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これまでの人生振り返り②

2015年4月
私は心も体も、どうにもならなくなって自分で病院に行き、自律神経失調症と診断されました。

先生は、「まだ軽いようなのでお薬ではなく、カウンセリングでやってみましょう。」と言ってくださり、カウンセリングというものが始まりました。

この時の体験が、後にわたしの人生に大きく関わることになりました。


カウンセリングは、小さな部屋で二人きりで女性の若い先生と。
時間は40分、確か4千円という金額でした。(保険適用外だったので)
ただ、話をする時間。
先生は、何があったのですか?なぜそんなふうに思ったのですか?と質問をして私が答える。その繰り返しでした。

担当の先生は、たぶん20代後半ぐらいでした。
私は、最初の頃、正直この先生に私の何がわかるのだろうか、そしてこのただ話をする時間から一体どうやって私は回復していくというのだろうかと不安感を持っていました。
無駄とも思えるような時間。そして、当時の私にとって4千円という金額は、ほぼ1日分のパート代。苦痛の時間と引き換えに得ているお金でした。

一体、この時間に何の意味があるんだろう。
気持ちが楽になったり、ぐっすり眠れたりするような薬をもらった治療の方がよっぽど楽なのにと思っていました。

そして、数ヶ月がたった頃。
周りの状況も家族の状況も、大きく変わった様子はなかったのですが、ある日、そう、その時は突然やってきました。

本当にたわいもない事なのですが、私にとっては本当に目から鱗。
雷に打たれたような出来事でした。

その頃、犬と散歩ができるようになっていました。それまでは散歩していても頭の中は心配事、過去の悲しい記憶や感情で溢れかえっていて、気づかなかったのですが、急に、目の前に映る景色が目に入るようになってきました。
川沿いの道を歩いていると、花が咲いている、鳥が鳴いている、川には鴨がいて、陽の光が水面に反射してキラキラしている。
そして、花が綺麗だな。と感じている自分がいました。
何かに心が動くことが久しぶりで、私は少しいい気分になり、鉢植えの花を買ってきてリビングに飾りました。

そして数日後、水を上げるたびに、綺麗だな〜、かわいいな〜、そう思えている自分が嬉しかったのです。
自分がこの花の世話ができていること、役に立っていること、それに答えて花は美しく咲き、私の愛情に応えてくれる。それが嬉しかったのです。

本当に些細なことなんですが、
家族や息子たちに愛情をいっぱいかけて育ててきたという自負や、
この家族があるのは、私が身を削ってそして守ってきたからなんだ、という私の心の支えは、次男の全部お前のせいだという言葉で、完全に打ち砕かれ、私の愛情は身勝手で、自分勝手で、今では私は必要のない人間、誰の役にもたっていない役立たずと、生きる意味さえもわからなくなっていましたから、

私の愛情をそのまま受け取ってすくすくと育ち、それに応えてくれる鉢植えの花に、自分を必要としていくれている存在がいるということに、わずかな生きる希望を見つけ出していたのかも知れません。

そして、気分良く主人に、「ほらみて、お花かわいいよね〜。愛情をかければすくすくと育ってくれる。」と話しかけたんです。

ところが、思いもよらない言葉が返ってきたんです。

「え〜、俺、花嫌いなんだよね。」って。

私は、驚きました。
お花が嫌いな人もいるってことに。
もう、青天の霹靂、この人はおかしいんじゃないかってぐらいの衝撃で、笑

そして、おかしな人、変だよねって意味で、隣にいた長男に、
パパがこんなこと言ってるのよ〜っていう感じで言ったら、

「俺も〜、花とかどうでもいいかな。虫とか来るし、どっちかといったら、嫌いかも。」って。

え、うそ、、、
そうなの〜??

この時の驚きは、目から鱗というか、雷に打たれたという表現ができるほど、本当に衝撃的でした。

私はこれまで、自分が思っていた「こういうものでしょ」という思い込みや自分の価値観、眼鏡、あたりまえという感覚がすべてで、この感覚に合わないのがおかしいこと、間違っていることだと決めつけていたことに気づいたんです。

この出来事が、
自分の目の前で起こる全ての出来事は、自分の思い込みが作り上げているということ。
これが宇宙の法則、全てだってことに、気づくきっかけでした。

カウセリングでの先生の質問、その意図、全てが繋がった感じがしました。

どんな出来事があったのですか?
その時あなたはどんな感情でしたか?
あなたはそう感じたのですね。の言葉のその奥には、他の人はそう感じていないかも知れないですよね。がいつも隠されていたんです。

私が感じる感覚や感情は、私だけのものであって、人それぞれみんな違うんだってこと。

そして、違うことこそが個性で、いい悪い、善悪で決めることではないこと。
それは誰にも強要されたり、押し付けたりできるものではないってこと。
それが、子供であっても、たとえ自分の息子であっても、クラスメイトであっても会社の同僚であっても。

このことをきっかけに、少しづつ自分の中が整理されていき、今は私が大切にしている信念になりました。

「自分の感覚を大切にすること。」「そして人にそれを押し付けないこと。」

このことが、私は私らしく生きていこうと決めたきっかけになりました。


2015年、秋








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