20/3/18 日記

 昨日の日記にいつもより多くの「スキ」が付いているけれど、何かあったのかしら。ネガティブすぎたのだろうか。「死にたい」などというフレーズを使ったのが、まずかったか。

 noteでネガティブなメンタル系の記事を書き続けて、ある程度の地位を得ようと思うなら、際限なく自分のつらさを訴える芸風になりかねないおそれがある。抜きん出ようとすると、過剰になってしまうのは、世の常なのだし。

 もっとも、自分はそこを目指していないので、「今日も朝に起きるのがつらかったものの、うららかな陽気なのでお気に入りのスプリングコートを着て出勤、仕事はあまりはかどりませんでした、トホホ」ぐらいに収まる。

 相変わらずメンタルの悪さは変わらないけれど、そのまま、仕事に行ける。友人から、「私生活でそれだけ調子が悪そうなのに、仕事をきちんとやっているのはすごいことだ」と言ってもらう。

 1人のときの状態がひどいものだと考えれば、仕事があって、自分はよかったのだろう。成果に見合った報酬ももらえるし。

 足を痛めた人がそれを考慮して歩くように、血圧が高い人が薬を飲んで抑えるように、自分はメンタルの不調と付き合って生きている。調子がよいに越したことはないけれど、悪いからといって、自らを過度に叱責することは減ってきた。これも自分なので。

 すくなくとも、毎日の中に、喜怒哀楽がある。それでよいと思う。生きている間は愉快なことが多いに越したことはないが、現状は風向きが悪いのかもしれない。それぐらいの話。

 抑うつがひどかったときに、ある薬を飲んだら、ばっちり効いたことがあった(いまは薬を飲んでいない)。辛くなってきたときも「いざとなったらまたアレを処方してもらえば脳はすぐ騙せるしな!」と理解して、すこし楽になったところはあるかもしれない。

 ところで、「あなたのことを心配している」と言うのは容易いけれど、そこから何かを行動に移してくれる人となると、ほんとうに少ない。

 それを責める気にはならない。心配している、と伝えてもらえるだけありがたいものだと思う。すぐ行動することが正解というわけではないし、見守る愛もあるし。

 とはいえ、「恋人がすぐにできそうなのに〜」と言ってくる人にはすぐ恋人になってほしいし、「幸せになってほしいな〜」と言ってくる人にはすぐ自分を幸せにしてほしい。

 こんなことを言うと、めんどうくさいな、と疎まれるのでしょうけれど。そう感じるときだってあるのです。

 それにしても、「○○するのは日本だけ」などと嘲笑的に言う人がいるけれど、世界中で感染症が流行すると、どこの国であっても、パニックになり、陰謀論がうずまき、デマが流行し、買い占めに走る傾向は、多少なりともあることが、明らかになってしまった。よいことなのか、悪いことなのか。

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