ゲシュタルト崩壊をギリギリで食い止めるように

日曜日。午後8時。夜の幹線道路をバスから眺める。煌めく境界線上で指数関数的に広がる視界。認識の迷路は今日もワーカホリックた。だって、点と点を結んで線にする作業を盲目的に続けるから。今日も流線型のスカイフィッシュを探し続けて、無色の二酸化炭素を掴み、架空の陽炎が浮かび上がらせる。なんてワーカホリック。

時々、もう何年も生きてきたのに、自分が新参者のように思える。バスは橋を渡る。架空の陽炎と、とりかえっこした羅針盤を、今度は大事に抱える。最小公約数的に生きるのではなく、最大公約数的に生きるべきだ。そんな解を羅針盤は導き出す。

"ゲシュタルト崩壊をギリギリで食い止めるように、僕は生きていたのかもしれない。"羅針盤はそんなことも教えてくれる。

バスは都内に入る。見慣れたチェーン店がいくつも見えてくる。ふと地球空洞説について考える。それは想像もつかないけれど、現実的なのかもしれない。そして人生が壮大なヤラセだとしても、僕は何も思わない。まるで、初めて陸に上がった両生類の気持ちだ。僕の自由研究はあの夏から終わっていない。学生の時代は終わり大人になり社会人になってもずっと自由研究をしている。
そんな気もした。

バスは目的地の主要駅に到着する。心に防弾チョッキを着せるのは邪道だろうか?邪道と言えるのだろうか?

バスから降りた僕は、すかさず電車に乗った。もちろん防弾チョッキを着たままだ。そして家に帰った。

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