トトロにもあるやつと似てるなーと思ったけど、トトロのはふつうの三角な向きなのよな。それで千と千尋やもののけ姫、ハウル辺りのキャラでそういうの付いてるやつ居たっけ?と思ったけどいなそう。
多分デザインとしてトトロオマージュではあるけど、トトロは土着の神であって、あくまで鳥らは神とかそんなんじゃないから全く同じデザインじゃないのかな。
使用人のおばあちゃんズの先頭にいる人の色味はトトロのばあちゃん感じるよね。

・キリコが鳥目である理由は、キリコもまたあの塔の中から外に出てきたからなんだろうけど、じゃあ他のばあちゃんらももしや……?
そもそも人間なんかなあのばあちゃんら。

・外で炎に焼かれて死んだ久子が塔の中では炎使いなの、タイムパラドックスというか、違う時間軸の自分が別の時間軸の自分に影響を与えてそうなってるのかなあ。そういうの好き。

・久子は塔のなかで特に説明無くヒミと呼ばれてるけどなにか理由あるんかい?眞人に即バレしないためだけの辻褄合わせなんかな。原作未読だけど登場人物から名前取ってるとかもあるのかも。

・父さんが個人的にはやな奴だな……って思ったけど、家族は彼なりに大事にしようとしてるっぽいので、家族の中にいるとあまりやな奴だということに気が付きづらいかも知れないなと思って眞人くんを心配している。

・完全に余談だけどカエル全般本当に嫌いなので本当にお辛いシーンがあった。アオサギの好感度あげムーブ見ても「でもお前ヒキガエルやったしな」「お部屋にうんちも撒いたしな」と思って見ていた。騙されないぞ。


とりあえず覚書で書き出せるのは以上!
私自身、考えていることを書き出してちょっと整理したいなと思って書いたので、相当取り留めもない文章に……。
ここまで読んでくださってありがとうございました!

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