カレンダーに1枚1枚シールを貼った話

 20年ほど前、わたしは翻訳会社にいた。 業界で機械翻訳の話は聞超えてくるけれど、まだ会社には導入されていなかった。リーマンショックはあったが、それでも翻訳会社はなんとか成り立っていた頃だ。
 その年の秋、社長がいつになく張り切って「(取引先に配る)カレンダーを作ろう」と言い出した。小さい会社なので社長自らが担当して制作する(とはいっても、出来合いの企業用パターンを選んで社名を入れるだけ)という。
 社員は年末を控えて忙しく「あっそう……(そんな予算があればボーナスちょうだいよ)」くらいに聞いていた。わたしは(いや、たぶん全員が)自分に担当が降ってこなくてよかった、と思っていた。
 年末も近づいたある日、現物が届いた。社長は社名の入ったカレンダーを自慢気に見せびらかし、「(丸めてビニールの)袋に入れるの手伝ってよ」という。
 みな仕事の手を止めて集まったが、一瞬で空気が凍った。その冷たさを切り裂くような勢いで、あるネイティブスピーカーが言った。「これ、間違いです!」
 そう、表紙に大きく年度の数字、続いて Calender と印刷されていたのだ。
 もちろん「カレンダー」の英単語はCalendarが正しい。r の前は e ではなく a なのだ。社員は見た瞬間に全員が気づいた。だが、前職は某外資企業で、英語を日常的に使っていた社長は気づかなかったということだ。
 なぜ校正の段階で社員(特にネイティブスピーカー)に見せなかったのかと思ったが、もうあとの祭りである。Carenderと記された現物がここに1000本ほど箱に入って存在しているのだ。
 翻訳会社が得意先に配るカレンダーの「表紙」にスペルミスがある状況をどう回収しようというのだろうか。
 社長はしばらく声を失っていたが、慌てて業者に電話をし、「Calendar」というシールを発注していた。
 2日後の日曜日、わたしたち社員は届いたシールを1枚ずつ表紙に貼っていった。
 いくらシールを貼ったところで、このカレンダーは「Calendarのスペルが間違ってました」と大声で言って歩いているようなもの。そんなカレンダーを配るのは恥ずかしいことこのうえない。皆、無言でシールを貼り、発送作業をしたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?