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キリアとの謁見。(2)

結論から言ってしまえば、地球ーーアース・キリアのエリアは辿り着かずに終わったため、それについて書き記すことはできない。

さて、金星の統治区の次に私が目を覚ましたのは、ネオンが眩しい繁華街だった。
光のない町。太陽の浮かばない空。藍色に近い空を、無遠慮に鮮やかなライトが照らし続ける。
私が目を瞬かせていると、隣から「目が覚めたんだ」と幼い声が届く。視線を上げれば、ロングブーツの足を優雅に組んだ少女が笑んでいた。

燃えるような赤髪と赤い瞳。短く刈り整えた髪を遊ぶように、二つの蝶々が毛先を持ち上げては離している。
それを見ていた少女は「フォボス、ダイモス。落ち着いてよ」とケラケラ笑った。長いリボンのチョーカーがふわりと揺れる。

「客人にここの説明しなきゃ。じゃないとヴィーナス・キリアに殺される」

まだ生きてたいんだあ、と彼女は笑った後に私の手を捕まえ、宙に放り投げた。浮遊感が強いこの世界では簡単に飛ばされてしまう。このままネオン街を通り抜けた先ーーゴミ箱に不時着する直前、突如現れた突風にメイン通りに押し戻された。

「地球人ならアース・キリアのエリアは説明不要。ヴィーナス・キリアのやりそうなことだよね」

私が床を転がっている中、少女は同じ通りに降り立った。いまだに止まれない私を、サッカーボールを止めるように踏んでみせる。

「だから君は一足飛びでここにきた。ここは火星、ここはマーズ・キリアのエリア。ここは火の淑女が揶揄う歓楽街」

足が離れた時、私の視界には足跡が残っていた。それを見ながらも、彼女は何も言わずに爛々と話を続ける。

「ここから先、少しずつサン・キリアの光は届きづらいからね。必然的にあの方の管理下にいる警備隊もここはノーマーク。あたしは楽しいことが好き。それならこんな愉快な街になるでしょう」

彼女が指を鳴らせばネオン灯がひとつ消え、色合いを変えて復活した。

「ここじゃあたしが勝利の女神。あたしの思うがままに。なかなかの曲者を住まわせてるんだ。神様気取りだって許されたい」

だから、地球に未確認生命体を贈るのも許してくれるよね?

何やら物騒なことを言いながら、彼女の白い袖口が私にこびりついた足跡を拭っていく。そのまま降ろされた手は、蝶から盗んできた光の粒を受け取っていた。

「というわけさ。まあ気になるならまた遊びにおいで。食い物にされないよう気をつけてね」

その小さな手は力を込めて光を潰す。その発光体はどんなネオンよりも眩い花火となって視界を閉じ込めた。


「次は偽りの楽園さ。気をつけなぁ。ここより、あそこは狂ってるよ」






穏やかな風が手を撫で、目を覚ます。体を起こせば、一面の芝生が視界に飛び込んできた。

左手側には巨大な屋敷、右側には天にまで届きそうな白い塀。私の目の前には脚の長い白い丸テーブル、そこに置かれる白椅子一脚。

椅子でぶらつく小さな足。辿れば、修道服のようなものに身を包んだ少女がマカロンを食んでいた。

ウェーブがかった茶髪。垂れ目がちな桃色。よく見れば装飾が豪華で、質素や節制などかけらもない修道服。

テーブルを挟んだ向こう側にあった、彼女よりやや大きい足が左手の屋敷へ向かって駆け出す。
そんな異常性を持った私の登場に、少女は気付きながらも食事の手を止めることはない。
口に含むマカロンは黄色から白に変わり、白いカップから溢れる芳醇な香りの紅茶で喉を潤す。

彼女はナプキンで口元を拭きながらようやく私を見下ろした。火星、とくれば木星ーージュピター・キリアだというのは理解が容易い。あの巨大惑星、あの有名な星。

親近感を勝手に覚えかけてしまうこの身を咎めるように、こちらへ落ちる彼女の視線は柔く、気高く、鋭く、何より美しい。元々ない口が縫い合わされる。思考回路さえ奪われる。

