20/03/30 日記
なんとも終わりの見えないテレワークが始まる。新しいオフィスチェアが届いた。いままでの5000円ぐらいのボロ椅子(椅子の形をしたオブジェかもしれないレベルで硬い)と比べると差は歴然。買ってよかった。
志村けんという存在は、我々の世代にとって、明るく楽しい親戚のおじさんのようなものだった。それは、一家団欒の場(お茶の間)にテレビがあった時代に活躍していた印象と、密接に繋がっているのかもしれない。
彼は、みんなが和やかに歌う場にファンキーな音楽性を持ち込み、強烈なセンスのギャグによるユーモアを披露し続け、ちょっとした大人の世界(それは現在の視点からみれば、あまり褒められたものではないけれど)を教えてくれた。
長い時間を一緒に過ごしてきた(と、我々に感じさせてくれた)人だから、こんなにも悲しい。
ぼくらより上の世代は、志村けんが加入したあとのドリフターズの音楽やコントでファンクの遺伝子を学び、ぼくらの世代は「変なおじさんだから変なおじさん」「だいじょうぶだぁ、ウィ、ウァ、ウォ」などの奇天烈なフレーズで言葉だけでパンチラインの面白さが作れることを学んだ。
自分の笑いを、後の“ベタ”にした男。晩年(こんな表現、使いたくなかったな)には、「天才! 志村どうぶつ園」で見せるような楽しい老人として、若いときのギャグマシーンとは違う大御所感を確立させつつあった男。
そうだ、ぼくは、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」のTHE DETECTIVE STORY(探偵物語)に出てくるような大人になりたかったんだ。彼ほど飄々とした存在感もないし、スケベ心と優しさを持ち合わせたような魅力もないけれど。でも、ああいうふうに、なりたかったんだよ……。
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