見出し画像

色々な生き方を見せてくれるお笑いーレンタルぶさいくに鼓舞された日ー

去年からお笑いのラジオを聞き始め、好きなお笑い芸人の単独に行ったり、イベントに行ったりとお笑いを楽しませていただいている。

そんなお笑いを提供してくれるお笑い芸人は私に色々な生き方を示してくれている。

例えば、ラランドのニシダは大学に8年間通った末、大学を中退している。春とヒコーキのぐんぴぃはブックオフで店長として売上一位と売上最下位を記録した後、お笑い芸人となり、街頭インタビューにおいて「バキバキ童貞」として名をはせるようになった。対して相方の土岡は留年して就活しようとしたところ、まさかの大学を「卒業」することになり、その後三年間ニートとして生活をしていた。ママタルトのひわちゃんはAV業界に内定が決まっていたし、肥満は塾講師をしていたという過去がある。ガクヅケの木田さんは彼女と別れて何もできない状態になった時一度お笑いを離れ利尻の旅館に出稼ぎに行き、大変な目に合っている。

本当に面白い。話がうまいから面白いんだとは思うけど、やっぱり文字にしてみても濃いなあ、と感じる。みんなストレートでお笑いを目指していたわけではないし、一度社会人を経験した人もいれば、大学にずっと通っていたり、ニートとして過ごしていた人もいる。お笑いから一度離れている人だっている。お笑い芸人を見ていると人生何があるか分からないなぁとまだぺえぺえな私は思う。

色々な人生を歩む芸人の中でも、今日自分を鼓舞してくれたのは「レンタルぶさいく」である。初めてこの名前を聞いた人にとっては衝撃的な名前だろう(笑)。彼はぐんぴぃが昔暮らしていた「キモシェアハウス」という芸人同士のシェアハウスのメンバーである。

先に軽く彼の背景を説明しておく。「レンタルぶさいく」は芸人を経た後、「ぶさいく」をレンタルする人として活動していた。「合コンの負け役」や、「デートの練習相手」などのように「ぶさいく」はレンタルされるらしい。人をレンタルするという事業は最近増えてきているので確かに画期的な事業だ。しかしながら、コロナ禍を経て「レンタルぶさいく」の依頼が減ってしまい、どん底に。そこから彼は、日本よりもかなり好条件で働けるとの話を聞きつけフィリピンへ向かう。しかし、そこでも彼はどん底に。フィリピンは日本と大して物価が変わらない上、給料も安い。好きな女性の前でも色々やらかしてしまい、同僚にも嫌われ、という具合に大変な日々が続く。そんな状況を聞きつけた「キモシェアハウス」のメンバーでレンぶす(名前を省略)を救出しにフィリピンまで行った一方、レンぶすはフィリピンに残ることを決意する。というところまで説明しておこう。

そんなレンぶすが日本に帰ってきた。その記念ライブとして本日「レンタルぶさいく帰国記念ライブ」が開催された。内容としてはキモシェアハウスでの思い出やフィリピンで起こった事件などについてトークするといったものだった。そのライブの最後に、まるでスティーブ・ジョブズかのようにレンぶすが今後挑戦したいことについてスライドを使用してプレゼンをしていたのだが、そこでレンぶすっていうのは本当にすごいなと感じた。

ライブは配信になっているのでネタバレをしないように具体的なところまでは話さないが、あんなにフィリピンで大変な思いをしていたのに、まだ挑戦するんだ!!!というような内容だった。しかも、その理由は「面白いことをやっていたい」というもの。その姿を見た時に、人間できない事なんてないのかもしれないし、生きたいように生きていいんだと感じた。「できない」、「現実的ではない」と思うことは年を重ねるにつれて「やらない」「諦める」に変わっているんだけど、レンぶすを見ていると何事もやってみないと分からないのだから挑戦してみる、ということも大切なんだなと反省。。。しかも、レンぶすのすごいところは試練があったときによけずにぶち当たり、それでもくじけず歩き続けていること。最近友達がレンぶすがかっこいいというので、「え??」と思ってしまっていたけど、確かにあの生き方が出来るのは最高にクールだと思う。特に私は海外に行きたい、海外で仕事をしたい、という気持ちが強いので突然フィリピンに行って働いていた彼は本当にすごいなと尊敬。自分も英語を頑張ろうと決意した。

今日はレンぶすのおかげで、型にはまった生き方をしなくてもいいし、自分がやりたいことに積極的に挑戦していった方が人生楽しくなるんだなっていうのが実感できた(それなりの代償もあるけど(笑))。お笑い芸人は私に未知の生き方を教えてくれる。本当にありがたいし、聞いていて楽しい。これからも、お笑いだけでなく色々なことをお笑いから教えてもらおうと思う。よろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?