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キリアとの謁見(3)

私を捕まえた、サターン・キリアの従者ーーティタンは何かを彼女と話していた。変わらず彼女の言語は理解ができない。それでもティタンははっきりとした返事を続けており、意思疎通が図れているのは明確だ。

彼は暫し長い髪をいじってから私を見下げる。

「さて……我がサターン・キリアからご丁寧に忠告だ。ここから先はトランスサタニアン……ルール無法のなんでもあり。あそこに常識は通用しない、何があっても誰も何もできない」

故に気をつけろと言いたいんだ、と嘆息する。

「それでもキリアに挨拶しなきゃいけねえなんて、可哀想な宇宙飛行士」

んー、と彼は鎖をいじりながらしばし考える素振りを見せた。

「そうだな……俺はトランスサタニアンとそんなに仲は悪くないし……あそこの通り抜け方は知っている。ついてやってもいいかもしれねえ。我が主の不安も解消できる。ただ、その間主人には迷惑をかけることになるけれど」

ちらりとティタンが目をやると、土星の淑女はひとつ頷いた。その瞳を覗き込んだ彼が笑い、「流石、我が淑女は気高い」とその頭に手を伸ばそうとすれば重い鎖が彼の手を空に吊し上げる。

その勢いに彼が「痛ぇ!」と叫べば緩まるが、やはりサターン・キリアには触れられない距離感は保っていた。

「どこの神が見てるんだよ、マジで……」吊るされた手首を撫でながらティタンはごちる。

「……まあいいや。とりあえず行こうぜ、宇宙飛行士。わけがわからねえトランスサタニアンの領域へ」

彼が鎖を引き上げれば、地面が泥のように緩まった。ズルズルと引き摺り込まれるそれを見ながら、彼はニヤニヤと笑い私を米俵のように担ぎ上げ、そのまま沈んでいく。

「どんどん行くぞ。しっかり抱えられてろ」

「ああ、そう。今更だけど、ここは『土の淑女が語り継ぐ森』。俺らのサターン・キリアの領土だ。覚えておけよ?」







泥の中をいくらか進み、いつ終わりが来るのかと困惑した時。ようやく風が体を撫で、それに呼応するように視界が開いた。

鎖が降り続ける音がする。その鎖はティタンを離すことはないが、彼の意のまま動く気はあるらしい。彼が手を伸ばせば終わりのない鎖は宙に伸びて行き、穏やかな晴天に道を作り出した。

「ここは天王星、ウラヌス・キリアの統治する『天の淑女が隔てた山』。あそこ、でっけー山があるだろ?アレを越えれば本格的に海王星、冥王星の領域だ」

独特の金属音を鳴らしながら彼は遠慮なく進んでいく。足下には不安を駆り立ててきたにしては穏やかな街並みが広がっており、何処か童話のような雰囲気が残っている。

ティタンとしてはキリアを無視して通り抜けたかったのだろう。しかし、それを許す王者ではない。ひとつの大きな羽ばたきの音と共に「ティタン!」と話しかけてきたのは、虹色に輝く翼を生やした女性だった。

熟したオレンジのような髪は前下がりになるよう切られ、青い瞳は爛々と輝いている。全て尖った歯から紡がれる声は意外にも穏やかで、軽やかな服装からどこか天使を連想させた。

彼はひくついた顔で笑う。「……ご機嫌麗しゅう、ウラヌス・キリア」

「ん! ティタンがいるって聞いて来ちゃった。あ、君が宇宙飛行士くん? どうも。私こそウラヌス・キリア。天王星の淑女だよ」

自身の立場など忘れたように、彼女はいとも容易く私と同じ土台に降り立った。彼女の白手袋の指がドームを軽く押し、楽しそうに笑う。手袋やガラスを越えるほどのヒヤリとした感覚は、彼女の体温なのだろう。

宝石のように輝かしい青目をティタンに向けた彼女は「ここで引き止めるわけにもいかないね」と話しかけた。

「聞こえてた。ネプちゃんとプルートちゃんのとこも行くんでしょ?」

「流石お耳が宜しいことで。今から伺いますよ」

「そっかぁ。それなら早く行った方がいいかも。ネプちゃん、そろそろご機嫌ななめになりそうだから」

「……アレのご機嫌斜めはやめていただきたいところではありますが」ティタンは微笑み「かしこまりました。それなら、静かに通り抜けるよう努めます」

「そうした方がいいよ」ウラヌス・キリアは屈託なく笑いかけ「それじゃあ宇宙飛行士くん。またご縁があったら!」

そう言った彼女は羽ばたき、私たちの元から離れていく。抜け落ちた虹色の羽は手元に届く前に霧散した。まるで、全てが幻というように失せていく。

ティタンが諦めたようにため息をつき、鎖を伸ばして山を越えるため歩を進める。途中、山頂でひとり絵を描く少女を見た。銀混じりの白髪の少女。彼女は私に気がつくと、小さく絵筆を振って微笑みかけて来た。