呼吸、心臓の拍動さえ彼女の瞬きひとつで変えられてしまうだろう。それほどまでの、絶対的王者。

四人分の足音が左から聞こえ始めた。それはどんどんと近づいてくる。私の思考がなけなしの警鐘を鳴らす。

ーーあれは、まずい。
それでも、体は、動かない。

彼女はゆるりと遠くを見つめた後、こちらを見下げて囁いた。

「木の淑女が描いた園」

その小さな声は、波紋となって私の体を浸し、沈ませていく。

「それだけ覚えて帰りなさい」

テーブルの向こう側で剣の切先が輝いた。「ジュピター・キリア!ご無事ですか!」と彼女を崇拝する声が聞こえる。

私の身体は光の粒を勝手に取り出して、握りしめたまま地面に吸い込まれていった。

「ええ。ここでは私の描く通りですから」

あの声が穏やかに私を地中に埋める。

「アレは、まだ要りませんね」




沈んだ先、重怠い土から抜けた先にあったのは洞窟ではなく電子的な画面だった。

様々な言語が溢れかえる画面は宙に浮いている。ひとつにぶつかると、それは氷のように冷たく、硬いそれだとわかった。

落ちた先の地面を転がるしかない私を、何かが停止させる。
それは日焼けのない白い手で、手荒れなど知らない無垢な手だった。

電子のようなものが飛び交う不思議なマスカット色の瞳、桃色の髪。ジャージのような動きやすい服装に身を包んだ女性は、首を傾げて「Good night,astronaut.(おはよう、宇宙飛行士)」と囁くように言う。

その後紡がれた言葉は、私には到底理解のできないそれだった。

まるで現代人が古代文字を読み解くように、初めて外国語を耳にしたように、「頑張れば理解できるかもしれない」の範疇にはない。
かといって人間に聞こえない周波数を発しているわけでなく、動物の鳴き声でもない。
それは確かに言語なのに、脳が理解を止めてしまうーー神の領域に触れた感覚だった。

文字やグラフを映し出す氷の破片を纏った彼女は、それらを指先でいじり続けながら、理解のできない言語を続ける。きっと、順番通りであれば土星の淑女であるサターン・キリアを横から見上げていれば、背後からジャリ、と金属製の音が鳴った。

振り返れば、とても重厚な鎖を引いた男が現れた。手首足首、そして首から5本の鎖を引きずる男。所々錆びていても崩れることがないほど、重量のあるそれの終わりは地面に繋がっているが、彼の動きが特別制限されているようには感じられない。

切れ長な青い瞳がこちらを見た。手入れのない赤茶の髪はところどころ跳ねた上で無理に一本へまとめている。首を鳴らしながら彼は怠慢を込めた顔で笑むと、「サターン・キリアぁ」と淑女の名を呼んだ。

「アンタ、そんなにお喋りしても…その宇宙飛行士にはわからないんだから無意味でしょうが」

「ーーーーーーーーーーーーーー、」

「無意味でも、ねえ。俺には理解できない感覚だ」

彼はしゃがみ込んで氷をいじる彼女を頭上から覗き込んで笑った。

ここでは神に近い淑女に対する不敬だというのに、サターン・キリアは見上げたまま、今度は私に分かる言語で彼の名を呼ぶ。

それは二重音声となって、ひとつは「タイタン」、ひとつは「ティタン」と呼びかけた。

ティタン、あるいはタイタン。
土星最大の衛星名であり、ゼウスに敗北した永久の囚人。

私が見上げていると、彼は「その顔は知ってるやつかぁ?」とニヤニヤする。

「衛星に会うのは初めてか? 宇宙飛行士!」

そう言うと彼は私をゴム毬のようにバウンドさせた。罪人である彼の行動を周囲へ知らせるように鎖が響く。
だがそれは日常なのだろう。サターン・キリアはこちらを振り向くことはないし、彼も特段気にした様子はない。

彼は私を受け止めると、野良猫と対峙するように顔まで掲げてきた。そして何やら上機嫌でこう話してきたのだ。

「俺はタイタン。そこのサターン・キリアに仕える者。おにーさん、やる気はないけどさ、そこのサターン・キリアの発言を唯一全部理解できるんだよ。こー見えてね、しごでき男」

「まあよろしく。…敗者から教授を受けんのはプライドが許さねえなんて、ちっせえ命が言うわけ、ねえよなあ?」

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