英語教材執筆の仕事をしていると、ナレーション(英語・日本語)の録音に立ち会うことが時々ある。
 以前は、「発音がよくて発声がきれいなら、録音は誰がやってもかかる時間は同じでしょ」と思っていた。たとえば、日本語の短編集の中の一話を朗読するとしたら、ふつうのスピードで読むならば、誰が読んでもほぼ似たような時間で読み終わる。それと同じだと思っていた。
 ところが、実際の録音現場はそんなことはない。ナレーターによって、かかる時間が1.5倍、場合によっては2倍くらい違ってくることもあるのだ。
 ナレーターはもちろん、全員プロである。だが、教材のナレーション、とくに英語のナレーターにはかなり厳しい条件が課される。アクセントも含めて発音記号どおりに一語一語きれいに発声できる。ひとつひとつの単語を原稿どおりに読む(たとえば I cannot go.とあれば I can't go.と短縮形にしてはいけない)。節の区切りやカンマ、ピリオドなど「切るべき箇所」で区切る。当たり前のようだが、何千ワード読んでも完璧にテイクワンでOKが出る人など存在しない。
 こういうのを、するっと1回でクリアする人と、「いまのは読み違えていたからもう一度」「今度は区切る箇所が違っていたからもう一度」と数テイク必要になる人がいる。これを何十、何百文とまとめて録音するので、やり直しが多いと途端に時間を食う。
 さらに、たとえば「合計5000ワード」といっても、300ワードの長文を17問分読むのと、1文が十数ワードの短文を300問分読むのとでは、後者のほうが要求されるレベルがずっと高くなる。聞き手である生徒が一文ずつ入念に聞くため、どうしても細かい箇所まで厳密さが求められる。その分テイク数が多くなり、時間もかかるというわけだ。
 さらに、会話文の場合にはそれとは別のテクニックも必要になる。
 英語教材の会話文は、2人の会話ならば男性と女性が交互に話すことが多い。そのため、スタジオには男性と女性をひとりずつ呼んで録音することが一般的である。
 だが、2人ではなく、3人、たとえば男性ひとり、女性2人の会話であるとしよう。本一冊の中にそうした場面が2つあり、他は男性だけ、女性だけ、あるいは男性と女性ひとりずつの会話であったとする。
 その場合には、女性ナレーターを2人呼んでくるのではなく、ひとりのナレーターに「ダブルヴォイス」、つまり「ひとり二役」をお願いすることが多い。声で二役を演じ分けるというわけだ。
 教材のナレーターは、こういうオーダーにももちろん慣れている。しかしそうであっても、その場でぱっとできる場合と、何回かテイクが必要になる場合とがある。
 というわけで英語教材の録音素材を担当するナレーターというのはかなり大変なのである。英語教材のナレーターは相当高い時給を取っているのが一般的だが、裏にはこれだけの苦労があるのである。
 これに比べれば、日本語ナレーションは「間違いなく読む」ことができればふつうは問題ない。「金」が「きん」なのか「かね」なのかを間違えないよう、瞬時に判断してその通りに読んでもらえればよい。
 しかし、学校ではなく一般を対象とした学習書の場合、日本語ナレーターの方が高いレベルを要求されることもある。
 一度、監修者が日本語の権威である学習書を担当したことがある。「英語は間違いなく読んでくれればいい」と、わたしと当該書籍の担当編集者に任せてくれた。
 だが日本語録音では録音現場に立ち会い、「その『~して』は上げて読んでみて」「やっぱりもう1回下げて読んで」などと抑揚ひとつひとつについて直接ナレーターに指示を出し始めた。
 そんなことをしているうちに、あまりの細かさにナレーターが負のループに入ってしまった。なかなかOKの出る読みができなくなり、1回休憩を入れることになった。
 休憩後も、録音はなかなかスムースに進まない。結局、予定していた時間枠では収まらなくて1時間延長することになった。
 スタジオが空いていたのでそれが可能であり、予算内でなんとか収まった。けれどもそうでなければ後日録り直しになり、費用も余計にかかっただろう。
 そうすれば、それを誰が負担するのか。多くダメ出ししすぎた監修者なのか、監修者をコントロールできず、また録音の枠を押さえておかなかった編集者なのか、録り直しが多かったナレーター(を抱える事務所)なのか。という点で揉めることになったのは間違いない。
 あっという間に終わると踏んでいた日本語録音でもそんなことがある。もちろん、言語を問わず、担当分に穴をあけると次から声がかからなくなるため、ナレーターたちは風邪も引けない。365日、24時間喉を守っている必要があるのだ。ほんとうに大変な職業なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?