ティタンが「ここが『海の淑女が微笑んだ港町』」と言った瞬間、落雷が轟いた。

色とりどりの壁面が飾る、穏やかな海が一気に荒波を立てる。雷鳴が響き渡り、雨は四方八方から降り注ぎ、前も後ろも奪い去る。
上空からもわかるほど住民は困惑しており、走り回っては被害を最小限にしようと慌てる始末。

鳥の群れが留まるところを探してティタンと私の横を通り過ぎた。変わらず鎖でバランスを取る彼は「あっぶねえなぁ!!」と叫び散らかす。

「ここはネプチューン・キリアの機嫌で天候が左右されんだ。天気も、波の様子も、何もかも! 海だ水だが好きな奴らはそれでもと住みつくが、ここに住む意味がマジでわかんねえ!」

大振りの鎖が揺れるほどの悪天候。ティタンの髪は顔にへばりつき、長髪は重たく揺れ動いていた。

「そもそも何で急に?! 最近上機嫌だったろ、海の淑女ーー」

そこまで言った後、彼はふと私を見下げた。

「……海王星は冥王星を好いてんだ。あれは妹だって微笑み続ける」

「たとえ太陽系から外されようと、なんだろうと」

「……お前、地球から来てんだよな?」

途端、彼の顔が初めて見るほど青くなる。私を抱える腕を強めると、「やばいやばいやばい!!!」と慌てて鎖を水平線へ向かって伸ばし始めた。

「お前だ原因! そりゃ我が主も心配するわ! なーにがネプちゃんご機嫌斜めで〜だ、察してんなら教えろ天の淑女!!」

「ーーウラヌス・キリアは私の大事な姉妹のひとりですから」

そんな声が天から響く。思わず見上げた私を嘲笑うように、『それ』は私の横からぬるり、と現れた。

荒天を切り裂く、まるでブラックホールのような穴。そこから伸び出たのは白い手だが、何本かの指先は氷のようにひび割れてしまっている。
次いで現れたのは綺麗にまとめられた青い髪、深い深い何もかもを飲み込む紫の瞳。マフラーを靡かせた女性は微笑み、その割れた手で己の頬を撫でる。

「彼女は三姉妹のひとり。姉か妹かはその時の気分で分類しましょう。何方にせよ私には可愛い家族ですから」

「……ご機嫌麗しゅう」

ティタンはせめてもの安寧を願う迷い子のように、引き攣った顔でも微笑んで見せる。

「海の淑女、ネプチューン・キリア」

「うふ、うふふ。ティタン。セス・ティタン。サターン・キリアに仕える男。貴方のご機嫌は如何?」

その顔は穏やかだが、内包するものを一切読み解くことを許さない。その耳は言葉を聞き入れるが、その口は返事のようで返事でないものを紡ぎ続ける。

「セス・ティタン。貴方の持っているそれは、なぁに?」

「ふふ、ふふ。知っています。知っていますよ。それは地球、それはあの忌々しい根源」

「私達を勝手に覗き込んでいる阿呆の生命」

「ふふ、気にしなければいいのでしょう。いいえ、いいえ、気になります。どんな顔をしているのか」

彼女の姿は一瞬にして穴に消え、新たに生まれた穴から伸びた両手が私の顔を掴んだ。視界を覆う青髪と深淵の紫。穏やかな口元が更に和らぐ。

「愛おしい妹は言います。貴方達は神様なのかと」

「私も思います。ただの無力な生命で、地球から離れることも、飛び立つのもできないこの命が、と」

「悠久の時を生きてきて、こんなに嫌うのは初めてです」

「ふふ。ねえセス。この子を置いて行ってくださらない? 海の淑女が微笑むには、これを水牢に閉じ込めるのがいいのだから」

「……折角のご提案ですが、ネプチューン・キリア」

彼の私を抱える腕が強まる。豪雨で表情はうまく読み解けないが、その声からは真剣さが覗けた。

「セス・ティタンは土の淑女の物。彼女の命は絶対です。彼女はこれの安全を願う」

それなら、と彼は鎖を引きずり戻した。永久に思ていた鎖の終わりが見えた時、それは碇となって海底目指してまっすぐ落ちていく。

「これの身を願うなら自身の衛星に御命令を!!」

鎖が碇に引き摺られどんどんと短くなっていく。その先が彼の足枷だと気付くより先に、私達の体は海に叩きつけられた。

水圧が痛覚を刺激する。ティタンの吐いた息が泡となって昇っていく。最後に見た海の淑女は雷雨の中変わらず笑って暗い穴に戻っていった。

私の目が閉じていく。視界が黒で塗りつぶされる前、何かの切先が覗き込んだ。

それは地球で描かれる死神が持つ大鎌のような、植物が巻き付いた鋭利な切先。

鏡のように磨き込まれたそれに映り込んだ彼の口元は笑っていた。それを確認した時、私の聴覚を刺激する知らない声。

『さすが、罪人。私の起こし方、雑だよ』

切先が私達の方へ勢いよく迫る。私の喉元、彼の胴体を目掛けて。

痛みが来たかはわからない。

その前に、私は眠りに落ちてしまったから。

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